他人のnoteを読んで、どうするのか
このタイトルからは「他人のnoteなんか読んでどうするの?(別に読まなくていいよね)」みたいな内容と思われるかも知れないが、そういう主旨ではない。シンプルに、他人のnoteを読んだらどのように振る舞うべきか、という話である。
先日、以前出したnote記事にコメントが寄せられた。「似たようなことを考えているので良かったら自分のnoteも読んでみてね」みたいな内容だ。
そう言われたら、立て込んでいない限りは拝見してみようかとなる。一通り目を通してみた。そこまではいい。問題はそこからだ。
これはnoteに限らず、エッセイなり評論なり意見文なりを読むときのわたしの読み方だが、基本は批判的に読む。
批判的というのは、ケチを付けながら読むといったことではなく、自分の考えと同じ部分はどこか、異なる部分はどこか、それらの異同が何に基づくのか、という点を探しながら読むことだ。
そのように読んだ場合、大抵は疑問点が生じる。自分と相手とは別の人間であり、思考の筋道も内容も今までの経験も違うのだから、わからない部分があって当然だ。これは良し悪しの話とは関係ない。
実際、そのnoteからもたくさんの疑問が発掘できた。主なものとしては、たとえば以下のような点だ。
このように多くのクエスチョンマークが浮かぶわけだが、第一の問題として、その疑問群をそのまま相手に投げかけてよいかどうか、というものがある。
一般的に、よほどお互いに気心の知れた相手でもない限り、質問の連打は避けるべきといえる。人によっては攻撃や批難をされているように受け取るというのもあるし、回答するにも労力を要するからだ。これはnoteをはじめとするSNS上でのやり取りでも同様だろう。
質問や批判がウエルカムなのか、それとも基本的に肯定や同意以外は求めていないのか、スタンスはその人によって異なる。相手のスタンスがわからない以上、こちらから質問を投げかけまくるのは良手ではない。
かといって、相手のnoteの内容をきちんと自分なりに把握できているわけではないため、無言で”スキ”を付けるのも違う。「テキトーにあしらっとけばいっか」くらいの立場を採るならそうしてもいいかも知れないが、相手とまともに向き合うつもりがないなら、そもそも相手のご機嫌取りをしようとすること自体がナンセンスだ。
つまり、相手を尊重するにしても蔑ろにするにしても、ただ”スキ”だけをばら撒いていく選択肢はあり得ないわけである。
第二の問題として、仮に相手が議論を歓迎するスタンスだったとしても、わたしのほうが普通に飽きたり時間がなくなったりする可能性も常にあるという点が挙げられる。
わたしはそこそこ議論めいたものも好むが、どのようなテーマに対してもじっくり腰を据えて話し合いたいと思うほどではない。仕事もあるし、趣味に割く時間も確保したいからだ。時間も気力も有限である。
しかし他方で、こちらから疑問を大量に投げかけておいて「飽きたからもういいや」と投げ出すのはいくらなんでも不誠実だ。そう思える程度の節度は持ち合わせている。
つまり、飽きたり時間がなくなったりしてやり取りが不完全燃焼になるくらいなら、最初から積極的に絡もうとしないほうがいい、という判断に落ち着くわけだ。
以上のように考えると、noteは文章主体のSNSであり、比較的ユーザーの思考は辿れるにせよ、カジュアルに議論(もしくはその発端となり得る疑問の提示)は行いにくいなと思う。
そのようなわけで、拝読はする――が、よほどでない限りはこちらから口火を切ってどうこうということはないだろう。シンプルに完全同意する場合などを除いて。
他者との距離感や向き合う際のスタンス、費やせる気力など、難しいものだなと思った。
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