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果てしない停滞

果てしない宇宙の話をされるとあと少しで自分が死んでしまうことが思い出される。

私の英語が完璧だったことはないのに、いつも落ち込んでしまう。言語はただのツールであると分かっている私と、そのことを知らない他の人々。どうして誰かの価値基準で自分をジャッジしてしまうのか。

先月まで住んでいた家の近くには大きな公園があった。夜中に眠れなくて何度も通った。引っ越す前、この公園にいつかまた来ることがあったらいろいろなことを思い出して歩くうちに泣き出してしまうだろうと思った。
今日は必要なその公園がなくて、ここはまだ私の部屋ではなくて、ここ一ヶ月ずっと帰りたい家に帰れないでいるみたいだ。早く家に帰りたい。

もうずっと長い間、悲しいという気持ちを忘れていた。忙しくて、正気な自分が常にそばにいた。考え事をするにも、時間がなかった。後を引くようなことができなくなった。何かを深く感じるようなことをすると、日常生活のリズムが崩れてしまうから。考えてみると、何かを深く感じるために、自分の言葉を自分に聞かせようとカウンセリングに通っていたのかもしれない。

歳をとると、何か言葉を発するのが怖くなってしまうのはなぜだろう。それは、自分だけが知っている特別なことが少ないと気がついてしまうから。誰かには真新しいはずの言葉も、自分の中に溜めたまま腐っていく。

エロい映画と言われている映画を調べてエロ目的で見た。映像が美しく、やっぱりフイルムは綺麗だな、構図的だな、などと思ってしまったのが一つと、設定が非情で顔をしかめてしまったのが一つ。結局普通のエロい映像を見た。

父は死ぬ準備をしているらしい。私が、いつか有事に両親から資金的な援助を受けられなくなる日のためにキャリアプランを考えるのも、父の死の準備を手伝っていることになるのかなと思った。

いつまでもずっと永遠に、本当に永遠に前の生活が恋しい。私は恋しい過去のために大切な今を常に失いながら生きている。もう平凡なことしか考えられない。陶酔とかも難しい。

この世に美しいことが多ければ良いと思う。いつまでも遠くで揺れる金色の穂を眺めていたい。心の中には『風の吹くまま』のシーンがずっとある。



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