見出し画像

欲しいものは全部手に入るとは限らない

人生で最も難しいことは

人生を豊かに生きることや理想の未来を生きていくためには、自分を好きになったり、自分のやりたいことをしたりと、自分らしく生きることが出来ることだと思うのですが、その為には、自分を受け入れてあげることが大切であることが、僕がこれまで学んだ中で、ひとつの道筋となったんです。

自分を受け入れていくこととは、どういうことなのか。

それは、どんな自分をも認めてあげることだと思うのです。

例えば、僕はすぐに不安でいっぱいになってしまいます。そんな自分が嫌いでした。簡単に落ち込む自分を許せませんでした。その為にどうなってしまったのかというと、不安な自分や落ち込む自分を否定してしまうことになるのです。

そうなった時に、誰かが落ち込んでいたり不安を感じていたりすると、僕はイライラしたり、その人に対して嫌悪感を感じてしまうのです。そこで、ひとつ僕は、人生の豊かさを失っていることになります。

あらゆる自分を受け入れることが、他者を受け入れることになるのです。

ただ、このあらゆる自分をも受け入れていくことが、人生最大の難関であると思うようになりました。だって、それはあらゆることを手放していくことでもあるからです。

別れという苦しみ

人は生きる上で、成長しながら、人や物を愛するようになります。そうした中で、全てのものは変化するのです。その変化の中で必ず別れがやってくるものです。

そんな時に、僕らはどうしようもなく、喪失感を感じるものであります。それは、とても苦しいものです。

例え、過去のことでも、未来のことでも、欲しかったものをあきらめるのは、とても難しい課題であると言えます。

僕の過去を振り返ってみても、沢山のことを手放せずに、随分苦しみました。

本当に小さなころは、大事にしていたドナルドダックのぬいぐるみが好きでした。どこにいくのにも一緒でした。記憶にはありませんが、その時の写真のどれを見ても、ずっと抱きかかえて写っていました。どんなにボロボロになっても、どんなにやぶけても、離さなかったみたいです。両親は、みすぼらしいからと、新しいものを買ったそうなのですが、見向きもしなかったものだときいています。

小学生の卒業式の時に、友達との別れに、はじめて切なくも寂しさを感じました。僕は、普通にみんなと同じ中学に行きたかったのに、母が厳しかったもので、受験をして私立の進学校に行くことになっていました。卒業式のときも、僕だけがという思いから疎外感を感じて、駆け足で家に帰ったのを憶えています。

初恋は中学生の時でした。その子とは何度も分かれては付き合うような関係でした。きっと、このまま大人になれば、この子と結婚するものだと思っていたのですが、別々の道に進めば、あっけなく、連絡すら取らなくなってしまいました。それなのに、どこか僕のことを好きでいてくれているかもしれないという淡い期待を持っていましたが、その子が結婚すると聞いた時の、僕はどうしようもなく落ち込んだのでした。

高校を卒業してから、僕は夢を持つことが出来ました。それは、一流の料理人になって、成功することでした。とても、厳しい修行が続きました。長く耐えた結果もあって、チャンスがやってきました。あるレストランの店長兼シェフを任せられたのでした。大抜擢でした。ここで成功すれば、夢をつかむことが出来ると確信までしていました。しかし、僕は、ダメでした。大した人間ではなかったのです。何もかも上手くはいきませんでした。一度失敗したら終わりだと思っていたから、ダメだと分かっていても必死にしがみついていました。全てを捧げました。しかし、気がつけば電卓も打てなくなっている状態でした。それは、僕の夢が潰えてしまったことだということを、なかなか理解することが出来ませんでした。

僕にはずっと応援してくれた家族がいました。月給が手取り8万の時から、支えてくれた家族でした。僕は自分の夢を追いかけるのを口実に、長い間、ほったらかしにしていました。そして、自分の夢がダメだと分かると、生きる価値がないと家族を捨てて、命を絶とうとしたのです。それは、決して、許されざることでした。家族を失ってしまったのでした。

こうした過去の様々な別れを、手放せずに苦しみました。僕の意志ではコントロールすることは出来ないことが多すぎることに気が付きました。欲しいものは全部手に入るとは限らないということです。それを理解しておかなくてはいけません。

これからも、大切なものを手放しながら生きていかなくてはいけません。それでも、必要なものに向かって、努力していかなくてはいけません。

別れを乗り越えることで

それらを乗り越えていくためには、乗り越えることで、それらを受け入れることが出来るようになったということです。そこで、何かひとつ心を開くことが出来たということなのです。それはまさに成長なのです。そこに、人生の大きな喜びがあることを励みにするしかないと思うのです。

それは、何の為なのか。

二度も自分の命を投げ出した人間がいうものではないかもしれません。いや、死にたいほど辛いと感じていたのに、それでも、死にきれなかったからこそ、思うことができています。

人が最も手放せないものを乗り越えるためなのかもしれないということ。自分の命が尽きるとき。そこを受け入れる覚悟を持てるための成長とも言えるかもしれません。自分の人生に悔いなしと、本当に満足出来たと思うために。

お知らせです

お悩み相談はじめました!

人生に迷った時、どうしたらいいのか分からない時、誰にも相談できずに、苦しみました。いつか、僕自身も誰かに寄り添い、背中を押すことが出来たらと思い続けてきました。
だから、あなたのお悩みに、寄り添いたいのです。
どの記事でも構いませんので、コメント欄にてお待ちしております。

詳しくは、こちらを読んでください。

https://note.com/merci0313/n/n09653c4bfdcf


相談される方は上の記事内にある注意事項を読んでから、ご相談下さい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?