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音楽に捻くれている事を正当化するな

「この人より私の方が音楽好きなのにな」
自分の好きな音楽で承認欲求を満たす人達を軽蔑し、日曜日に繋がりたがる人を見ては数字になりもしない好きの量を比べたがる。

「時間は関係ない新規も古参もないよ」
なんて言いながらも自分より最近好きになった人が語る言葉が心のどこかに引っ掛かる。

「このバンドの曲がこの人に響くはずがない」
その人のことを何も知らないくせに軽率な発言をした。

「代弁者だ」
バンドが歌う “上手く生きていけない自分” に自身を当てはめては、その場から動こうともせず何もしてないくせに楽な言葉で全てを片付た。 

感傷を作品に変えるエネルギーを持つ人に頼り、消費者は聴くだけでいいよな。
消費者は じゃないか、 私は だ。
好きなことに対しての感情が綺麗ではないことに自己憎悪する日々だ。


『捻くれている』まあそうなんだろうなと思うが共感性の薄い人間だという事を誤魔化しているだけ。
みんなと同じが普通の定義だとしたら私はずっと、普通になれなくて普通のフリして普通じゃなくいることが自分だと思い、そうしないとやっていけない程には自分に何もないことを感じる事が本当に本当に痛い。
音楽しか好きじゃないのに、音楽が好きが自己中心的で薄っぺらいことに目を背けていないと生きていけない。

学校に通うことが苦しかった時も、私の光だった人の光が自分ではなかったと知った日も、友達が自殺した日も、上司に嫌がらせを受けた日も、全てに怯えて電車に乗れなかった日も、傷ついた日も傷つけた日も
音楽を聴くことしかしていないんだ。

かっこつければ、生活の一部
かっこつけなければ、逃げ道
いつからか、逃げ道に行くことが生活の一部

そういう偏愛者を分かってくれたロックバンドに心を奪われたが、偏愛者が圧倒的少数派であることに気付いた時に苦しくなった。

やっぱり娯楽は娯楽であるべきだ。
捻くれ者は間違っていないかもしれないけど、絶対に偉くない。開き直るな。

ちゃんと生きた上で音楽を聴いて、
明日も頑張ろう となりたい。


この文章に何も感じないあなたも、何かを思ったあなたも、ここまで読んでいただけたということは音楽好きなのだろうな。

音楽で呼吸がしやすくなれていたらいいなとあなたのことを何も知らないけど本当にそう思う。

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