探筆場

正しいことは書いていない。

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正しいことは書いていない。

最近の記事

変わるもの、変わらないもの。

 少し離れたところにあり、今までも何度となく行ってきた温泉施設がもうじきリニューアル準備のため、半年以上お休みするとのこと。冬場を丸ごと改装に当てるとは経営陣も思い切った決断をするものだ。  それだけの本格的な改装ということで、既存の浴槽などは総取り換えになるらしく、これまでとはガラッと趣が変わるようである。そこで、入り納めといこうじゃないかと、大雨の中そこへ行ってきたのだった。温泉に浸かったあとは日頃の疲れを徹底的に叩き出さねばならぬ。そこで寝ていたら夜になってしまった。

    • 保育園と火葬場

       近隣住民から建設への反対の声があがる施設として代表的なのが、保育園と火葬場だという。片や生命・若さをイメージさせる施設、片や死・老いを想起させる施設ということで正反対に近い感じでもあるが、嫌厭される点では近しいようだ。  それぞれ家の近くにあってほしくないとされる理由はいくつか挙げられるが、両施設はいずれも物理的な問題から支障が生じるのではない。保育園は音、火葬場は臭いという、非物理的なアタックが問題視される。いわば術攻撃みたいなものだ。  物理的な攻撃は威力が高い反面

      • AI作品の解釈と作者思想の不在に関して

         少し前、AI作品が「つまらない」と言われがちな傾向と、それについて考えられる理由をnoteに記した。簡潔にまとめると、以下の2点になる。  先日このnoteにコメントが寄せられ、あれこれ考えてみたのだが、その方へ何かを伝えたいとか相手と問答したいとかいうのとは異なるので、別立てのnote記事にすることにした。  寄せてくださったコメントの主旨は、以下の3点に切り分けられる。 ① 人の思想はどうでもいい。全ては自分の感情・考察・受け取り方だから。 ② 作品と作者は分離し

        • それもこれも本人の性格の問題だから

           高齢の祖父母、もしくは両親などが認知症によって性格を変じ、「昔はああじゃなかったんだけどねぇ……」みたいに言われるケースが世の中にはわりとある。  あるいはメンタル関連で投薬を受け、気分や性格の変化を自分なりに感じたという体験談も珍しくない。  こういった話を見聞きするにつけ、「性格の問題」とはいったいどのようなものなんだろうか、と考えてしまう。  なんとなくの感覚として、世間には性格が不変であるという考えと、可変であるという考えが存在しているように思える。前者は「こう

        変わるもの、変わらないもの。

          強い言葉を遣うと、実際に弱くなるのかも知れない

           これは言わずと知れた藍染の言葉だが、ここでの「弱く見える」とは、つまるところ「(お前は)弱い」という煽りなのだろう。  だが、このセリフが出てきたシーンを離れて考えてみたとき、強い言葉は実際には人を「弱くする」のではないかとも思えた。  日常生活を送っていて、そこまで強い言葉を使わねばならない場面というのはあるだろうか。たとえばカッとなって暴言を吐くといったことはあるかも知れないが、それは強い言葉に対応するような現実の出来事があったわけではなく、むしろ現実にマッチしない

          強い言葉を遣うと、実際に弱くなるのかも知れない

          改行しまくられると目が滑る

           文章での表現は、イラストや漫画、動画などと比べると視覚的要素が薄いと思われがちだ。とはいえ、書きつけられた文章は基本的に目で見て読まれるわけだから、視覚的要素が大きく影響するのも確かである。  フォント、文字の大きさ・太さ、文字色や背景色といった点も影響度は大きいが、それら以外でも、もっとシンプルに「見やすさ」に影響を及ぼすポイントがある。それは改行だ。  noteでもそうだが、一文の長さと改行の程度、そして空行を挟むかどうかは、その書き手によって大きく個性の分かれる点

          改行しまくられると目が滑る

          ものを集める楽しみ方は若さの表れ

           もの(アイテム)には、使用する以外に、集めるという楽しみ方がある。  いわゆる蒐集、コレクション的な楽しみ方だ。  若さゆえの楽しみ方があるとすれば、集めるという楽しみ方はそのひとつなのではないかと思う。なお、ここでいう若さとは、実年齢がどうというのではなく精神的なものである。  なぜ集める楽しみ方に若さを見出すのかというと、そこには未来への見切りや諦念が存しないからだ。  ある程度年齢を重ねると、おそらく多くの人は”身終い”を意識するようになると思われる。つまり、自

          ものを集める楽しみ方は若さの表れ

          コミュニティの中のイヤなやつ

           樽いっぱいのワインに泥水を一滴入れたら、それは樽いっぱいの泥水になる、といわれる。このワインと泥水の関係は、人間のコミュニティにも当てはまるんじゃないかと思う。  好ましい人たちの集まるコミュニティに、ひとりだけでもこちらへ敵意を向けてくる人間が交ざっていたら、そのコミュニティ全体が居心地の良くない場所になってしまうのだ。  こういうときに、仲の良い相手がたくさんいればひとりやふたり仲の悪い者がいたとしても大丈夫じゃないか、みたいなことをいう人もいるが、それはちょっと違

          コミュニティの中のイヤなやつ

          勉強のわりに成績が上がらないときの対策方法

           勉強をたくさんしているわりに成績がちっとも上がらない人がいる。  もしくは、少しは上がっていても勉強量から期待するほどの上がり具合ではないこともあるだろう。  この手の悩みは、できる人にはなかなか理解されにくい。「え? 勉強してるなら成績も普通に上がるでしょ。てかどうして上がらないの?」などと首を傾げられて終わる。悲しいことだ。  だが、大抵の悩みには原因があり、そして対策がある。喜ばしいことに。  ここでは、勉強しているわりに成績が上がらない原因と、その対策方法をまと

          勉強のわりに成績が上がらないときの対策方法

          言わなくても伝わる、という願望の罠

           言わなくても伝わる/わかってもらえるという思い込みは怠慢だ。それは相手に「言われなくてもわかろうとする」負担を強いる姿勢だからである。  人はエスパーではないのだから、大事なことはきちんと言ってもらわないとわからない。適切に伝わることを望むなら、言語化をサボってはならないのである。  ――という一般論はさておき、ここで問題にしたいのは、言わなくても伝わるという思い込みが、はたして怠慢のみから生じるのかという点だ。  わたしとしては、「言わなくても伝わる/わかってもらえ

          言わなくても伝わる、という願望の罠

          安楽死への滑り止めと「生きる義務」

           わたしたちはいつ、どこで、どのように生まれるかを選べない。  ならばせめて死ぬこと――”苦痛なく安らかに死ぬこと”は選べてしかるべきではないのか。  この根源的なひとつの問いを法制度の俎上に載せたのが、安楽死制度だ。  安楽死、なかでも積極的安楽死を合法化しているとされる主要な国は、2024年現在、以下の通りである。  安楽死は認められるべきか。  ここでいう「認められる」とは、単なる個人の選択にとどまらず、それが公にも承認されるか否かということである。  つまり、権

          安楽死への滑り止めと「生きる義務」

          AIによる作品は何故つまらないと言われがちなんだろうか

           AIによる音楽。AIによるイラスト。AIによる小説や記事。  これらは「つまらない」と言われがちであるように思う。  たとえばイラスト投稿サイトではAI作品に手厳しいコメントが並び、邪魔者扱いされる傾向にある。また、薄っぺらい記事は「AIが書いたような」と揶揄される。  AIの学習先と著作権に絡む問題を除いたとしても、なおAI作品を快く思わない人は少なからずいるようだ。それを過渡期の問題やクオリティの問題として捉えるのも誤りではないにせよ、理由はそれだけかという疑問も湧

          AIによる作品は何故つまらないと言われがちなんだろうか

          他人のnoteを読んで、どうするのか

           このタイトルからは「他人のnoteなんか読んでどうするの?(別に読まなくていいよね)」みたいな内容と思われるかも知れないが、そういう主旨ではない。シンプルに、他人のnoteを読んだらどのように振る舞うべきか、という話である。  先日、以前出したnote記事にコメントが寄せられた。「似たようなことを考えているので良かったら自分のnoteも読んでみてね」みたいな内容だ。  そう言われたら、立て込んでいない限りは拝見してみようかとなる。一通り目を通してみた。そこまではいい。問題

          他人のnoteを読んで、どうするのか

          墓場は落ち着く

           今年も無事墓参りをしてきた。草を取り除いたり、墓石を磨いたり、花をお供えしたり、お線香をあげたり。そこまで混み合っておらず、悪くない墓参り日和だった。  毎年思うのだが、墓場の雰囲気はわりと好きだ。基本的に静かだし、余計なものがないし、余分な人がいないし、お線香の匂いは心を鎮める。墓場で暮らしたいとも運動会をしたいとも思わないが、たまに行くならいいなと思える場所だ。  ベンチが置いてあったら2、3時間くらい本を読むのもいい気がする。図書館と墓場はちょっと似ているかも知れな

          墓場は落ち着く

          皿に残ったパンくず

           トーストを食べると皿にパンくずが残る。  このパンくず、皿に残らないようきれいに食べようとすると、かなり下品な振る舞いをしないといけない。指の腹を押し当てるようにして取って食べるのは品がないし、パン皿を持ち上げて傾けて口に流し込むのもNGだ。  かくしてトーストを食べたあとに残る皿のうえのパンくずは、ゴミ箱や流しに払い捨てられることになる。  貧乏性と思われるかも知れないが、これが妙にもったいなく感じられる。  一般に「まだ食べられるものを捨てるなんて……」と嘆くとき、

          皿に残ったパンくず

          悪口の技巧:二つ穴要らずの呪い方

           現代では、不用意な発言がメディアを通じて拡散されて、数百~数万にも及ぶ視聴者やユーザーから叩かれることがある。いわゆる炎上であり、雇用主やスポンサーに問題視されれば職を失うケースも珍しくない。  実際、ここしばらくのネット上の動向を見ても、SNSで不適切とされる投稿を行ったタレントが活動を休止したり、フリーアナウンサーが契約解除に至ったりといった事態が起きている。失言と失職がほぼ直結しているのだ。  あるいは、投稿が開示請求を受け、少なからぬ損害賠償金を支払わされること

          悪口の技巧:二つ穴要らずの呪い方