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回教は危険な宗教か?

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危険な回教と共存する方法。日本人のジハードが必要である。

危険な回教と共存する方法。日本人のジハードが必要である。

回教が危険と言う事は、日本人が回教徒に対して危険に成り得ると言う事でもある。これを以下に説明しよう。

まず日本人が絶対認識すべきは、ここは日本であり、何人も日本国憲法の基に作られた法律に従い、それが保障する権利を享受する事である。日本では日本の法律は、クルアーン(神の言葉)とハディース(ムハンマドの言葉)、あるいはシャリーアより、絶対に優先されねばならない。

日本人は上記の事を日本に住む回教徒

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危険な回教 =  害を与える宗教では無い

危険な回教 = 害を与える宗教では無い

前回は、1400年前の慣習規範であるクルアーン(神の言葉)とハディース(ムハンマドの言葉)を解釈して、現実世界の習慣規定、すなちシャリーアを作ると言う回教徒の思考法こそが危険な事を説明した。

ここで強調したいのは、危険な回教が必ずしも危害を加えてくるものでは無いと言うことだ。車は運転を誤れば人を殺すし、大惨事も引き起こす。しかし、車の運転 = 交通事故では無い。只、どの様な場所や状況で、事故が起

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1400年も全く変化しない、宗教改革を拒否してきた回教

1400年も全く変化しない、宗教改革を拒否してきた回教


前回は、豚肉食の禁忌と「クルアーン、税か、剣か」を例に、回教徒の思考法を分析した。豚肉食の禁忌は嗜好の問題だし、「クルアーン、税か、剣か」も傲慢で、剣は戦争を臭わせるが、危険というものではない。では、何処が危険なのか。それは回教徒の思考法、つまり思考の流れ、そのものにある。

回教徒は、問答無用でひたすら暗唱したクルアーンを解釈してシャリーアに当てはめる。この事が危険なのだ。何故なら、1400年

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回教徒が豚肉を食べないのに生活上の根拠はない。神とムハンマドが食べるなと言ったからだ。

回教徒が豚肉を食べないのに生活上の根拠はない。神とムハンマドが食べるなと言ったからだ。

前回では、回教徒はクルアーン(神の言葉)とハディース(ムハンマドの言葉)を解釈して、現実世界の習慣規定、すなちシャリーアを作っていることを示した。

問答無用でひたすら暗唱したクルアーンを解釈してシャリーアに当てはめる、この回教徒の思考法を知る必要がある。例として分かり易い豚肉食の禁忌で説明しよう。

クルアーンで豚肉について書かれているのは以下の二つだけ。

豚肉は明らかに汚れたものである。(ク

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回教徒は現代社会に通用しない教義(習慣規定)でも実行を固守する

回教徒は現代社会に通用しない教義(習慣規定)でも実行を固守する

前回は、回教の経典について、大雑把に説明した。経典には、回教徒が規範とすべきクルアーンとハディースがあった。また現実社会で従うべきイスラム法、すなわちシャリーア(クルアーン、ハディース、イジュマー、キヤース: これらに基づく)があった。クルアーンとハディースの解釈の違いを合意したものと、類推解釈した書がイジュマーとキヤースである。

実際の現代回教徒が従うのは、イスラム法、すなわちシャリーアである

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回教には日本国憲法に違反している教義がある

回教には日本国憲法に違反している教義がある

回教は異教徒との結婚を認めない。日本にいる回教徒は、日本国憲法が保障している宗教選択の自由を享受しているのに、その憲法が保障している婚姻の自由を阻害し、回教徒でない相手の宗教選択の自由を阻害する。

ここで強調したいのは回教徒個人の事ではない。個人が結婚相手に同じ宗教を望むのは、日本国憲法が保障している個人の自由である。受け入れるか受け入れないかは、日本国憲法が保障している、相手の自由である。

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