海胆

音楽が好き それだけなのかもしれない

海胆

音楽が好き それだけなのかもしれない

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一年かけたが音楽に救われたのか分からない

12/23、北海道まで行って大好きなバンドのツーマンライブをみた。そこで私の2023年の全てのライブが終了。 何もすごくないが自分が周りの人より多くライブに行っていることは分かっている。 その分だけ音楽に救われたのだろうか。 夏に大きく全てに苦しくなった時に一週間仕事も家にも行かず知らない土地に行った。でも死ねなかったからある今の命のことを思うとその時聴いた音楽に救われたな〜なんて考えたが、音楽なかったら死んでたのか、そこに強く頷けない。 大好きなバンドのライブに行ったっ

    • 6月16日、日比谷音楽堂。

      私が苦しいのは 自分のことが好きになれないまま、日々を重ねているから。 目に映る綺麗な都会の景色に、何も感じない帰り道を歩いているから。 誰かに言われた言葉を、いつまでも気にしているから。 中学の時に死んだあの子の顔を、思い出さずに眠る夜があることに気付いたから。 それで、だから、何? 結局何もないから。 消えてしまいたくなる。 生活の中でそんな時期がある。 CRYAMYという音楽に出会ったのは2020年の初め。その日も、“そんな時期”だった。 私の思う愛情の全てがこ

      • 常に歌を常に届くように

        4/15 私の何よりも大切な世界、山田亮一の復活ライブに行った。 バズマザーズ活動休止前のワンマンライブに行くことが出来なかったし、五年ぶりにギターを持った彼を目の前にした。 待っていた けど、ただ生きていた の方が言葉としては正しい。 山田亮一が復活するまで死ねない!という気持ちが希死念慮を抑えたことなどない。死にたいけど死ねないな〜くらいでただ生きていた。でもそこにはいつも(山田亮一の音楽を聴きながら)がある。 確かな、生きる術であった。 本人曰く唯一の取り柄のギター

        • ずっと学校に行く事が苦手だった

          なんで?って聞かれると明確な理由は分からない。 単純にずっと私は、心の弱い子なのだろう。 幼稚園時代のことはあまり記憶にないが思い出そうとすると真っ先に“気持ち悪い”と思う。自分の意見を言えなかった私はこの時から強者と弱者を見てしまったのだろう。 小学生の時は、だれにでもあるような悪口を一瞬言われただけで学校に行きたくなくて毎朝泣いていた。みんなに合わせてニコニコがこの頃からずっと苦手で給食時間とか大嫌いだった。 中学生の時はいじめに加わる事を無視した日から分かりやすく

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        一年かけたが音楽に救われたのか分からない

          音楽を無理しないこと

          引き延ばされた青春の学生時代をこのバンドに青春と呼べる形にしてもらってから言葉に出来ない気持ちが塊で体内にある。 それが、聴かなくなったら終わりだ みたいな感情を生み出し自分の中の何かを焦らせていた。 そんな形で音楽を聴いて無理にプラスを作り出すことに誰に何の徳があるのか分からずCDを買うか迷っていたらサブスクが公開された。 とりあえず聴いてみたスマホから流れる音楽は最初は歌詞もついてなかったし流す事しかやることがなかった。そして、かっこよかった。 あの時、誰にも知られたく

          音楽を無理しないこと

          最近、音楽、思う事

          宗教なのではないかと思うほど全てを頼ってしまったロックスターが音楽活動再開の宣言をした。 それはそれは嬉しかったしお知らせを見た時は言葉を失った。 だがそれが永遠に再開せずとも、実は彼が死んでしまっていたという結末だったとしても、私は生きているだろう。 実際彼が生きているのかどうかも分からなかった時ですら、幸福も絶望も経験し受け流しては呼吸をしていたから。 それでも嬉しい出来事であることは間違いないし、久しぶりに生きていて良かったと思った。 明日死ぬかもしれないのは皆同じなの

          最近、音楽、思う事

          私が書きたい20バンド

          これが私の好きの言語化。 タイトル通り書きたいと思ったバンドで、ここに書いていないけど大好きで仕方ない音楽はあります。年末年始に時間があれば少しずつ見てください。 (全てのバンドマンのお名前は敬称略です。 きっと正解のバンドの在り方みたいなものは書いてないので適当に読み流してください…) 1 BUMP OF CHICKEN 原点。初めてCDを買ったのも彼らだ。 小学生の頃から聴き続けていて、当時理解できなかった歌詞が年齢を重ねるにつれ心臓がえぐられるような感覚に陥る。

          私が書きたい20バンド

          音楽に捻くれている事を正当化するな

          「この人より私の方が音楽好きなのにな」 自分の好きな音楽で承認欲求を満たす人達を軽蔑し、日曜日に繋がりたがる人を見ては数字になりもしない好きの量を比べたがる。 「時間は関係ない新規も古参もないよ」 なんて言いながらも自分より最近好きになった人が語る言葉が心のどこかに引っ掛かる。 「このバンドの曲がこの人に響くはずがない」 その人のことを何も知らないくせに軽率な発言をした。 「代弁者だ」 バンドが歌う “上手く生きていけない自分” に自身を当てはめては、その場から動こうと

          音楽に捻くれている事を正当化するな

          真っ赤な空を見ただろうか

          毎年夏に鬱になっている。 たまたまかもしれないし気温や熱すぎる太陽がそうさせているのかもしれないし、分からない。 今年もそんな夏だった。 ここ最近はそんな夏の面影なく、秋を知らないまま寒さで服装選択の失敗を繰り返して軽く苛立ち、そんな軽い苛立ちに心を弾ませている。 日没がだんだん早くなり夕暮れが美しく、気付けばスマホを空に向けている。そんな時にBUMP OF CHICKENの『真っ赤な空を見ただろうか』という曲が頭に流れ、この曲が夏のあとの私を掬い上げてくれたことを思い出す

          真っ赤な空を見ただろうか

          さよならポエジー

          ずっと、生きて行くことへの焦燥感に追われ何をしても劣等感がなくなることはなく、誰かになりたいと願うことばかりの人生だ。 いつだって隣の芝生は青くて、それだけなのに。 そんな私の中にさよならポエジーという愛してやまないロックバンドの音楽はいつも“すり抜けていく” 音楽が“刺さる”という表現は割とよくあるが、さよならポエジーを考えた時にそれは自分の中でピンと来なかった。 彼らの音楽が真っ直ぐで正面からぶつかってくるような音楽ではなく、後ろから背中を押してくれるような音楽でもなく

          さよならポエジー

          私の孤独が大阪城ホールまで

          「2024年3月24日大阪城ホールでワンマンライブをします。」 私の中で特別な存在のバンド、ハンブレッダーズが2日前に大阪城野音のライブのアンコールで発表した。 寂しい そう言ってる人がいて だから埋まるな そう言ってる人がいた。 そういう間違っていない気持ちを持っている人は大切にしてほしいと思った。 その上で私は おめでとう そう思ったし 絶対に埋めたい そう思った。 発表のあと、全てを噛み締めるように下を向き両手をあげたムツムロアキラをみて私の気持ちも間違っていない

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          死にたい日に音楽を聴く

          安全地帯で140字で表せない激イタな音楽への愛情と不信感。そして自己憎悪を綴っては、下書きにしまって、結局1ヶ月noteを更新していなかった。 この1ヶ月で私は生活環境が大きく変わった。 でも相変わらずライブハウスに通っている。 丁度1ヶ月前、本気で苦しい出来事があり、鬱が来た。 解決はしていないが、逃げることをした。 今は苦しい環境から離れることが出来た。思い出す記憶が最悪でも少し人生を踏み出せたし“辛いことから逃げることができる”これも立派なことだと自分を褒めてあげた。

          死にたい日に音楽を聴く

          時速36km、私はどうしたらいいのですか。

          “狂おしいほど透明な日々に” 時速36km、大好きなバンドがアルバムを出した。 なんで、今日なんだ。 私は昨日の夜、大好きな銀杏BOYZのライブに行った。 終わってスマホを見たら職場から大量の連絡。 私が悪い話ではない気がする内容で大人に責め立てられた。 謝った。戦えないから、謝った。 ずっと職場が嫌いだ。みんな汚くて自分の事しか考えていない。本当に空気が苦しいんだ。 ただ、戦えない自分がもっと嫌いで苦しいんだ。 毎日行きたくない。 “銀杏BOYZ見たしもうこのま

          時速36km、私はどうしたらいいのですか。

          BUMP OF CHICKENの歌詞と私の人生

          BUMP OF CHICKEN 小学生 彼らの代表曲天体観測で知った。 なんてかっこいい声なんだろうと思った。 何故か天体観測の入っているjupiterではなく ユグドラシルというアルバムを買って母にウォークマンに入れてもらった。 今思えばあの時の私に藤原基央の紡ぐ歌詞の孤独も社会も痛みも優しさも理解出来なかっただろう。 ただ彼の歌い方が大好きだった。 中学生 私は女の子特有の陰口文化に耐えられなかった。 言うのも言われるのも面倒くさい。なんて言ったら余裕そうに見えるか。

          BUMP OF CHICKENの歌詞と私の人生

          死の夏を超えた8月32日

          夏が嫌いだ。 暑いから、眩しいから、忙しいから。 本当にそれだけ。それだけあれば嫌いな理由になって良いと思っている。 ヘッドフォンが相棒の私にはどう考えても暑い。 聴いてる音楽で体温なんて変わらないのに誰かの作った『涼しくなるプレイリスト🎐』などをみて少し笑ったりした。 みんなの作る夏のプレイリストを見ては、キラキラしていて眩しくて これを聴ける人は心が健康なんだろうな。 なんて思う。 「しの夏を超えたい」と口ずさむ私。 ゆれるのSHINONATSUという曲だ。 毎日こ

          死の夏を超えた8月32日

          優しさの真似事のエゴ

          優しいねって言われる事がある。 優しくしようと生きてるから。そう見えてるなら素直に嬉しい。 優しくしようと生きてる ことは果たして、 本当に優しい人 なのか分からない。 BUMP OF CHICKENの透明飛行船という大切な曲のこの歌詞に何度も心を奪われた。 “優しさの真似事のエゴ” 私はこれをたくさん持っている。 優しくする事でしか自分の存在価値を生み出せない。 優しくしたい人のために生きたら自分のためになっている。自分のために人に優しくする事を選択しているだけだ。

          優しさの真似事のエゴ