池上彰

広島県在住。佛教大学大学院(通信課程)文学修士。言語学研究者。専門は英語学(認知言語学…

池上彰

広島県在住。佛教大学大学院(通信課程)文学修士。言語学研究者。専門は英語学(認知言語学)で、メタファーについてリサーチをしています。現在、広島大学大学院博士課程後期在学中。研究テーマは、「語義の展開を生かした海事英語辞書の製作。」趣味はフライフィッシングとギター、テニス。

最近の記事

2022−23年 Asae chanとの再会、それは特別な何か その1

 辞書とは、語彙を収録した書籍のことであり、語彙の収録順や用例の掲載、意味の解説などが行われる。「辞書編集」とは、辞書を編集すること。編集者は、そのような辞書を作成するために、語彙の収集や編集作業に従事する。辞書には、一般的な国語辞典や英和辞典、専門用語の辞典など、様々な種類がある。辞書編集者は、それらの辞書を精密に編集し、正確な情報を収録することで、多くの人々に利用される貴重な書籍を作り出していく。自分の研究が関係した、JACET英語辞書研究会での発表はまさに僕にとって重要

    • 大学院博士課程後期を受験 その1

      何を研究するのか。 ある方向性が決まれば,それに向かって邁進するのが僕の信条だ。博士課程に入学して何を研究するのかは,大方決めたあった。中学,高校,そして高専に勤務した経験を持つ者として,何か人類への貢献を考えたところ,「英語+海事」という構図が浮かんできた。「よし,辞書を作ろう!!」 辞書といえば、一般的に皆さんが思い浮かべるのが、ジーニアスやプログレッシブ、あるいはウィズダムといった英和辞典であろう。はたまた、LongmanやOxford、Cobuildのような、英英辞

      • 大学院博士課程後期受験

         久しぶりの投稿になる。4月以降、職場が変わり、これまでにない環境でのスタートとなったことと、プライベートでも変化が起こったため、執筆に感ける余裕すらなかったのが事実だ。そう思いながら、今年はもう師走。皆さんいかがお過ごしでしょうか。頬を切るような朝の冷気に耐えながらも駐車場へと向かい、キーを廻す。つい最近のことだが、若干弱ってきたバッテリーを気遣いながら慎重にスタートを切る。最近になって、ようやく落ち着いて余裕が出てきた。というのも、この夏はかねてから希望していた広島大学大

        • 社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 修士論文が審査通過 口頭試問

          修士論文を書いていて、最も気になるのは、審査通過はもちろんのこと、口頭試問でどれだけスムーズに答えられるかである。主査教員と副査教員2人の合計3名で構成されるのだが、こちらが書いた論文の弱い部分、つまり論証不足の箇所に鋭い切り込みを入れてくる。自分の場合も、思わぬ部分を言及されて、慌て不為いた記憶がある。そうなると、頭の中は真っ白になり、普段では考えられないようなミスをしてしまうものなのであるが、大切なのは、「最後までやり遂げること」だ。しどろもどろになりながらもマッチポイン

        2022−23年 Asae chanとの再会、それは特別な何か その1

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 修士論文を執筆 教授から個人指導

          2年目の秋である。中間発表会を終えて、その成果を元に修士論文を仕上げていかなばならない。52歳になっていた。世間では中間管理職か、そろそろ定年を迎える歳であるが。実際、これまでとは違う、人生の岐路に立っていた。この先、どうするのか。何がしたいんだ。がむしゃらに走った1年半であったが、闇に向かって突っ走っている感じは拭えなかった。それでも、一般から外れたレールにいることは間違いない。そう、周辺的に生きているのだ。教員の世界も若い時分に修士課程を取り、校務分掌も教務や進路指導と云

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 修士論文を執筆 教授から個人指導

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 2年目に突入

          修士課程の履修は順調だった。朝5時に起きて、コーヒーを淹れて飼い犬の散歩。朝食は目玉焼きとウィンナーにレタスか胡瓜。それらをじっくり味わいながらもデスクに向かう。文献やインターネットのデータベースを参照しながら論文を仕上げていった。ここであることに気づいた。研究はあくまでもコツコツとやるべきものなのだと言うことを。 指導教員からのアドバイスは「言語学はとにかく緻密にやること」だった。コーパスを使って、メタファーなどを中心に集めては分析の繰り返し。今年度を最終学年に設定したの

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 2年目に突入

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験 履修2年目 最優秀学生に選出される!①

          大学院での1年間を無事に終了し、最終学年の2年目に突入した。指導教員から言われたことは、とにかく研究を続けて少しでも上に行くこと、だった。修士論文のテーマをきちんと絞って全てをこの1年で決着しなければならなかった。修論はMLA、APAどちらのスタイルでもよかったが、APAで全うした。ちなみに修論のタイトルは「through の多義記述に関する認知的アプローチ」となった。なぜthroughを選んだのか?という質問を受ける。それは、当方の趣味の一つであるフライフィッシングに関係す

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験 履修2年目 最優秀学生に選出される!①

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験 履修スタート!

           大学院からテキストが届き、いよいよ科目履修がスタートした。文学専攻と言うことも有り、最初は志賀直哉の「城の崎にて」であった。日本文学の領域である。小説や論文を数点読破し、尾道市にある文学の館を訪ねて聞き取り調査も行った。資料集めや調査はいわゆるリサーチと呼ばれるもので研究をしている実感が沸いてくる。リポートを提出し、科目最終試験を受けた。およそ2週間後にはネット上で合否が知らされる。合格だ!幸先がいい。 (写真はジョージ・レイコフ。アメリカの認知言語学者。マーク・ジョンソ

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験 履修スタート!

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験 合格のあと

           合格通知書を受け取ってからは、次に邁進しなければならない。大学院から届いた書類に次々と必要事項を書き込み、学費を納入した。前にも書いたが、自分の手で費用を捻出することは容易ではなかった。それのどれもが大学院を受験するという意志が導いてくれたものだと思っている。 研究計画書というものも生まれて初めて書いた。やはり、きちんとした目標立てをしていないと2年の就学が、3年、4年とズル引きされてしまうだろうし、当然ながら費用もかさんでしまう。両手に有り余っているのならそれも良しだが

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験 合格のあと

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験 合格発表

           試験が終わると、当然訪れるのは、合否発表である。昼間は中学校で講師、夕方からは学習塾の講師をしながら考えていたのは、やはり「伸るか反るか」であった。サポートしてくれた人たちに報いたい。自分のことはもちろんだが、やはり、素晴らしい先輩や同僚に成果報告を、いや吉報を届けたかった。 一昔であれば、ウェブページで合否結果を確認できる。佛教大学もウェブでの確認は可能であるが、最近はQRコードで行える。そしてついにやって来た合格発表の日。中学校での仕事を終えると、ヱビスビールを買い、

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験 合格発表

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら その9 初めての教壇

          教員免許を取って初めて赴任したのが母校だったことはとてもラッキーだ。英語科のスタッフの平均年齢は若いけれども皆しっかりしていた。生徒たちも優秀で、言わなくても理解してくれる子が多かったのは新米教師にとってかなり有難い。体育祭や文化祭などの行事が終わると、先輩教師たちはよく呑みに誘ってくれた。当時は職員室の雰囲気も和やかで良かった。管理職の方がよく気を使ってくれていたという事実もある。あるときなんかはこうだ。「先生方、お疲れでしょうからお早くお帰り下さい」 昨今の教育現場では

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら その9 初めての教壇

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験当日

           朝の目覚めが最高に良かった。ホテルの朝食へと向かう。ダイニングのゲートに入ると、そこにはバイキングが用意してあった。特に珍しい光景では無いのだが。鯖のスモーク、だし巻き卵焼き、味噌汁におばんざい。最後に一杯のコーヒーをゆっくりと飲んだ。少し気持ちを込めながら。 身支度を調えて、ホテルを後にする。京都駅前は言わずと知れた名旅館や老舗ホテルが建ち並ぶ。その脇をすり抜けるようにただ前を見て地下鉄烏丸線へと向かった。北大路駅から京都市バスに乗り換えて佛教大学へ。 20余年振りだ

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験当日

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験

          決意すればあとは行動である。どの大学院にしようかと実はあまり悩まなかった。育ち盛りの子ども2人の父親であるがため、生活費を稼がねばならない。そうすると、働きながら通えて、しかも学費がリーズナブルであることが条件となる。佛教大学の通信課程に決めた。 ちょうどそのタイイングで本屋で見つけたのが、後の恩師となる指導教員の「メタファー思考」だった。英語教師として更に深い研究を重ねていくならば、やはり言語学だと思った。研究の世界も例に漏れず、高学歴で大学のブランドはかなりものを言うが

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 教育者・研究者として

          教員生活も充実していた。高校教員として実務をこなし、その傍らで家族の将来などを考えることがあったが、やはり面白かったのであろう。1年ごとの契約であったが、その時間・空間を僕は楽しんでいた。 県の教職員として生きていくためには、教員採用試験での合格が必須となる。しかし、僕は官僚社会に埋もれることなど何処かで拒絶していたのである。それは、アメリカを後悔のうちに後にしたあの瞬間がそうさせたのだ。逆に、年契約の先生などは、アメリカでは普通である。UWSPではHao haoと一緒にナ

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 教育者・研究者として

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら その6 アメリカ留学 帰国①

          アメリカ最終日の朝が来た。時計の針は丁度4時。こんなに朝早く飛行機が出るのかっていうと、出るのである。ルームメイトの友達が車を出してくれた。一路スティーブンス・ポイントの空港へと向かう。12月。朝というよりも、まだ夜って感じだった。寒空の下、2台の車は凍てつく朝焼けの中を突っ走っていく。前の車に、Joel, その友人,Hiromi, そして僕。後続車にはPaul,Sanae,Motokoが乗っていた。オレンジ色のライトが近づいてきた。空港というよりも、飛行場といった感じだ。僕

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら その6 アメリカ留学 帰国①

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら その8 教員免許

           久しぶりに会った友人との会話の中で、教員免許取得の話が出たときは、もうひと頑張りだと信じた。早速、佛教大学通信教育部に入学した。履修要項やリポート用紙といった資料が次々と送られてくる。それらを眺めつつも数か月前のアメリカでのことを思い出した。無念とは裏腹に、今は希望に満ち溢れていた。これで努力をすればまた希望の光が見えると信じて。 自分で立てた履修計画は2年間で修了するもの。免許の申請は中学1種・高校1種の外国語(英語)。教員をやるならば、やはり、大学に近い高校だと思った

          社会人 大学院修士課程 教師を続けながら その8 教員免許