「立っているだけでも踊り」
ダンサーの田中泯さんが世界の各地で踊る様子を撮影した『名付けようのない踊り』というドキュメンタリー映画を観に行ったことがある。「立っているだけでも踊り」という言葉は、映画の中で田中さんが言っていて、確かに静止画かな?って思うくらい動かない田中さんのシーンがいくつかあって、静かだけど激しい何かが感じられて、私の「舞踏」の概念は崩れた。
私は身体を使うことが苦手というか、きっと身体は捉えているんだろうけど頭に届くまでに消してしまっていることが多いと思っていて、なので身体の感覚が鋭くそれを言葉にできる人や、表現できる人に憧れがある。思考に頼りすぎず、身体を信じて歩んでいる人の言葉は、自分の世界をつくるにあたって、すごく参考になる。
田中さんによると、踊りの極地は「そこにいることの確認」で、見せるとか見られるとか無いらしい。めっちゃ自由だなと思う。以前、ある美術の先生が「絵を描く時は、自分が観ることに徹してください。魅せようとしないでください。」と言っていたのを思い出す。人生やSNSをやる時も、ただただ観て、出せたら理想だと思う。見られることを意識すると、壁ができたり、最初の情熱から反れたりする。それはそれで、問題はないのだけれど。私は時々、フォロワーもいいねもゼロの人のつぶやきに、はっとすることがある。ただそこにいて、自由にやっている人は、密かに誰かを助けていると感じる。
田中さんは別のところで「僕の踊りには連続性がなくて、瞬間のつながりでしかない」と言っている。今良い、と思える状態が細かくつながっていて、だから突然何が入り込んでもいい、いつでも断絶できるのが良い状態であると。瞬間ごとにやり切ること、自分にとっての「良い状態」を知っていること、すごくかっこいいと思う。私も、自分なりに身体を使って、納得のいく道をつくっていけたら良いなと思う。
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