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ずっと学校に行く事が苦手だった

なんで?って聞かれると明確な理由は分からない。
単純にずっと私は、心の弱い子なのだろう。

幼稚園時代のことはあまり記憶にないが思い出そうとすると真っ先に“気持ち悪い”と思う。自分の意見を言えなかった私はこの時から強者と弱者を見てしまったのだろう。

小学生の時は、だれにでもあるような悪口を一瞬言われただけで学校に行きたくなくて毎朝泣いていた。みんなに合わせてニコニコがこの頃からずっと苦手で給食時間とか大嫌いだった。

中学生の時はいじめに加わる事を無視した日から分かりやすく嫌がらせを受けた時期があったり、友人は自殺するし、人が命を落としても笑いの絶えない教室とか大人とか全部許せなかった。
あとはそもそも歌のテストとかダンス発表とか人前でしなくても生きていける事をわざわざやらされる事とかずっと理解できなかった。

地元の人が誰も行かない高校に行くと決め進学したが高校時代はとにかく教室の空気感が苦手で、これは幼稚園の時に抱いたものに近かったのかもしれない。決定的な辞める理由もなく部活を引退した二年の途中から進級ギリギリラインでしか学校に行っていなかった。ここで確信したのは環境じゃなくて自分の性格が自分を苦しめていること。その真理に気付いた日から時々鬱になりながら歩んでいる。
大きな鬱が来た時隠しきれず高校辞めたいなと家族と友人に話した事がある。
母は「やめたかったらやめればいい。そんなに困るものじゃないから我慢する必要ない」と。
父は「一度やめたなら逃げ癖がつくことを忘れるな」と少し厳しいことを言われたのを覚えている。そして最後に「幸せになりなさい」と言われた。
同居している祖母は「つらかったね」それだけ言っておいしいものを作ってくれた。
兄は「そうなんだ」それだけだった。
それぞれの形で愛情だと受け取った。
地元の友人は一緒に涙してくれ、数少ない高校の友達は「やっとそういう決断しようとしてくれて良かった」と苦しんでいたことを知っていた故の優しさをくれた。

全ての時代にこういう友達と家族がいたし、頭が悪すぎた事も運動が出来なすぎた事もなく、周りから見たら“普通”の学生生活を送っていたと思う。
高校に行っていなかった時期も何かを抱えすぎていたとはほとんど誰も思っていないだろうし。
それで良かったと思う。だって成人式で会った久々の人達に気まずく思われる事もなかったし。

そして社会人二年目が終わろうとしている今、学校にちゃんと行っておけば良かったなって思ったことはない。
そもそも学歴でしか判断できない人とは関わる理由がないし、学校にいなきゃ仲良くできない友達なんていらない。
でもこれって今だから言える話であって、その時は友達や未来の不安ももちろんあったが、
今現在の周りが出来ていることが出来ていない自分とか劣等感がかなり苦しめた。生きている心地を求めている事実に殺され続けた。

そんな日も死ねなかったからここに書いてる。


甘ったれるなと思う人がいて正しいと思う。
でも自分の物差しで人の苦しみを測ることは絶対に出来ないから、甘ったれ=苦しくないだろとはなってほしくない。

そして頷いてくれる人がいるのならば少し嬉しいのかもしれない。

誰にだってあることだからって苦しくないわけじゃないでしょう

銀河鉄道の夜明け/時速36km

私がずっと聴き続けている音楽です。
この歌詞の通りだと思うから。

いつだって私のようなあなたが、悲しいことの全てが届かない場所に行けるよう願っています。

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