音楽も学校みたいだね
小学生の頃から作文が好きだった。
感想文で賞をとったり、周りに褒めてもらえたりした。
教室で一斉に原稿用紙に文字を書いていく時、二枚目を取りに立ち上がるのが一番早かった。
そんな誰も気にしていない側から見ればくだらない瞬間に自分が唯一誰かに勝てるものがこれだと思った。
高校生になった頃に自分の作文才能は大したことないと気が付いた。人並みか、ほんの少し文章を思い付くのがはやい人。それだけになった。
小学生の頃から音楽が好きだった。
みんなが知らないかっこいいを探していた。
どんどんバンドを好きになっていってその過程で見た景色はずっと覚えていたいなとほとんど忘れている今でも思う。忘れたくないことくらいは覚えていて良かった。
誰とも話が合わなくなっていったことに気が付いてからは友達に合わせてかっこいいとは思わない曲を歌って過ごした。そのくらい周りを気にしていた私でも、家帰れば見つけた好きな音楽を信じ聴き続けた。
これが私の唯一の特別だった。
そして感情を抱き抱えていられなくなりSNSで音楽のことを文字にするようになった。
似たような人や同じ音楽が好きな人をたくさん見つけて得た気持ちは人生少し大丈夫と言われているような気がしたけど合わない人が目に入ることもあった。
日曜日に繋がることも、集合写真も、苦手だと思っている。
ただこういう人達を冷笑している文化も好きじゃなく、結局対象を作って馬鹿にすることが自分の信念を正当化する方法なのだと思うと本当に虚しくなる。私含めて。
あと音源交換とか、バンドの悪口とか、そういうのが存在する事が悲しかった。
少し学校みたいな気分になる。コミュニティの中に存在することってこういうことなのだと分かってくる。
私はいつでもそれらに怯えている側で思考を深くしてしまう側で、ただあっち側にいたら変わっていたかもとないものねだりをしている。
性格がこうでなければ学生時代から確実に楽に生きていけてたが、今抱きしめている音楽で涙しない人生だと思うと怖くなったりもする。だからこれで良かったのかなと思える瞬間があってそれだけが私を延命してくれる。
唯一の才能は大したことなかったけど、唯一の特別は今でも心に感情を流し込んでくれる。
それに今ここに流行らない自分語りnoteを綴っている時点で色々無駄ではなかったと思う。これ結果論だけど。
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