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斑鳩(いかるが)

 昔々、飛鳥時代の頃、一人の男がいた。
 その男は、どうしょうもない暴れ者だったが、天下無双だった。
 午前中は力が三倍だったからだ。世界でも珍しい超能力だった。
 西の島国と、東の島国で、時々そういう男が発生する。
 もしかしたら、宇宙人にアブダクションされて、強化改造されたのかもしれない。
 だが暴れ者はそんな事など、どうでも良かった。理由など一切、知らない。
 とにかく力が余って仕方なかった。だから暴れた。里で暴れると、役人と兵士が沢山やって来たが、全部撃退した。相手の武器を奪って、使い捨てながら、戦い抜いた。戦い方は汚かった。野盗的で、計算高く、あらゆる手段を使って戦う。不意打ちなどお手の物だ。
 武人も来たが、一対一で暴れ者に勝てる者はいなかった。常識外れの強さに、この暴れ者は鬼、天狗の力を授かったに違いないと言われた。実際、本人は悪い気がしなくて、鼻がぐーんと伸びていた。戦いが終わると、いつも手づかみで、決まって大食いをしていた。
 当時、西国一の軍事氏族だった物部守屋に声を掛けられた。暴れ者は乗った。
 用明2年、西暦587年、丁未(ていび)の乱では、排仏派の物部氏について、崇仏派の蘇我氏と戦って敗れた。あともう一歩で、蘇我馬子を討ち取れる処だった。だがなぜか仏を信仰する少年が戦場に現れると、形勢が逆転して、物部氏が破れた。意味不明の戦だった。
 後で聞いた話だが、少年は木で四天王像を彫り、戦勝を祈願し、髪に刺して、戦場に持ち込んだらしい。そんな事で戦がひっくり返るなんて、納得が行かなかった。戦は戦だ。力と力の戦いだ。だが場外乱闘はありだと思っていたから、自分が知らない手で負けたとも考えた。
 それから、暴れ者は、元の里に引っ込んで、禄でもない日々を送っていた。呑む、打つ、買うだ。あとは時々、人に頼まれて、用心棒をやったり、名高い武人を探して、挑んだりしていた。だが虚しかった。別に午前中でなくても、暴れ者は強かった。
 暴れ者は今や、ただの人殺しにまで堕ちていた。もはや武人でも何でもない。人々は恐れた。酒、女、博打仲間を提供して、この男を慰撫して、無力化させようとした。だが時々、思い出したかのように暴れて、もう手が付けられなかった。
 どうやらこの男の心の中で、戦での勝敗が忘れられていないようだった。蘇我氏が憎かったし、仏像少年も憎かった。ついでに仏も憎かった。大体、日本には古来、神々がいる。今更、外来の仏なんて要らない。天竺は日本と関係ない。そんなに憎いなら、奈良の斑鳩に行けと里の人に言われた。じゃあ、行ってやるさ。斑鳩の里に。蘇我氏もろとも全部討ち取ってやる。
 暴れ者は旅に出た。推古1年、西暦594年の春の日の事だった。
 
 旅の途中、暴れ者は蘇我馬子の悪評を聞いた。
 昨年、自分の娘婿に当たる崇峻天皇(すしゅんてんのう)を暗殺して、姪の豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)を推古天皇として、即位させたのだ。
 大臣が天皇を殺すのは前代未聞で、その後の歴史でも起きていない。異常事態だった。
 だが崇峻天皇も、狩りでイノシシの首を見て、自分の憎い敵もこうあるべきだと発言して、蘇我馬子に疑われて殺された。この時、天皇を殺したのに、大きな反発が起きていない事から、支配者層で密かな合意があったと見られている。真の権力者は誰か。天皇はお飾りか。
 世間では、食炊屋(かしきや)の姫が即位したと言っていた。別に定食屋の女給が天皇に即位した訳でもない。ただの名前だ。だが妙な名前ではあった。妙な名前はもう一つある。
 この時代、まだ摂政という役職はなかったが、事実上の摂政として、厩戸皇子(うまやどのみこ)、上宮太子、豊耳太子と呼ばれる人物がいた。耳が大きく、一度に10人の話を聞き分けられる驚異のヒアリング能力で知られていた。人々は神通力、超能力があると噂していた。
 この人物は、例の仏像少年だった。丁未の乱で、決め手となった人物である。当時は14歳。少年が神話になるお歳頃だ。推古1年、19歳で摂政となっていた。驚異の19歳だ。
 この人物は後に聖徳太子と呼ばれる。女帝、推古天皇とセットで語られる。二人三脚で仏教を取り入れ、日本を仏教国にした。少なくとも国策として推進した。蘇我氏の後援で。
 蘇我氏は問題だった。だが聖徳太子も推古天皇も、蘇我氏出身の人間を親に持っていた。この時代、蘇我馬子、推古天皇、聖徳太子のトリオが国の中心だった。それは間違いない。
 
 その日、朝から厩戸皇子は、周囲の者に、人が来るので、通すようにと言っていた。
 「……太子様、その方は誰ですか?」
 従者が尋ねた。厩戸皇子は馬に乗っていた。飛鳥からの帰り道だ。午前中、宮廷にいた。
 「武人だ。私が直接会う」
 斑鳩までの道を進んでいた。この道は後世、太子道と呼ばれる。斑鳩から飛鳥までの道だ。
 「……へぇ、そうですかい」
 従者の調子麿は慣れていた。厩戸皇子の未来予言は、日常茶飯事だったからだ。
 「やはり鬼には金棒ですかね……」
 足元を歩く愛犬の雪丸が「わん」と吠えると、厩戸皇子は破顔一笑した。
 
 暴れ者は斑鳩に到着した。何もない里だった。この時期、まだ太子の斑鳩宮はない。
 農民に、里の主までの道案内を頼むと、小さな寺を指差した。私寺のようだった。
 雄略天皇の時代、斑鳩には膳斑鳩(かしわでのいかるが)と言う人物がいた。対高句麗戦で出征し、仏教を持ち帰り、私寺を開いたと言う。暴れ者はこの寺を尋ねたが、出て来た若い女と口論になった。膳大郎女(かしわでのおおいらつめ)と言う。後に太子の妃となる。
 「いないよ。帰りな」
 女だてらに太刀を持っていた。勇ましい。もしかしたら腕も立つかもしれない。
 「……少しここで待たせろよ」
 来る途中、情報収集がてら、例の仏像少年がこの里にいる事は分かっていた。
 「帰りな!お前みたいな者と会う太子様じゃないよ!」
 膳大郎女は言った。暴れ者は立ち上がろうとした。すると横から別の女の声がした。
 「イラツメ。邪険にしてはいけませんよ。この方は太子様が今朝言っていた人でしょう」
 推古天皇の娘、菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのひめみこ)だった。やはり太子の妃となる。
 一瞬、真っ赤な大ダコの姿が見えた。八本足のタコだ。うねうねしている。何だ?この女は?
 「タコノヒメ……」
 膳大郎女は嘆息した。菟道貝蛸皇女はニコニコしている。さっきのは気のせいか?幻か?
 太子の従者、調子麿がやって来た。今、帰宅したので、これから会うと言う。
 暴れ者は頷き、何と言ってやろうか考えた。武器はないが、素手でも人は殺せる。

 暴れ者は寺の本堂に通された。奥の仏像が金色に輝き、中は薄暗い。
 予め左右に二人の女がいた。右側に膳大郎女が太刀を持って立っていた。左側に菟道貝蛸皇女がニコニコしながら座っている。まるで太子を守る直衛のようだった。刀女とタコ女が、太子のファイナル・ガードとして控えている感じだった。やり難い。暴れ者は考えた。
 そう言えば、今の天皇も女性だ。太子の周りは女だらけだった。ハーレム状態だ。
 程なくして、厩戸皇子が姿を現した。中央の上座に座る。
 暴れ者は一瞬、クラッと眩暈がした。何だ?この感覚は?動けない?
 「……裏庭で馬と犬に餌をやっていた。待たせて済まない。私が厩戸皇子だ」
 訪問は予告していない。いきなり押し掛けたのに、なぜか話があべこべになっていた。
 「俺は物部にいた者だ。あの時の仏像少年だな?」
 暴れ者は言った。飛び上がれば、一足飛びで届く距離だ。だが遠く感じる。なぜだ?
 「仏像少年?ああ、戦の時の話ですか……」
 厩戸皇子は破顔一笑した。別にウケる処ではない。
 「なぜ仏を信じる。日本には古来、神々がいる。この大和の国を守ってきた」
 「……それは大儀ですが、別に私は日本の神々を否定している訳ではないですよ」
 厩戸皇子は、調子麿を呼び寄せて、丸い球を持って来させた。
 「これは地中石と言って、この星を表したものです」
 それは一種の地球儀だった。ユーラシア大陸があり、アフリカ大陸があり、南北アメリカ大陸が描かれている。南極大陸まである。太平洋の西寄りに大きな大陸が描かれていた。これはオーストラリアではない。未知の大陸だった。無論、日本も描かれている。
 それから厩戸皇子は、地中石を回して、国際情勢を説いた。主に東アジアの情勢だ。大陸で隋が興り、高句麗を攻める。いずれ日本も狙われるので、外交をすると言っていた。
 意味が分からなかった。そんな国々は知らない。日本の外など知らない。任那(みまな)の話は聞いた事があるが、大和の外にある。そもそもこの国が、どんな形をしているのかさえ知らなかった。そしてこの球が、大地を表し、それが夜空の星と同じだと言う。
 俄かに信じられない話だった。暴れ者は、話の流れを強引に断ち切った。
 「……俺はお前を殺しに来た」
 結論を言った。そして殺気を放つ。刀女がいきり立つ。だがタコ女が諫めた。
 「私はあなたを救いに来ました」
 「俺を救うだと?」
 「……力が余って仕方ないのでしょう?その力は、あなたのためだけのものではない」
 厩戸皇子は静かに言った。暴れ者は目を細めた。どういう意味か?
 「あなたは死んだ後の事を考えた事がありますか?」
 ない。呑む、打つ、買うの毎日だ。あとは戦いに明け暮れている。修羅だ。
 「人はいつか死にます。でもそれで終わらない。だから仏の教えがある」
 地獄とやらがあるなら、そこに行くのも一興だ。どれだけ強い奴がいるのか?楽しみだ。
 「……お前を殺していいなら、その教え、信じてやってもいいぜ」
 暴れ者は哄笑した。これでどうだ?ぐうの音も出まい。だが厩戸皇子は言った。
 「いいでしょう。ではこれからあなたに武器を与えます。存分に暴れなさい。仏のために」
 厩戸皇子は急に立ち上がると、皆を裏庭に案内した。そこには太い鉄の柱が横たわっていた。それは巨大な鉄塊だった。だが形状からして剣だと分かった。常識外れのサイズだ。
 暴れ者はふと興味を感じたので、怪力を発揮して、その巨大な剣を掴んだ。
 女たちが驚いていた。暴れ者は構わず、素振りした。颶風が巻き起こる。素晴らしい。
 「こいつはいいな。しっくりくる。とても初めて触れたとは思えん」
 女たちが鬼に金棒ではないかと囁いていた。暴れ者は鉄の柱をブンと太子に向けた。
 「……なぜこんなものを俺に渡す?いつでも叩き殺してやるぞ?」
 「私の命はすでにあってなきもの。でもこの国に尽くしたい。政治を浄化したい」
 この国を?太子の瞳に、夜空の輝きがあった。星の光が宿る。それが悟りだとでも言うのか?
 「カッコイイ!」
 見ると、菟道貝蛸皇女が赤いタコの姿で、タコ口で太子にぶちゅーとキスしようとしていた。
 「タコノヒメ!」
 膳大郎女が慌てて止めに入った。もう人の姿に戻っている。何だ?幻か?
 暴れ者は一笑した。妙な奴らだと思った。殺す事はいつでもできる。様子を見よう。
 
          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード64

『夢殿(ゆめどの)』 斑鳩の鬼2/3話


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