Clairo

チョコミントとレモネード 宇多田ヒカルがStay Goldって歌ってる

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チョコミントとレモネード 宇多田ヒカルがStay Goldって歌ってる

最近の記事

果てしない停滞

果てしない宇宙の話をされるとあと少しで自分が死んでしまうことが思い出される。 私の英語が完璧だったことはないのに、いつも落ち込んでしまう。言語はただのツールであると分かっている私と、そのことを知らない他の人々。どうして誰かの価値基準で自分をジャッジしてしまうのか。 先月まで住んでいた家の近くには大きな公園があった。夜中に眠れなくて何度も通った。引っ越す前、この公園にいつかまた来ることがあったらいろいろなことを思い出して歩くうちに泣き出してしまうだろうと思った。 今日は必要

    • 本当のこと

      本気の文字を書こう。 私が本当に思った言葉。 冬の寒い日に、太陽の光を浴びて温もりで満ちる時、生きていて良かったと思う。これをすることが生きることかもと思うし、死んだ状態はこの瞬間が永遠に続くことかもしれないと思う。こういうことを考える時、生と死は近い。ただ、死のイメージの法則は永遠。冷たく真っ黒な永遠もイメージできれば、永遠の無も想像できる。今日の私は陽光の永遠を選ぶ。 遠くから風が吹いて、目の前を通っていく。 過去から吹く風。未来へと吹く風。 あの日と何も変わっていない

      • 今日は喪失の話ですね

        先週カウンセリングに行ったら、「今日は喪失の話ですね」と言われた。 喪失。そうしつ。喪失。 喪失は誰とも分かち合えない。立ち上がるのが難しい事柄は、隣人を疲れさせる。何度も人に同じ話をしていられないのである。そうして、人は長い喪失の痛みを孤独に抱えながらカウンセリングに通う。ある人はお金を払ってお酒のお店で話を聞いてもらっているだろうが、世間から見た違いや効果の違いはあれど、またある私はお金を払ってカウンセラーに話を聞いてもらうのだ。ほとんど同じ。お金を払って、明るい部屋か

        • なにかの終焉

          茶色の木の葉を踏みしめ、わざと音を立てて歩く。風が吹くので、少し顎を上げて息を吸い込み、ジーンズジャケットのポケットに手を突っ込みながらいつもの公園を散歩する。 遠くにいるスポーツをする少年たちや、犬の散歩をする人々、自転車を押して歩く親子やカップルを見ていると、光る粒が動きまわっているような気がして、人はこうも生きているだけで美しいはずなのにと思う。 公園の階段に座って、動けなくなる。次の行動を考えないまま、ただずっとそこに座っている、そんな時間がいつあっただろうか。私はひ

        果てしない停滞

          305号室レポート

          変化には痛みが伴う。かつてやらないという選択を取った何かに負けを認めて、やろうと試みて、また立ち止まる。やり始めた時には思い出せなかった、やらなかった理由が詳細を帯びて生暖かい感覚で襲ってくる。何が本質なのか、今私はどこを要として見たら良いのか、そんなことを繰り返し考えている。 本質はどの角度からものを見るかによって変わるということも、その角度が正しかったのかは後になってからしか分からないということも、知っている。 そして、変化には痛みが伴うものだとそう言い聞かせる。 韓国

          305号室レポート

          記憶を見渡す

          最近カウンセリングに行くようになった。会社が用意してくれている制度で、私は既に数回利用している。誰かに何かを話すというのも、そこに正解を期待しないというのも、不思議な体験である。オチのない話に打たれる相槌に、どう反応すればいいのかも分からず決まりなく微笑みながらいつもそそくさと部屋を出る。ただ数回も通っているのは、話しながら考えを整理するタイプだと自分のことを理解しているからだと思う。そして、普段黙ってひとり頭の中で考えたことを披露する場もないので、私の思考披露の場となってい

          記憶を見渡す

          雨が降っている

          今朝はパスポートを取りに行く用事があったので、早く仕事が終わるように早く起きた。 家を出る時は雨は降っていなかったけど、いつ降り出してもおかしくないという雰囲気はあった。 私は傘を持ち歩くことが好きではないので、まあ多少なら降られようと思って家を出た。 電車は混んでいた。どうやら私は実際それほど早くは支度を済まさなかったらしい。あまり時計を見ていなかった。 今朝は体が重いなと思ったけれど、曇天の月曜の朝、当然なので無視した。 出社してから30分くらいかけてコーヒーを飲むが、今

          雨が降っている

          有限性について

          どうしても、死ぬのがこわいの。どうせ死んでしまうのに、といつも思う。何をしてても、どうせ死んでしまうのに、と。まだ思春期なの?と笑ってしまうような気持ちも確かにあるけど、死がこわくなくなる年齢も、いつか終わりが来ることに諦めがつく年齢も、私にはよく分からない。終わりを思って現在を犠牲にしては意味がないよ、終わりがあるんだから生きていることを楽しまなきゃ、という方に思考を持っていこうとしてみる。それに、そう試みるだけじゃなくて、実際に本当に、そう思っている部分もある。けれど、ど

          有限性について

          悲しみと向き合うということ

          悲しみと向き合うとはどういうことなのか。泣くこと?原因を深く探るようノートに書き綴ること?瞑想?誰かとその事柄について話してみるということ?客観性など排除して、ただ心が赴くままに動くこと?表現に昇華させること? いろいろ試した気がする。悲しみの直下にいる当時は、それなりにいろいろ試した気がするけれど、確かに「大丈夫」と繰り返し思っていた。私はあのときに苦しみ切らなかったから、こうして今、永遠に緩やかに続く坂道を選んでしまったのだと思う。 猫のことが恋しくて泣く日はなくなっ

          悲しみと向き合うということ

          小旅行

          きっと人にはひとりになるべき時があって、私は一人で知らない街を歩きながら、ようやく自分と生きている気がした。近頃の私は、私ではないみたいで、一連のあらゆる出来事がどうも現実ではない気がした。信じたくなかったとか、それほど大きな出来事も起こっていないけど。知らない街は、慣れるまでが楽しい。慣れるとまた寂しいだけ。高潔なひとり気分を数日、退屈で惨めなものをもう数日味わった。部外者でいることを選び続けることは、本当に臆病な選択だと思う。他人の存在を否定することと他人に否定されること

          小旅行

          健やかなる旅路

          京都へ小旅行に出ました。すごく楽しみにしていたのだけど、もう去年のヨーロッパ旅行のようにはいかないね、と私も友人も心の中できっと思っていました。 後になって「ものすごく楽しかった」「大事だった」と思うことはあっても、なかなか「今すごく楽しい!」と思うような機会はなくて、でもヨーロッパのそれは、私が何十年かぶりに感じたそれでした。あらゆることに感動して、新鮮で、この時間を大切にしたいとものすごく思って。それに、私と友人の関係も1年前とはすこし変わっていて、彼女は「話すことがな

          健やかなる旅路

          日記

          心を動かされることから逃げるな、と秋風先生がすずめに言っていました。あの言葉を時々思い出して、逃げてはいけない、と思います。感受性は厄介で、些細なことで心が動いてしまうことが嫌でたまりません。その度にこれを唱えます。 それ以外は夏目漱石の本を読んでいるふりをします。実際に読もうという気持ちがあっても、移動時間の数分くらいしか時間を割いていないため没入しようという頃に駅に着くのです。けれども、目を滑らせるだけで気持ちが良く、どこか高尚な気持ちになれるのです。

          愛があるなら教えて

          愛があるなら教えて 「嫌な思い出が時々フラッシュバックして どうしてもしばらく動き出せないの」 アシタカのように 生きろ と 強くはっきり叫べないの 結論はいつも先延ばし 思考がなんか滞ってる たぶんもうずっと前からこんなかんじ 何をしても幸せになれない 小さい頃に感じた無敵さと安心はもう死ぬ時まで手に入らないのかもしれない 「生きてる意味ってなあに」「そんなものないよ」「私たちは地球で遊んでいるだけ」「遊んで死んでいくだけ」「ずっと遊んでいたい」「それ

          愛があるなら教えて

          はずの空白

          ♪Clairo- flamin hot cheetos 白い壁にそわそわして青く塗った 青に背理法めいたものを感じて耐えきれずきいろを足すと期せずして雲を手にいれた 最後には結局白い天使を置いた 足元が光ってしょうがないから泣いておいた 気にしてこなかった不安を真実として 体を壁に擦り付けながら線上の朝日に歓喜した 生きていることが癖になって 抵抗しても意識は遠のいた いかにも浅い呼吸でじっと耐える もう一度真実にどっぷり浸かり思い出したように泣いた 3秒でやめる もう一

          はずの空白

          気難しい私の日常

          いくらでも自分で好きなように自分を見せることができるSNSで、印象をコントロールすることに空虚さを感じています。 私はおしゃれな写真を撮るのが好きで、詩的なキャプションをつけることも好きです。インスタグラムに適しているように感じます。フィルムカメラで写真をとって、抽象的でノスタルジックな印象に仕上げると評価されやすいことが分かっているし、事実 昔はそういう写真が好きでした。そして、それでよかったのですが、エモいという言葉が流行しだしてからこわくなってしまいました。エモいで片

          気難しい私の日常

          But I'm not smiling

          宇多田ヒカルは「今日私は一人じゃないし それなりに幸せで これでいいんだと言い聞かせてるけど」と歌ってた。 LofiをYoutubeで聞いてたらコメント欄で日本人同士で言い合っているのがあって、今だかつてこんなに荒れたLofiのチャットがあっただろうかと思った。やり取りは後半日本語で行われていたせいで、ほとんどのコメントに高評価マークが押されているのにそこだけ凪いでいて奇妙な光景だった。始まりは日本で暮らすことのdepressionみたいなものをその人がコメント欄に書いたこ

          But I'm not smiling