強い言葉を遣うと、実際に弱くなるのかも知れない

「…あまりつよ言葉ことばつかうなよ」
よわえるぞ」

『BLEACH』20巻

 これは言わずと知れた藍染の言葉だが、ここでの「弱く見える」とは、つまるところ「(お前は)弱い」という煽りなのだろう。

 だが、このセリフが出てきたシーンを離れて考えてみたとき、強い言葉は実際には人を「弱くする」のではないかとも思えた。


 日常生活を送っていて、そこまで強い言葉を使わねばならない場面というのはあるだろうか。たとえばカッとなって暴言を吐くといったことはあるかも知れないが、それは強い言葉に対応するような現実の出来事があったわけではなく、むしろ現実にマッチしない言葉を用いることで怒りなどの感情を表現しているだけだ。強い言葉が必要な場面ではない。

 大抵の「強い言葉」は、現実との間でのギャップが生じているものであるように思える。とすると、思わず口走ったようなケースを除き、正常な判断能力がある状態で強い言葉を用いるのは、要するに虚勢を張っているということなのではないか。

 一般に、虚勢を張ると人は弱くなる。そもそも言葉や態度が実力に見合っていないことを虚勢という。たとえば、根拠もないのに強い言葉で他人を攻撃する者は後に引けなくなり、見せかけの勢いとは裏腹に追い詰められていく。これは弱さにほかならない。


 これは多分に個人的な感覚が含まれているが、実力に裏打ちされた人の言葉には強さ――というか過剰さのようなものが感じられない。彼ら彼女らは当たり前のように自然に言い、自然に成し遂げる。矢を放つ前に中っていることがわかっているかの如きである。

 強い言葉が必要ないのは、その行動や生き方自体が強いからなのかも知れない。わざわざ何かを強く言い表すべき要請がないのだ。


 相応しい格を備えていない人物がブランドの衣服や小物を身にまとっていても、見る者に上滑り感を与えてしまうことがある。強い言葉にもこれと似た性質があって、見合わない言葉を用いるとチグハグ感が出てしまう。強い言葉に相応しい強さを備えた人間は少ないので、多くの場合、よろしくない感じになる。そんな気がする。


 強い言葉は、他人を動かす以上に自分を縛り付ける。放った言葉の強さにたじろぎ、身動きが取れなくなっているらしき人はしばしば見られる。

 弱くも強くもない言葉を用いるのが、案外、穏やかに生きるコツなのかも知れない。



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