常に歌を常に届くように
4/15 私の何よりも大切な世界、山田亮一の復活ライブに行った。
バズマザーズ活動休止前のワンマンライブに行くことが出来なかったし、五年ぶりにギターを持った彼を目の前にした。
待っていた けど、ただ生きていた の方が言葉としては正しい。
山田亮一が復活するまで死ねない!という気持ちが希死念慮を抑えたことなどない。死にたいけど死ねないな〜くらいでただ生きていた。でもそこにはいつも(山田亮一の音楽を聴きながら)がある。
確かな、生きる術であった。
本人曰く唯一の取り柄のギター。それが四年間弾けなくなり戦っていた彼の久々のライブハウス。
そしてまたここニヶ月全くギターに触れることができていなかったらしい。
19:00開演、驚くほど時間丁度に入場し、
椅子に腰を掛け、ギターに触れた。
彼の深呼吸、はやくなる呼吸、「大丈夫。大丈夫。」と自分に言い聞かせるように呟いていた言葉と美しい音色だけがそこで聞こえる音の全てだった。
この数分は心配が強かった。見えないものと戦っていた。勝手ながら、応援なんてものを心の中でしていた気がする。
そして、少し弾いたら「楽勝」と言ってあの素敵な笑顔を見せた瞬間に緊張感が一気に解けた。
同時に私は涙で溢れていた。
一曲目、Nice to meet you
イントロの一音で確信するあの感じが本当に嬉しかった。
あらゆる弱者を巻き込んで鳴るミュージック。
これが私の世界を作ってくれたこと、山田亮一と同じ時代を過ごせて良かったと思う。
そのまま「多分聴きたい歌うたいます」と言い始まったリボルバー
人生の共犯者だ。やっぱり一番聴いてきたのはこれな気がする。
常に愛を〜 やっと山田亮一と歌えた。泣きすぎて苦しかった。美しすぎる空間に立ち会えた。
常に歌を 常に届くように
こんなの聴いてこんな時間過ごしたら、もう時間を空けないでなんて簡単に言えないけど簡単に思ってしまった。こんなことは届かなくていいけど。
でも、「みんなに会いたかった」そう言ってくれて嬉しかった。
セトリ↓
ここからは記憶の限りで。
「世界が病原菌に侵されたとき、世界終わるんちゃうかなて思って、ちょっとガッツポーズしました。世界終わる、よっしゃみたいな。悲しいけど世界の終わりに立ち会えるのって嬉しいし。終わってまえと思っていました。」という話をしていて、私もあの時全てがどうでもよくて世界なんて終わればいいと思っていた事を思い出したと同時に、あの時世界終わらないでくれてありがとう、私は今山田亮一の音楽が聴けている。という感情が押し寄せた。
「そんな中お世話になっているライブハウスの営業が大変って聞いて関係のないことじゃないんだと。何かできることはないかと思った。いちミュージシャンに世界を救うことは出来ないんですけど。〜こんなメロディが頭に浮かんだ。」なんて話しながら、夕暮れ を聴かせてくれた。
“悲しみが消えることはなくても抗う術がありますように”
本当に素敵なメロディだ。
「鬱病のやついる?躁鬱持ってるやついる?分裂症持ってるやついる?パニック持ってるやついる?パニック持ってるやつのことは助けてあげてな。
〜俺は躁鬱病の罹患者で10代の頃から苦しんできた。さぞ人に嫌われて生きてきました。俺の歌好きな人ってたぶんそういう人いると思うし、そうじゃない、精神病の罹患者じゃないって人もどうぞ精神科の病院に行ってください。なんかの病名はもらえるはずです。」
山田亮一の音楽が好きな人は〜みたいな言葉には抵抗がある。誰にも理解されたくないし、誰かに理解してほしいし、誰か誰か。を小さく小さくして生きてきたから。でも山田亮一の音楽が好きな人が、自分は人とは違う で苦しんできたことを線で繋いだらどこかで交わりそうな気がした。
心が雨漏りする日には
大好きな曲でまた泣いてしまった。
「心が雨漏りする日には山田亮一の歌を思い出せ!」そう言って長い長い拍手があった。
胸に刻む。いや人生に刻みたいし恐らくこの言葉を忘れることはないだろう。
ギターが弾けるようになって部屋でシクシク泣きながら作った曲も、ラララと歌えた幻によろしくも聴けて幸せだった。
少し異様な雰囲気のするフロアと、そこを愛おしく思っているような表情を見せてくれるステージの彼がいて、次の曲が分かる度高鳴る自身の心臓が“生きてて良かったね”と言ってくれているようだった。そしてステージ上の人に“生きていてくれてありがとう”とこんなに強く思ったのは初めてだった。
でも、最後までの感情の記憶がどんどん薄くなっている。ライブに慣れた からだと思う。
気付いたら終わっていた。
ありがとうございました。やっぱりあなたの音楽が大好きなままだった。
正直、ライブのチケットを手にしてから一度も死にたくなってない事もなくて、なんならライブ前夜はここ最近で一番しんどい夜だった。
楽しみ=生きる希望 この考えがいつから出来なくなってしまったのだろうな。
でも、この足で向かって音楽を聴いた。
彼もきっと想像できない何かを背負って抱えて鬱が来てギターが嫌になって、でもその足で立ってくれた。歌を歌ってくれた。
一緒に歌を歌った。
あなたが死んだら私は当然悲しみに暮れてどうすればいいか分からなくなる。が、生きていくことを続ける。これは絶対。
でもあなたが放った「長生きしてみせるし命ある限りみんなのために歌う。あと大事な自分のため。」を信じていたい。何年も何年も生きる術をくれた人だから。
でも一番はどうか出来る限り健康で。なににも急ぐことなく過ごせますように。
それが思うこと。ずっと変わらない。
次の約束は何もないが「またすぐ会えそう」そんな気がしてライブハウスを出た。
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