見出し画像

私が書きたい20バンド

これが私の好きの言語化。
タイトル通り書きたいと思ったバンドで、ここに書いていないけど大好きで仕方ない音楽はあります。年末年始に時間があれば少しずつ見てください。

(全てのバンドマンのお名前は敬称略です。
きっと正解のバンドの在り方みたいなものは書いてないので適当に読み流してください…)

1 BUMP OF CHICKEN

原点。初めてCDを買ったのも彼らだ。
小学生の頃から聴き続けていて、当時理解できなかった歌詞が年齢を重ねるにつれ心臓がえぐられるような感覚に陥る。人生に何かがある度に彼らの楽曲ひとつひとつ特別に思う。まだまだ子供な私もその度に少し大人になったと錯覚してしまう。だからこの年代に生まれてよかったと思う。いつだって“あの時の気持ちの音”であるから。
どこが好きかと言われたら、
聴き手に期待していないところ と答える。
これは突き放した意味ではないことは彼らの音楽に触れるとすぐに分かる話だ。
音楽を聴いてくれる人 である以上彼らは歌を届けてくれる。それは日常での善悪を問われていないようで自己肯定感の低い私にとっては心地の良い居場所だ。
全て言い換えれば、求めている人間に確実に音と言葉をくれる。
辛い“過去”とか不安な“未来”とかそんなものみんな持っていてたくさんあるだろうけど、BUMP OF CHICKENはそんなことを考えている“今”の自分に優しさをくれる。そういう音楽だと思っている。居なくても、居てくれるバンドだ。

2 バズマザーズ

偉そうなことを書いてしまいそうだが、
演奏力や歌詞力の圧倒的さは間違いなく
山田亮一が関わった音楽だと思っている。
私は山田亮一という本当に魅力的な人が大好きだ。彼の紡ぐ言葉と音楽に絶対に他では得られない気持ちがある。
バズマザーズ、歌詞がとにかく自嘲的だ。
人間味で溢れている。世の中へのやるせなさを歌うバンドはたくさんいるのに、彼の語彙から引き出され作られた歌詞は本当に刺さる。ただ、刺さるだけ。それだけだ。聴き手を肯定し続けてくれるような歌詞ではない。
だからこそ、劣等感を抱いたような、世の中の理不尽に潰されそうな、自分で自分を生きづらくしてしまうような私という人間は、そんな世界で生きていくどうしようもなさや希望を出会った日から全て山田亮一に頼ってしまった。一緒に生きているような、そんな感覚にある。
そして何故、彼の前バンド[ハヌマーン]ではなく[バズマザーズ]を書いたかと言うと、もちろんどちらも愛しているが、私はハヌマーン山田亮一を経て作り上げたバズマザーズ山田亮一のもがいて作った音楽が好きだからだ。
バズマザーズは無くならないからだ。そう山田亮一が言ったから。
今彼は何をしているのだろう。ずっと待っているけど、待っていることなんて知らなくていい。好きな時に音楽してほしい。それなりに幸せを感じて生きていてくれたら嬉しい。彼に対して無責任にいつもそう思う。

↑下書きに入れていたら彼がまた4月から音楽活動を再開するらしい。それだけでひとつのnoteにする。とりあえず、また音楽がしたいと動き出した事が何よりも嬉しい。私も彼も生きていてよかった。そしてまた私も彼も死ぬわけにはいかない理由が出来た。

3 teto

薄っぺらく聞こえてしまいそうだが、小池貞利という私の愛しているバンドマンは本当に生きるロックだと思う。
tetoで私の中の小さな世界を正しいと歌ってくれた彼は今the dadadadys(以下 ダダダ)というバンドになって、変わらずうるさくて少しおかしくて、誰かの希望である音楽をしている。
でも私はtetoに出会った時の衝撃もtetoの存在がなくなると知った時に苦しくなった呼吸も、忘れられないまま生きている。
どうにか普通のフリして世の中を生きてる人間達に、音楽という居場所をくれた。tetoはそういうバンドだった。
土砂降りの日比谷野音が私の最後のtetoになったこと、いつまで経っても腹が立つ。腹が立つんだ。それなのに輝いていた名前を変えた彼の行動全てがどうしようもなくロックだと思ってしまった。だからダダダに変わった時ライブに行くことあまり怖くなった。
実際いまもtetoの曲を歌ったり再録していたりする。彼が自分の曲を好きなことが何よりも嬉しい。歌いきれなかったtetoを歌うthe dadadadysの小池貞利。ダダダの音楽はこうだ とまだ言えない。だから書かない。
ただこれだけは言えるのは、tetoもダダダも小池貞利の過去の気持ちや後悔が音楽に昇華された時に素晴らしい作品になっていること。彼の作る曲の魅力はここだろうなと出会った時からずっと思っている。
でも、いや、だからこそ、仮にtetoの曲を一切歌わない日が訪れても、ダダダのライブに行くだろう。そこにはいつだって外で普通のフリした人間たちが小池貞利の前で狂う姿がある。それが好きだったりする。
そして何より小池貞利が歌いたい曲を歌えているなら、それを見ていたいと思うから。

4 時速36km

息を続けるには彼らの音楽が必要だ。大袈裟ではなく時速36kmがいなかったらどうなっていただろうって思うタイミングが何度かあった。
苦しいときに音楽を聴こうとする時、一番最初に思い浮かぶバンド名は“時速36km”だ。そういう存在だ。好きより先に感謝が出るバンド。
音楽で起きている状況は救えないし言葉なんて人に投げる上で全て無責任なエゴだと思っている。それを理解した上で歌ってくれたバンドが彼らだった。それは私の人生で初めての出会いだった。
言葉は無責任だから生きていく中でどこにも当てられなかった気持ちや思想があって、それを音楽にしたような感じ。そう見える。だから直接的に“ひとりじゃないよ”なんて言葉はないけど、そう伝えてくれる。希死念慮すら撫でてくれるような音楽。押し付けゼロの優しい思想の彼らのことを自分の思想として好きでいることが何よりも嬉しい。
そしてボーカル仲川慎之介がBUMPファンだと知った時、私が彼らを好きになるのはこういう運命だったのかもしれないと思った。
初めて見た時、私がBUMP OF CHICKENで号泣した日を思い出したから。
これからも私は彼らに縋ってしまう自分に腹を立たせながら、再生ボタンを押し続けるだろう。
その手を伸ばすことが出来たなら“ここにいるよ”と歌ってくれるから。ライブに行けば、“幸せになってください”そう願ってくれている時速36kmを信じている。彼らにこの手を伸ばし続けたい。

5 a flood of circle

(以下 フラッド)
ロックンロールという言葉、私はここにしか使わない。かっこよすぎる。
フラッドのライブが大好きだ。フラッドのお客さんが大好きだ。
フロアが苦手とか好きとかでバンドを決めるのはどうなのかと言われるかもしれないが実際お金をかけて足を運んで行くなら素敵なフロアに存在したいと思う。私は音楽好き故に捻くれているを言い訳にしているただの我儘人間だから、嫌な客は嫌だし同じ音楽浴びてようと仲間だなんて思いたくない。ただフラッドのライブに行くと、お客さんの暖かさに毎回感動する。もうこれは来た人にだけ伝わればいい話。
コロナが流行り出しては収まって(収まったかのような世の中)が繰り返している時、フラッドに会いに千葉に行って、その時佐々木亮介が言った
「バンド始めて15年。でも今日がその中で1番大事。」何故かすごくあの時の顔が鮮明に脳裏にある。あの時自分の中で苦しい期間だったからか。フラッドを好きでいることが本当に誇らしくなった。勝手に。これが私の大好きなa flood of circleの佐々木亮介だ。最新が1番。だからライブに足を運びたくなる。更新し続けている。
このバンド、ロックンロールナンバーが最高なのにバラード曲が最高。まだまだ生で聴いていたい。
私の大嫌いな世界も、素晴らしい。
生きること。
教えてくれたのは佐々木亮介だ。

6 コンテンポラリーな生活

コンテンポラリーな生活(以下 コンポラ)朝日廉。
彼は主に3つの顔があって、ネクライトーキーのギターボーカルであり、ボカロPの石風呂であり、そしてコンポラのギターボーカルである。
朝日廉が作詞作曲をして歌うコンポラ、絶対にもっと多くの人間が聴くべきだ。もう気持ち的には、世の中を生きるヘタレたち何故聴かない?の方が強い。私がここまでの感情になっているのはコンポラだけだ。あまりにも等身大ヘタレを高度なギターにのせ軽快に踊る。歌う。着飾らない。
私の人生、特になにも頑張らずただ適当に生きてるくせに自分のこと好きになれなくて落ち込んで、なにも動いていないからどこにも行けないのにどこにも行けない事にしんどくなる。本当になにがしたいんだ。
そういう私みたいな人、いると思う。
そんな人間のヒーローでいてくれる。でもそんな人間の背中を押して歩け、走れ、そういう音楽ではない。肩の力を抜いて息が出来る。言葉が重複するが、等身大 だから。
人々の背中を押したりそこから這い上がろうとする力をくれることだけがロックじゃない。ロックが眩しい必要なんてない。歌詞が隣にいてくれてギターで掻き消してくれたのはいつだってコンポラの音楽だ。

7 さよならポエジー

生まれ変わってもさよならポエジーが聴きたいし死ぬ前にさよならポエジーを流してほしい。
縋り続けて生きている。
歌詞は難しい言葉が多い。ただ、難しい言葉を繋いだだけではない。文学的。音楽でこれほどまでに言葉の美しさを感じた事はない。私の中のロックバンドという概念がぶっ壊れた。
それは真っ直ぐで正面からぶつかってくるような音楽ではなく、後ろから背中を押してくれるような音楽でもなく、ただ日常であった。
自分自身を好きになれず誰かになりたいとばかり思っていた私に、どう足掻いても誰にもなれないから自分でもがいて上手く生きていくしかないこと。というどこかで分かっていたことを彼らなりの焦燥感というメロディに乗せて歌ってくれたことに居場所を感じた。
オサキアユの感性と彼自身の才能で紡ぐ歌詞は唯一無二。きっと大多数の共感は得られないだろうし、大多数がこの音楽に共感していたら世界は回らないだろうなとも思う。
音楽という作品が美しい。こんな気持ちは少数派でいいに決まっている。が、確実に彼らの聴き手側はそう感じている。
ただ、ここまで歌詞が魅力的なのに、彼らのメロディーやライブの爆音はギターロックだ。だからもっと多くの人に見てほしいとも強く願う。
ライブの中で、音楽で世界観を描く、魅せる。これを見ている側が感じられる事って本当に魅力的だから。
きっとこれからも私は音楽があっても特に変われず難しく生きてしまうが、さよならポエジーのおかげで生きていく事が出来る。
救われたって表現はあまり多く使いたくないなと思うがこれしか当てはまらない。私はさよならポエジーに救われた。この感性のままで生き抜こうと思わせてくれたことがこんなにも誰かの人生肯定になっていること。感謝している。
上手く 生きていこう。

8 THE BOYS&GIRLS

(以下、ボイガル)
気持ちは変わっていないので過去のnoteから引用しているところあり。
キャパの小さいライブハウス、いわゆる小箱。
初めて私が小箱でみたバンドはボイガルだ。
その時に聞いた「俺の前で今生きててくれてありがとう。」何年経っても頭に中でリピートされている。
ワタナベシンゴ、彼の作るライブはそこに存在する全ての人に優しい。後ろで見ている人も前でダイブをする人も、全員を「かっこいい。」そう言ってくれる人。誰のことも溢さない。絶対にその日だけのライブをしてくれる。ライブはドラマだ。同じライブは絶対にない。足を運んだ人だけの特別をくれる。
そう初めて感じたのもボイガルだし、この感情をこの先ボイガル以上に感じるバンドはいないだろう。ワタナベシンゴという最高のフロントマンが音楽を続けているから。
ずっと、彼の優しさや真っ直ぐさや飾らない弱さに惹かれ続けている。
彼のことを知れば知るほど、繊細な部分が見えてくる。人に希望を与える人間が 誰よりも強い なんて必要はないんだなと思う。それが嬉しかったりした。
バンドを好きを続けていると“変わったな”と思う瞬間があってそれは当たり前だと思う。でも、彼だけはずっと良い意味で変わっていなくて、変わらないから、嫌でも変わっていく私の生活環境の支えだった。日常を引きずっても良いと思える音楽だから私はボイガルが聴けない気分の日がない。嬉しい事があった時も苦しい時もボイガルが日常にいる。
今は正式メンバー1人。サポートメンバーを含めバンド形態でライブをして「俺たちが札幌のTHE BOYS&GIRLSだ。」という挨拶をしている。汗っかきのボーカルしかメンバーがいないかっこ悪くてかっこよすぎるバンド。彼が止まらないから私も止まらない。
ワタナベシンゴが音楽をしている限り、ロックバンドから離れることはない。

9 ハルカミライ

6年前、上に書いたボイガルの対バンで出会えたバンド。
あの日からずっと目が離せない。ライブを積んで積んで積んで大きくなったロックバンド。ライブが好きなバンド。武道館を埋められるし幕張メッセでライブが出来るようなファン数を持つ。彼らは今日も小さなライブハウスでライブをしている。箱のキャパなんて関係ない、いつだってそこに来た人の心を動かすライブをしている。そういう真っ直ぐに音楽が好きな姿勢が大好きだ。
初めて見た時からずっと始まりの曲は一緒だし特別な演出があるわけでもない。だけど彼らのライブをみたあと、「今日は特別な日だな」なんて思うし同じ夜を過ごしたことはない。
彼らのライブはお客さんを巻き込み、欲しい言葉をくれる。例えば最前でニコニコしている人、泣きじゃくっている人、初めてライブに来た人。その誰かの笑顔や涙の想いを受け取り自分達の音楽に乗せることが出来るバンドはハルカミライしかまだ知らない。これは彼らの眩しい太陽のような熱さが優しく暖かいからだと思う。そんな優しさがそのまま音楽になる美しい瞬間を何度も目撃させてもらったおかげで、世の中を生きる中で汚い大人を何度もみてもやっぱり私は汚い人間になりたくないと思う。ハルカミライのライブで感動する人間でいたい。
彼らの音が鳴る場所を人々が求めている。その人数が年々増えていることに納得しかない。ただどんなに大きくなろうと彼らは正体はずっとライブハウスバンドなのだろうと思う。

10 銀杏BOYZ

音楽を聴くに置いて、歌詞への共感や、聴き手側が「自分のための音楽」なんてものも捻くれも尖りも自由で勝手で尚且つ自己満足だ。
だから堂々と言うが、
私は銀杏BOYZが分からない。ずっと届かない。
狂うほど誰かを愛したことがあるのだろうか。人生経験上、歌詞の全てに共感は出来なかった。
それでも銀杏BOYZ好きな気持ち負けてるな〜って誰かに対して思ったことはない。戦っているわけではないが、気持ち的に。
私の銀杏BOYZへの好きは、憧れという言葉が1番当てはまる。
誰かを想うときに出てくる汚い感情。好きな人の周りにいる人間。あの子を狂わせたあいつ。
それらに対し清々しいほどに、汚い感情になる。ただ彼の音楽に乗せたその感情たちの色は真っ黒ではなかった。
世界が真っ黒にならないための音楽。それが私にとっての銀杏BOYZ。自己満足に愛している。

11 CRYAMY

踊れて幸せな音楽に人が惹かれるのってもちろん素晴らしいし楽しい。私も大好きだ。
ただ本当に苦しいときに引き止めてくれたのは、痛みを掴んでくれたバンドだった。
彼らを見た時、音楽で初めて動けなくなった。
痛みを体現し作り出す音楽がここまで人を包み込めることを知った。
理解なんてしてくれないのに“誰にも理解されずともあなたには生きていてほしい”という無責任な言葉で、何かを抱えた人々が呼吸がしにくいことを抱きしめてくれた。
苦しいことから離れるために音楽を聴く時間も大切だが、苦しいことに浸る時間だって絶対に大切だ。
私がなんとなく納得出来てない世の中の“良い言葉”や“悪口”。それから絶望も希望も誰かを信じるということも。「ああこれかも。」と初めてなったのがCRYAMYの歌詞でだった。
このバンドが歌うこともそれに縋ることも
惨め なのかもしれない。自棄 なのかもしれない。それで何が悪いと思う。もう全部どうでもいい。言葉にしたら落ちていくものを言葉にするしそれを飾らない美しさを、私が勝手に優しさと捉え、今日もあなた達を聴いている。それだけだ。

12 andymori

私がandymoriを聴き始めた頃にはもう解散していた。見たいことが叶わない音楽に初めて出会った。
人間って誰しもが少し尖っていて、それでも隠しきれない素直さがあって、そういうものを破滅的な音楽に乗せてきた。疾走感はとてもあるのだが、それは生き急ぐ感覚に近いなと感じた。暗い曲調でないと納得出来ない歌詞の中に見えてくるセンチメンタルな人間がどうしようもなく好きだ。メロディと歌詞のバランス、“音に歌詞を乗せる”ということが革命的なバンドだと思う。
絶望が希望で、焦燥が輝いて、そういう矛盾なことを話さないと書けないような音楽。
現在ソロ活動している小山田壮平の弾き語りでしか聴いたことはないのだが結局小山田壮平という人間の魅力はどんな形でも音楽に入るんだと感動したことを忘れられない。
ただ何か叶う事があるならandymoriを見たい。叶わなくても答え続けたいし私は一生andymoriを聴くんだろうなと何の確信もなく思っている。

13 HERO COMPLEX

応援歌 自分たちの音楽をそう表現する彼らに、なぜこんなにも惹かれているのかいまだに分からないままだ。
私のnoteを見ていただけたら分かる通り、息の仕方も分からないような、どちらかと言えば少し暗めの音楽を聴き言葉を紡ぐ事が多いし、そういう音楽以外も大好きだしライブに足を運ぶが書きたくなるのはそういう音楽だ。
HERO COMPLEXはどちらかと言えば、明るいバンド だと思っている。なのにどうしようもなく好きだし、書きたい。
真っ直ぐすぎて眩しくて直視できない音楽が過去の私には確かにあって、惨めな思いをすることから避けてきたのに、真っ直ぐすぎる音楽が真っ直ぐに刺さった日に、私はこんな感性でもなんとなくでも“頑張っている”そう思ってもいいのかもしれない。と思えた夜があった。そう思わせてくれたのがこのバンド。
絶対にこの世界に必要だと思う。世界の優しさとか聴き手の命の奥の奥の燃えているなにかを引き出すようなパワーが彼らの音楽にはある。信じていたくなったんだ。そして本気で、優しい世界になれと願ったんだ。こんな私が。感謝している。

14 炙りなタウン

女の子スリーピースロックバンド。今までガールズバンドにハマったことのなかった私が初めてハマった。女の子であるという一種の束縛に苦しんだ私はステージで殺してくれと叫ぶ彼女たちを見たとき、私は炙りなタウンになれないけど炙りなタウンを見ているときくらい素直でいたいと思った。
うざったい世の中とそこで息をする事が下手くそな自分に対する嫌悪も、“腐った命に万々歳”と歌にして叫んでくれた。
苦しいことをそのままにして抱きしめてくれる。音楽でなにも変わらないこともそれでも縋る人間の気持ちもおそらく彼女たちは知っている。苦しみながらロックバンドに縋り呼吸も続けてきた私のような人たちだと勝手に思っているから。
そんな人たちが歌う曲の中にある確かな命と生きた証を知りたい。
“死にたくなってからが本番”という素敵な言葉を生んだ彼女たちが大好きだ。死にたくなってからじゃ遅いのだろうけどそうじゃなきゃ生きていけなかった人が炙りなタウンの音楽を聴く人たちの中にいる事が救い。
私にとって唯一、苦しいことに素直になれる音楽だ。そんな自分を愛せるように、これからも聴きたい。

15 SIX LOUNGE

ボーカル山口優盛の歌唱力は私が知っている限りのこの辺りの、あえて使うとすればこの 界隈 のバンドの中で群を抜いて高い。歌が上手いのはそうなのだが、その歌声に存在感がある。
彼らの曲は希望より絶望より、確かな欲望をロックに乗せているが、それが希望にも絶望にも変換できる自由さがある。真っ直ぐが故に歪んだ露骨な愛の中でそこにいる俺もお前もあの子も、嫌味が全くない。それは爆発的なロックの中にあるどこか繊細で哀愁のある人間性を感じるからだ。“心を溶かす音楽だな”とライブを見ていつも思う。それは歌詞や歌声のみではなく彼らがライブハウスで見るべきロックバンドだから。スリーピースバンドのかっこよさが最高に詰まっている。スマホから流れる音だけじゃ満足できない感覚を教えてくれたのはSIX LOUNGEだ。

16 yubiori

彼らを知ったのはここ一年の話で、色々知っているから語れる。ほどではない。
ただこの一年、彼らの存在を知りライブに足を運び受けた感動はダントツであった。私の好きな“音楽”を彼らが作り出していた。5人組バンドでギターが3人いる。音圧で圧巻。彼らのライブは常に残響に浸り、次の音を求めてしまう。
ただしっかりと歌詞が繊細で、日々に軽い絶望を抱きながら生きていく人々に、それでも世界は続いていくという変えられない現実の中で深い谷底に落ちていく途中に着地点を置いてくれるような音楽だと思った。決して自分を置いていく世界へ背中を押して進むことを強要して来ない。このバンドが演奏をすること、それを求めてる人がいる事がこの世界の救いだ。yubioriは私が愛している音楽の新しい希望となっている。

17 the satellites

私の全てを狂わせた音楽。小さな箱で、小さな世界で、命を叫んだ。失った命に対して歌を歌った彼ら存在が大事な命を失ったことのある人間にとって支えであり、感じた生々しい自棄すら抱いていることは決して間違ったことではないと感じさせてくれた。
死にたくても死なずに歌を歌ってくれた。だから私も死にたくなりながら死なずに歌を聴きたいと思った。言葉にしたら軽く聞こえるが私はあの日あの時本気で思ったんだ。
彼らから感じる猛烈な命がある。曲だけでなくライブをする姿から感じるものでもあり、生きている。バンドも私も彼らも。そう改めて感じさせてくれた。
現在活動休止しているが、「ライブハウスは希望」と絶望を知った彼らが放ったこの言葉になにかを賭けてライブハウスに通っているのかもしれないな。待っている。気長に。

18 PK shampoo

どこにもない、PK shampooにしか歌えない音楽がある。そんなありがちな言葉でしか私が文字を紡げないことも悔しいほどに魅力に溢れたバンドである。
流行り でもなければ、正しさ なんてものでもないと思う。ただそこに 美しい を感じた。
割とテンポの速い曲を好きになりやすかった私の中で、彼らのスロウテンポのバラードにどこにもないバンドサウンドが乗っかるメロディは革命的だったし好みが少し変わったきっかけである。
ヤマトパンクス、SNS上だと尖っててお酒を飲むとおかしい彼の作る音楽にギャップがありすぎて最初は驚きの方が大きかった。ただ聴けば聴くほど見えている彼の中にしっかりとある命を感じる。
作品と作り手の生い立ちとかあまり気にせず音楽を聴きたいと思ってきたが、彼がしっかり社会を生きていて作った音楽なら私はここまで大きな感情を抱かなかったのかもしれない。
生きていくことへの怠惰もどうしようもなかったことも、それでもというわずかな力も。
そんな感情の比喩が詩人のようで、歌詞をしっかり読みたいと思わせてくれた。
叙情的という言葉が自分の中で一番しっくりきている。
いつまでも適当革命家なバンドが本当に大切だ。

19 SUNNY CAR WASH

青春の音楽 って人それぞれあると思うが、私のそれは間違いなくSUNNY CAR WASHだ。(以下 サニカー)
自由な音楽 という言葉が似合うなと思う。生きづらい私が、自由でいていいと言われている気がした。そう思ったのは、そう直接的に歌ってくれたからではなくそういう人が歌っているからだ。そしてこの後に書く私の中のバンド好きを確実に加速させたハンブレッダーズという存在に出会わせてくれたバンドでもある。
今でも思い出す解散ライブの景色と、解散前の最後の対バンがハンブレッダーズだった日の景色。友達でありサニカーを愛しているハンブレッダーズと一緒に解散を悔やんだ事実にかなり救われた。その日のことはまたじっくり書きたい。
簡単にいうことではないが、サニカーの終わりは青春の終わりだった。バンドを好きでいて初めてみた大好きなバンドの終わりに信じられないほど泣いていた。解散ライブなんて大嫌いだ。
それでも行ったことを絶対に後悔する日はないだろう。
バンドは解散したが、アダムという名前で音楽活動をしている。何度かライブに行ったが、そこにいる彼はサニカーのアダムだなと思う。
でも、サニカーではない。
この変えられない事実とそれでも音楽を楽しみ続ける彼がこの先どうなっていくのかドキドキする。いつまでも個人的最高の音楽家なんだ。

20 ハンブレッダーズ

私は学生時代には戻りたくない。友達がゼロなわけでもなかったしなに一つ楽しくなかったわけではないが、今度どんなに苦しい事が起きてもあの頃に戻りたいなとは絶対に思えない。私にとって学校は地獄ではなかったが牢獄ではあった。苦しい気持ちを味わうのも人に合わせて笑うのも誰かを失うこともそこだけが世界じゃないと言いながらそこで生きていくしか道がなかったこと。
そんな学生時代を過ごしていく中でこのバンドに出会えて良かった。“それでも音楽を聴けよ”と言ってくれたのはハンブレッダーズだった。
ぼっちのための音楽。彼らのそういうものに確かに刺さったが、私が何より彼らを好きな理由は、音楽の力を信じている人達だからだ。音楽に没入した私にとってそれを信じられなくなることは何もかもを信じられなくなってしまうような感覚にあって、そんな時でも鼓膜に、ヘッドフォンをしろと、ヘッドフォンの中は宇宙 だと歌を歌った彼らのことを冗談を歌っているようには思えなかった。
きっと、彼らの人生において音楽のという存在が本当に大きいのだろう。だからこそ歌ってくれる言葉に、信頼という名の偏愛が生まれた。
それで良かった。まだまだ信じていたい。
信じていられる。私は音楽が大好きだから。


____________________________

感じている気持ちを100%では文字にできない。言葉は心ではないから。
音楽に言葉は必要ないのかもしれない。
それでも私はここが必要だ。

みなさん良いお年を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?