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夢が潰える前に

 このページは、小説の予告である。
 このようなものを書いても、意味がないと思っていた。
 だが思う処があって、書く事にした。

 現時点で発表する予定の小説のタイトルの羅列である。
 仮題なので、実際にこの通りになるか、分からない。
 また当方の力が及ばず、全部は書けないかも知れない。

 だから書かない方がいいと思っていたが、考えを変えた。
 当たり前に続くと思っていた事が、突然途絶える事もある。
 そうなると、誰にも伝わらないで、終わってしまう。

 考えた事は、外に出なくても、世界の何処かには残る。
 だがそれは目に見えない。だから形に残そうと思う。
 まずは、『シン・聊斎志異』で、書く予定のタイトルだ。

 『玄奘、インダス川を渡る』
 『玄奘、カシュガルを通過』
 『玄奘、長安に帰る』
 『玄奘、法華経を翻訳す』
 『玄奘、旅の終わり』

 
 玄奘について、幾つか名著と呼ばれるものを読んだ。
 どれも驚くほど、仏教思想について触れていない。
 旅の行程が、誌的に描かれ、著者の心の旅になっている。

 これは違う。偽物、誤魔化しではないかと感じた。
 であるならば、現代的な形で、玄奘の旅を蘇らせようと思った。
 『西遊記』と『大唐西域記』が底本だ。だが本当に書けるのか?

 書く前、仏教について、こんなに書けると思ってもみなかった。
 無我と空が、存在と時間と知った瞬間、回路が全部繋がった。
 ドイツ観念論は、形を変えた仏教・インド哲学だ。
 
 だから今なら、シェリングが、仏教的に菩薩であると分かる。
 彼は自分の哲学的文脈の中で、梵我一如に到達している。
 「自然は見える精神であり、精神は見えない自然」とはまさにそれだ。

 だがシェリングとヘーゲルの間では、絶望的なまでに差がある。
 絶対知は分からない。これが如来の境地なのか?さらに仏陀は遠い?
 そして玄奘の悟りに、少し怪しい処があると気が付いてしまった。

 人類史に名を残す偉人・聖人・哲学者を相手にそんな事言えるのか?
 だが善悪は追及しなければならない。
 たとえそれが小説であったとしてもだ。玄奘の旅は、20話で終わる。

 『聖武天皇』
 『行基菩薩』
 『ボーディセーナ』
 『日蓮』
 『親鸞』

 大仏建立から鎌倉仏教までだ。
 仏教編はこれで、終了予定だ。
 舞台は大きく西に移る。

 『テミストクレス』
 『アレクサンドロス』
 『ハンニバル』
 『スキピオ』
 『カエサル』

 『パルメニオンとラビエヌス 偽プルタルコス著』
 『ディオゲネス・ラエルティウスの夜』
 『アカデメイア プラトン』
 『フィロソフィカル・ブルー アリストテレス』
 『とある哲学者の死 セネカ』

 キリスト教編だ。

 『逆十字のペテロ』
 『パウロ』
 『アウグスティヌスのマニ教』
 『アシジのフラチェスコ』
 『進撃のマザーテレサ』

 『マグダラのマリアの福音書?』×5?
 
 『天草四郎の瞳』×3
 『太平天国の乱』
 『ハルツームのゴードン』

 世界史編だ。
 
 『始皇帝の大舟』
 『ネロとアクテ』
 『則天武后と檄文』
 『李自成の餃子』
 『ロンドン塔の亡霊 ヘンリー八世』

 『フランクリン・ルーズベルトの水道ホース』
 『アドルフ・ヒットラーの憂鬱』
 『赤帝スターリン』
 『毛沢東の読書』
 『梟雄サダム・フセイン』

 ドイツ編は以下だ。

 『ゲーテの庭』
 『ヘルダーリンは謳う』
 『ベルリン大学のシェリング』
 『ヘーゲル、バーデンバーデン』
 『ハイデガーの森』

 フランス編は以下だ。

 『料理研究家ノストラダムス』
 『ジャンヌ・ダルク 救国の涙』
 『ジャン・ジャック・ルソー 立法者の夢』
 『ナポレオンと世界精神』
 『シャルル・ド・ゴール 祖国を二度救った男』

 『睡蓮の池、モネ』
 『ルノアールの夢』
 『ドガ、ドガ、ドガ』
 『セザンヌの孤独』
 『ゴッホ、ひまわりの死』

 ジャンヌ・ダルクについては、短編・中編・長編と構想がある。
 短編は4ページ、中編は80ページ前後だ。
 短編は、『シン・聊斎志異』で出す。中編は、別枠で書く予定だ。

 フランス語でも、ジャンヌ・ダルクの研究書を読んでいる。
 ジャンヌ・ダルク裁判の記録も読んだ。小説も読んだ。
 だがフランス人も、ジャンヌ・ダルクが分かっていない。

 フランス人も、他の国の人も、第三者視点で彼女を書く。
 誰か別の人を立てて、その人の目で見たジャンヌ・ダルク像だ。
 有名な作家でも、ジャンヌ・ダルク視点は避けている。

 これはジャンヌ・ダルクが理解できないからだろう。
 そしてなぜ火刑になったのか、彼女のカルマが解けていない。
 これは彼女の秘密が分からないと、説明ができないだろう。

 上記フランス人たちに関しては、幾つか秘密を知っている。
 だがあまり秘密を暴くと、色々と問題が生じる。
 特にジャンヌ・ダルクの長編は書いても、何処にも出せない。

 他、『シン・聊斎志異』では、奇異な話も予定している。
 閑話休題的な話もある。これらを書けば、491編書けるか。
 『チューリップ』の青年ファルハドと村娘シーリーンの悲恋とかだ。

 『青年ファルハドと村娘シーリーンのチューリップ』
 『それ行け、ゲルダちゃん』
 『七人の侍、いや、ドワーフ?もしかしたら白雪姫?』
 『踊るブス――チックタック』
 『裸の王様MARK II』

 
 実は表題を借りた蒲松齢(ほしょうれい)には申し訳ないと思っている。
 『シン・雨月物語』でも良かったが、それだと日本限定になる。
 上田秋成にも申し訳ないだろう。もはや表題が意味を為さない状態だ。

 『斑鳩の鬼』というタイトルで、聖徳太子の話を書きたい。
 これは以前『シン・聊斎志異』の中でも三編書いた。
 中編の100ページ前後にして、何処かの文学賞に応募したい。

 国際情勢は、子供の頃から、いつも頭の中を占めていた。
 だが国際情勢は、状況が流動的なため、いつも予定が決まっていない。
 それでも『プーチンについて』は書くつもりだ。これは善悪の問題だ。

 占いは、なぜやるのか分からないが、過去世と関係あるかもしれない。
 花と言葉は、道端の花を見て、いいねと思ったら、上げている。
 苦しい話題も多いので、気が向いたら、テキトーにスキにして下さい。

 その他、有料記事も考えている。
 これはNote黒字化を考えるとある方とコメントした時、思った。
 『アリストテレス研究』にしようかと思う。大学院の続きだ。

 古典ギリシャ語のテキストを引っ張り出して、文法解説?
 それから英語・フランス語の研究書を参照して、論文を書く?
 専門的過ぎるので、読まなくてもいい。だから有料記事だ。

 本当は小説を書きたいのだが、なぜか思想の方がうけている。
 よく分からないが、一定の需要はあるのだろう。
 周りの人からも、国際情勢・世界史・哲学はよく訊かれる。

 実はNoteでやりたい企画がある。
 
 『私の守護霊はお姫様 ~My guardian spirit is a blue princess~』

 これが切り札だ。ここまで書けるといい。長編だ。

 守護霊文学というものを構想している。
 本当は、霊能者でないと、この文学は書けない。
 低能者には、ちょっとキツイが、夢の力を借りて書く。

 昔、ダンテ・アギリエリという者がいた。
 イタリアの詩人で文学者、そして霊能者だった。
 過去の例で行けば、『神曲』が一番近い。

 だがダンテ・アギリエリは間違いを犯した。
 仏陀やムハンマドを地獄に落して描いている。
 当時のキリスト教におもねった。間違いだ。

 別にキリスト教と関係なく、彼らは天国にいる。
 世界はそんなに狭くない。ダンテも分かっていた筈だ。
 当方はそういう間違いは避けるつもりである。

 霊界文学、守護霊文学と真逆の者もいた。トルストイだ。
 彼はロシアが産んだ偉大な魂の持ち主だが、間違いを犯した。
 新約聖書から、イエスの奇蹟を抜いて、道徳的聖書を作った。

 来る時代が理性の時代だと信じて、そうしたのだろう。
 これも当時の科学におもねった。間違いだ。
 トルストイも、奇蹟が存在する事は分かっていた筈だ。

 守護霊文学こそが、来たる時代の新しい潮流であるとここに宣言する。
 無論、現時点では、犬の遠吠え、と受けとってもらえて構わない。
 1848年、カール・マルクスの『共産党宣言』だって、最初はそうだった。

 あんな暗黒思想が、二世紀も流行るなら、その逆もまた然りだ。
 当方の後続には、本物の霊能者で、本物の文学者も出るだろう。
 それは、既存の全ての文学を塗り替える全く新しい潮流だ。

 占星術の世界でも、魚座の時代から水瓶座の時代に入っている。
 魚、ἰχθύς(イクテュウス)がキリストを表している事は知られている。
 西暦の時代が終焉し、水瓶座の時代に入るのだ。新文明の夜明けだ。

 話が逸れた。『私の守護霊はお姫様』に戻そう。

 『シン・聊斎志異』で、立花神社を出したが、アレが出て来る。
 『ちりぎわは、おうかのはなよ、かぜまかせ』は、前日談である。
 立花やちよは、主人公の祖母に当たる。時代は令和だ。

 女子高生が主人公だ。かなりとんでもない冒険になる。
 90年代の少女漫画風の一面もある。話の飛び方がハンパない。
 SB742便のアメリー・ルーとは、お友達である。こうご期待?

 こういう内容を書けると確信したのは、過去世に女性がいたからである。
 稀に女転して、地上に生まれる事があった。この時の記憶が夢で蘇った。
 二人分断片的な記憶がある。男性の時と感情のパラメーターが全然違う。

 理性とか知性が大幅に下がって、霊性と感性が爆上げになっている。
 なんと一人は魔女だった。箒で空を飛ぶ。凄い魔力を持っていた。
 炎の魔術をブッ放つ。いくら夢でも無茶苦茶過ぎた。戦闘機か?
 もう一人は、『最後の晩餐、嫌われたイエス』で紹介済みである。

 さぁ、これで後に退けなくなった。追い込み完了。どうする?

                                以上

『大和の心、沖縄特攻』


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