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自分の可能性を無限に引き出すために

周りと比べるのはよくないけれど、僕は明らかに人より仕事ができなかった。だから、泥水をすするような思いを、それなりに味わってきました。当時は、本当に苦くて辛い嫌な思いをたくさんしました。しかし、今思うとそのおかげで成長することも出来たのだなと思えることがあります。若いうちは苦労は買ってでもしろという意味が少しは、分かる気がします。

でも、実はそんなにいい思い出ではないのです。下積み時代といえば、聞こえが良いもので、あれは、確かに、いじめでした。人権なんかあったものではありませんでしたから。それは、僕の人生に大きな影を落としていきました。

何をしても、そのいじめられていた時の自分に、ずっと引っ張られていたのでした。そこから、解放するためには、あの時のいじめのおかげで大きく成長することが出来たと思う他なかったのですから。

あの時、僕はどうすれば良かったのかって、ずっと考えてきました。あの苦しみ。あの悲しみ。それらを乗り越えていくには、考えた末に辿り着いたものがあるような気がします。自分の可能性を引き出す方法が僕なりに見気がしたしたのです。

友達の存在

いじめに遭っていた頃、僕はなによりも孤独でした。会社でそんな遭っているいるなんて、家族には、もちろん言えませんでしたし、友達にすら言えまませんでした。体裁を守っていたというのか、いじめに遭っているいることを認めたくなかったのです。僕にもプライドがあったからだと思います。

自ら閉ざしてしまったとはいえ、孤独は辛いものがありました。もし、あの時に、助けて欲しいと言う事が出来ていれば、大きく状況を変えることが出来たのかもしれないと、僕の中で後悔として残っています。

結果的に、僕は友達に大きな壁を作っていたのです。友達も、そのことに気が付いたために、離れていったのだと思います。あの時に、胸のうちを話していれば、友達としての絆も深まったのではないかと思ってしまうのです。

失うことで、人は気づきを得るとは、本当のことで、友達の存在の大きさを今は思い知ることが出来ています。友との関係性は、時と場合によって、様々な形に変化して、支えてくれるのです。時には、よき相談相手になってくれるし、時には、よきライバルにもなり得ます。近年では、友達という関係性は、もっと細やかに多岐に渡るようになってきたと思うのです。それが、サードプレイスにもなり得るのです。SNSで交流したり、趣味を共有する場所にもなったり。つまり、友の存在が間違いなく自分自身の可能性を広げるものであると思うのです。

何事にも一生懸命にやってみる

僕が、何よりも長い間、成長せずに仕事が出来なかったのは、本気になってやらなかったからだと思います。確かに、いじめは酷いものでした。しかし、それに屈してしまって、志も夢も目標も無くしてしまっていたのも事実です。なんで自分だけがこんな目に遭わなきゃいけないんだと、べそをかきながら、色んな仕事をしていたのは事実です。

仕事の基礎となる部分も、いじめのせいにして、嫌々やっていました。僕は腐っていたのです。多少は、過去の自分に対して厳しい気がしますしますが、もしあの時、何事にも覚悟を持ち、逆境に立ち向かうくらいに懸命にすることが出来ていれば、僕はいじめに屈しない心を持つことが出来たんじゃないかって思います。更には、そんな態度を示していたら、いじめは早い段階でなくなっていたのかもしれません。大人になってからのいじめというのは、その人の弱さに付け込むものですから。

そうやって考えると、自分の可能性を引き出すためには、何でもかんでも一生懸命することこそ、最も大事なことではないかと思うのです。一日を全力で生きようとするということは、自分の100%を知るということです。

100%の力が分かっているからこそ、力を抜くことだって可能なのです。そして、自分の現在地を知っているからこそ、101%が見えてきます。これが50%の時は、101%は見えてこないものです。それは、60%でも見えてきません。100%だからこそ、101%が見えてくるのです。更に言えば、人は慣れる生き物です。常に全力であることが普通になります。そうなれば、より一層に101%が見えてくるものだと思うのです。

目の前のことに100%心を込める。そこが、自分の可能性を広げていくための入り口になるということなのです。想像を超えていくためには、想像出来るところまで辿り着く必要があるのです。

何事に全力で駆け抜けろ。それではくたびれてしまうではないか。いつか、電池切れのように、無気力に陥ってしまうのではないかと不安を感じるかもしれません。でも、それは本気で毎日を生きていない人が言えるセルフだと思います。

僕は、あの時のいじめから学んだおかげで、毎日本気で生きている。他の人から見たら、それで本気なのって笑われると思う。だけど、構わない、これが、今の僕の100%だから。何をするにしても、本気になれるから、そんなところでと思う所で、心を揺らし涙することが多い。本気でいるから、本気になっている人だって分かるのです。本気になるから、時に失敗もしてしまう。本気でやったからこそ、自分を許せてしまうのです。

まだまだ、さぼるし、甘えるし、泣き言を良く言ったりもします。それでも、僕は必死になっていると、自分で認めることが出来る。足りないのは百も承知です。でも、確実に僕の可能性は無限へと一歩一歩近づいている。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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