皿に残ったパンくず

 トーストを食べると皿にパンくずが残る。
 このパンくず、皿に残らないようきれいに食べようとすると、かなり下品な振る舞いをしないといけない。指の腹を押し当てるようにして取って食べるのは品がないし、パン皿を持ち上げて傾けて口に流し込むのもNGだ。
 かくしてトーストを食べたあとに残る皿のうえのパンくずは、ゴミ箱や流しに払い捨てられることになる。

 貧乏性と思われるかも知れないが、これが妙にもったいなく感じられる。

 一般に「まだ食べられるものを捨てるなんて……」と嘆くとき、パンくずやラーメンの残り汁を思い浮かべる人はあまり多くないだろう。廃棄弁当のような『ちゃんとした食べ物』でありながら処分されるものをイメージするはずだ。

 しかし、わたしがもったいなく思うのは、そうした真っ当な食べ物というよりカレーパンを食べていて剥がれ落ちた衣だとか、メロンやスイカの皮に近いギリギリの部位だとか、そういうものだ。
 大半の人がおそらく意識せずに捨ててしまうもので、食べようと思えば普通に食べられるもの。それがどうにも気になってしまう。


 たとえば現代日本で暮らす人に「袋入りのカレーパンを食べてて、袋の中にちょっと残る衣の揚げパン粉、あれってもったいなくない?」みたいなことを言ってみたとする。ほとんどの人は「ハァ?」という反応しか返さないだろう。袋の中で散らばっている揚げパン粉は、彼ら彼女らにとってもはや食べ物のカテゴリーに含まれないからだ。散髪後、切り離された髪の毛が自分の身体から除外されるように。

 だが、これがパンや穀物の一欠片を得るために汲々としている国の人たちだったらどうか。あるいは戦中・戦後の、特に苦労した状況に置かれている人たちだったら。

 何が食べ物で何をもったいないと思うのかは、その置かれた状況によって異なる。そういえば大長編ドラえもんの日本誕生では、凍死しかけたのび太が、捨てられるラーメンの汁を惜しむシーンがあった。平時には意識されないものでも切羽詰まると食べ物として認識される。


 食べ物を無駄にするな、といわれる。弁当も、チキンも、ケーキも、恵方巻も、確かに捨てるのはもったいない。ただ、そう訴えながら皿に残ったパンくずを捨てる人がいたら、どこか欺瞞めいたものが感じられてしまう。

 だから忘れないようにしておきたい。当たり前のように捨てられるそれもまた、食べられるものなのだということを。



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