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ネガティブなことに敏感なのはわるいことなのか。

弱い自分

すぐに気持ちが落ち込む。大した失敗でもないのに、いつまでも引きずってしっまったり。ちょっと嫌な人がいれば、物凄く憂鬱になってしまう。落ち込んだ人をみたり、ネガティブなニュースを観たら、凄く引き込まれてしまう。ポジティブな気持で居続けることが出来ない。良いことが起きても、そんなはずじゃないと思ってしまう。何かと過去のことを引き合いに出してしまう。辛い過去にいつまでも囚われてしまっている。

僕はそんな人間なのです。そして、そんな自分が嫌いで仕方がありませんでした。

これまでの人生で、何度も何度も、そんな自分を変えようとしてきました。心から、変わりたいと願っていました。そうすることで、ずっと、そんな自分を否定し続けてきたのでした。

情緒不安定であることのメリットデメリット

先ほど書いたような内容のことを、誰かに話したら、きっとこう思われると思う。あなたは情緒不安定なんだって。実際に、近しい人に言われたことだってあるのです。

ある本で読んだことなのですが、この情緒不安定かどうか、その度合いはどうなのかという情緒安定性は幸福と様々な面で結びついていることが指摘されているそうです。それって、つまり情緒不安定かどうかは、幸福かどうかに、深く関係しているということだと僕は解釈しています。

その関係性は容易に想像することが出来ると思うのです。情緒不安定な人は、主観的に幸福度が低いものだということ。もちろんネガティブな感情を抱きやすくなります。そこに結びついて、人間関係での問題も起きやすい。常に、仕事でもプライベートでも、満足度が低い。更には、健康状態もあまり良くないものに繋がっていくものであるのです。更に、深く考えてみれば、情緒不安定かどうかは、ネガティブな物事に対する感度によるものではないかということです。

例えば、ネガティブなニュースを見た時に、激しく刺激され、あたかも自分に起きたように落ち込む人もいれば、ただ単に、嫌なニュースだなと思う程度の人もいます。気にしないようにしようとしても、そのことが頭によぎったりする人もいます。そのことで感じるストレスの度合いも人それぞれだと思うのです。

ネガティブなものに敏感な人は、警戒心を解くことは出来ないために、常にストレスを感じ続けています。そうやって、自分の心を危険にさらしているのです。そうすると、やはり様々な疾患の元に繋がるものであるといえます。

対照的に、情緒不安定でないと言える人は、浮き沈みの少ない精神状態で日常生活を過ごすことが可能で、人間関係の対立も起こりにくく、ネガティブな出来事にも上手く対処出来るものだと言えます。

こうして、情緒不安定であることとないことのメリットデメリットを考えてみると、心は安定している方が、良いものだと言えるのは、確かなようです。

自分の心の中の境界線で考えると、情緒安定性について、更に理解を深めることが出来ます。情緒不安定な人は、この心の境界線の線引きが安定していないから、きちんと線引きされていないということ。だから、ネガティブな出来事をすぐに自分の内側に引き込んでしまうために、敏感に心を反応させてしてしまうのです。この境界線を強く保つことが出来るのかどうかは、自分の心を守るうえで非常に重要であるのですから。

ネガティブに敏感なのはわるいこと?

情緒不安定であり、ネガティブなことに敏感なことは、デメリットしかないように感じます。しかし、それも自分という人間の片面であるということに多くの人が気づかないものです。

遺伝子においての面からしてみれば、このネガティブに敏感に反応してしまうのは、危険を察知するのに、有効に働いてきたと言われています。それは、自分自身に警告を鳴らすことが出来るというものです。例えば、嫌な人に、強く敏感に反応することが出来れば、避けることが可能なのです。自分を嫌な人から守り、辛い思いをさせずに済むのです。

更に言えば、クリエイティブな面でも開放的になれるという面もあるのです。ネガティブに敏感である為に、世界をとても複雑に考えてしまうようです。ですので、芸術や文化といったものに強い興味や関心を持つことが出来るそうです。僕自身も考えてみれば、芸術的なものがとても好きなのです。美術館に絵画を観に行けば、本当に心が洗礼されたような気持ちになれます。ある曲を聞いたときに、鳥肌が立つくらい心を動かされたこともあります。物語をみれば、自然と涙を流すこともよくあることなのです。

ネガティブに敏感に反応できるからこそ、喜びも悲しみも深く感じられるのです。物事の共感性が高いのです。人の痛みも分かるし、苦しみも理解することが出来る。それは、何か自分にとって新しいものが表れたときに、複雑に深く味わうことが出来るとも考えられるのです。

それは言い換えると、幸福も深く味わえると言えるのではないでしょうか。そうした感覚を持ちたいのかどうかは人それぞれですが、僕はたびたび幸せの意味を考える自分が少し理解出来た気がしました。

幸せを深く味わえるって、凄く嬉しいものであり、喜びに繋がるものだと思えるからです。

そう思うと、ネガティブに敏感な自分を、許せた先に幸福が待っているものだと感じました。

ネガティブに敏感なことはわるいことなのか?その問いに答えを出すことはできません。ただ、悪いことだけではない。そう思えるだけで、救われる部分があるのだと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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