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社会人 大学院修士課程 教師を続けながら 大学院受験 履修2年目 最優秀学生に選出される!①

大学院での1年間を無事に終了し、最終学年の2年目に突入した。指導教員から言われたことは、とにかく研究を続けて少しでも上に行くこと、だった。修士論文のテーマをきちんと絞って全てをこの1年で決着しなければならなかった。修論はMLA、APAどちらのスタイルでもよかったが、APAで全うした。ちなみに修論のタイトルは「through の多義記述に関する認知的アプローチ」となった。なぜthroughを選んだのか?という質問を受ける。それは、当方の趣味の一つであるフライフィッシングに関係するところが大いにある。それは、あるアメリカ映画だった。"A river runs through it."ブラッド・ピット主演の1992年アメリカ映画。教会の牧師を勤める厳格な父と二人の息子。そして働き者の母。映画の内容は割愛するが、このタイトルのruns throughがはじめて見た瞬間から妙に気になっていた。run throughの中心的意味は「走って通り抜ける」である。また、その直後のitが指すものは何か。恐らく、映画の中の「家族の絆」のようなものではないのか。とすれば、run throughには比喩的な意味が発生する。家族の絆のなかを何か川のごとく貫流するもの。映画のテーマに関連する奥深いものを感じた。決定である。throughを徹底研究しよう。

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一つの単語を徹底的に追求するなど、一見すれば浮世離れしている。しかし、新しい知見は人類に知恵と生きる力を与えていくのだ。

2年目も順調にスタートした。夏のスクーリングはやはり、猛暑の京都である。蒸し上げるような湿度と上からの刺すような日差しが照りつける。わかりきっていることだが、この年齢でまた学生をやれることに感謝し、邁進を誓った。指導教員とは、秋、冬の直接指導や浜松での学会で顔を合わせていたので、中間発表会前の面談もスムーズであった。一つ発見したことがある。通信であれ、通学であれ、最も大切なのは学生の意欲で有り、指導教員とのコミュニケーションだ。先生の言うことは全て正しい。徒弟関係をきちんと築けるかどうかが、成功の鍵となる。

先生は多忙であったが、一緒に食事の時間を設けてくださり、合っている期間は研究のいろはをたたき込んでくれた。時には歯に衣着せぬ勢いで。

中間発表会で浮き彫りになった問題点は、タイトルと論じている内容に若干のズレが生じていることだった。それを修正すべく、先生の研究室を度々訪れて、全てを吸収しようとした夏の日々であった。

この夏の京都で最も印象深かったのは、サントリーの山崎醸造所を訪れたときのことである。朝、といってもホテルで昼近くまでリポートの執筆を行い、何だか急に出掛けたくなった。駅近くで、京都ラーメンを食し、駅へと足を運んだ。路線案内図で目に飛び込んできたのは「山崎」の文字であった。京都から5駅ほどだったか。山崎で下車すると、徒歩で醸造所へと向かう。前述したが、京都の夏は「地獄」である。15分ほどで、山肌に醸造所が見えた。人がある目的地へと辿り着くにはそれなりの苦労や時間がかかり、動作の終了でそれが報われる格好となる。その空間は3次元的なものである。それがthroughに隠された意味だ。

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山崎で2時間ほど過ごし、ウィスキーの試飲も含めて有意義な時間を過ごすことができた。ホテルに帰ったら、明日のスクーリングの準備が待っていた。それはいよいよ後半のスタートである。


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