Mayu

東京で生まれて、北海道や台湾に住みました。父は座付きの舞台演出・脚本家で、家族を養って…

Mayu

東京で生まれて、北海道や台湾に住みました。父は座付きの舞台演出・脚本家で、家族を養ってくれました。小さな頃から本やお芝居などイメージするものが好きだったけれど、法律を勉強し介護の道に入りました。いろんな来し方を取り混ぜて、今はひとり本を編集しています。思うあれこれを綴ります。

最近の記事

言葉を封じ込めるもの

先日、ある記事を読んでから、ムカムカがとまらない。 主なテーマは、薬物使用「撲滅」のスローガンが、依存症治療にはむしろ逆効果だということ、何年も前から厚労省とその薬物使用「撲滅」運動の運営にかかわる外郭団体に申し入れているが撤回しようとしないこと、そのために薬物依存から回復しようとしている当事者や家族等が今も不要に傷ついていることだ。ここまでの内容は問題ないと思う。 でも、そのスローガンを作ったのが、オリンピック開会式の企画で渡辺直美をpigに扮装させようと発案したプロデ

    • みつばち🐝☆パニック

      virusの特効薬「大根のはちみつ漬け」 virusによる感染症が全世界に蔓延し、感染を食い止めるため人々が外出を控えているその時、エヌ国の科学者Aが、同国エヌ県エヌ郡Z村では、周辺地域の罹患率・死亡率に比して感染症発症率がゼロのまま推移していることを発見した。すぐさまAを含む県の調査チームが派遣され、Z村村民の生活状態を聞き取った。科学者Aに、村民は「私たちの地域では、少しでも喉の痛み・咳・だるさを感じたらみな『大根のはちみつ漬け』を食べています。ただ、大根のはちみつ漬け

      • さみしさでつながってもいい

        知らなかった人と知り合うのには、オンラインはリアルより便利かもしれない。最近も、対面の時に自然と同じテーブルで話すのはたいがい2~3人だけれど、オンラインでは10人くらいと同じテーマを共有しやすいという話をしていた。みんなの表情も見えやすいし、1度の機会でおしなべて10人の人と知り合えるのは嬉しい。 それにもちろん、オンラインでも、既に知っている人と関係を維持したり、深めたりすることができる。 一方で、情報や意見を交換することはできても、人の深い温度感・存在感・質感はわから

        • 洞窟の入り口で調える

          ほんの少し前、街の中には、あれだけ普通にたくさんのものがあったのに、ほとんど触れることができなくなってしまった。いまはミニマムな生活しかできない。ひとにも、ものにも、ことにも、直接触れることができるって、とてもぜいたくであたたかいことだったんだなって、痛いほど思う。 あと2年くらい、波はあれど、こういう状態なのだろう。スペイン風邪も、3波を2年がかりで経過しているという。ドラゴンクエストなら、リレミトも唱えられない私たちが、これから洞窟に入るところ。装備を固め道具をそろえな

        言葉を封じ込めるもの

          そうだ、妄想旅に、出よう

          カミュの小説「ペスト」に、こんな言葉が出てくる。 「絶望に慣れることは、絶望そのものよりも悪い」 絶望の中にありながら、絶望に慣れなかった少女が、第2次世界大戦中のドイツにいた。アンネ・フランクは、ユダヤ人狩りから身を隠して隠れ家での潜行生活を余儀なくされている中で、色彩豊かな童話を書き続けた。 「アンネの日記」が有名だけれど、私のうちには、小さいときから、なぜか「アンネの童話」が多く置いてあった。それは両親のチョイスだった。あまりにも平和で、良心に満ちていて、自由な世界

          そうだ、妄想旅に、出よう

          不安と、手づくりの希望と

          「不安をペットにしたい」と、1週間前の私は言った。でもいま、その「不安」は、できたてほかほかの小さな「希望」をいっぴき、連れてきている。 もう、たぶん誰もが「あ、これはずっとは続けられないな」と思い始めている。 「誰も安全を保障してくれないな」 「何が正しいか、自分で見極めるしかないな」 と。 ふつうひとは、「安全じゃない」から不安になる。でも、こうなる前にも、そもそも絶対の安全なんて、なかった。原発も、地震も、森林火災も、噴火も、洪水も、交通事故もあった。国が専門家に定

          不安と、手づくりの希望と

          ともに「感じ」にたゆたう

          私のいまのお仕事は介護・福祉の専門編集者だけど、もとは介護現場にいて、ホームヘルパーとして車や自転車でぐるぐるお宅訪問をしていた。現場感覚をからだでわかって、介護・福祉の原稿の行間をそれなりにリアルにイメージできることが、私のお仕事の特徴だ。 いまはこんなご時世なので行けなくなってしまったけれど、現場感を忘れたくなくて、月に2日ほど、決まった高齢者施設に入居者の方々のお話を聞きに行っている。そこにいるある女性に、私はいつもどうしても声をかけたくなる。 その人は病気を抱えて

          ともに「感じ」にたゆたう

          いまこそ風刺で笑いたい

          庶民の行動が制限されているという点では、江戸時代に老中水野忠邦が行った天保の改革といまは少しだけ似ているように思う。その時も全国的な凶作、大飢饉などから一揆が起こり、庶民の生活の隅々に至るまでぜいたく禁止令が出されたらしい。世の中荒れに荒れた。本当なら自由にしたい。でもできない。鬱憤が溜まる。しんどい。 表現の自由も制限されたという。浮世絵もその一つ。華美なものや体制を批判するものの表現を禁じられ、出版前に検閲が入った。 奇想の絵師歌川国芳は、源頼光が手下の四天王と土蜘蛛

          いまこそ風刺で笑いたい

          「不安」をペットにしたくって

          専門家たちが口をそろえて、この事態は長丁場になるとコメントを出すにつれ、Webには「自粛期間の精神状態をどう保つか」というトピックが多くなってきた。経済の、自分の生活の先行きが見えない状態で、さらに家に引きこもっていれば、たいていの人が不安を覚えるはずだ。 私は、人よりすこーし早めに自粛期間に入った。1週間~10日が一番きつかった。2週間~3週間であがき始めた。3週間経って、私なりに一つの結論がでた。それは「不安とともに生きよう」ということ。 この事態になる前に、「不安」

          「不安」をペットにしたくって

          秀吉vs家康が教えてくれた「いま」のこと

          最近、現実と取っ組み合ってもしょうがないのと、直面するとしょーもないことが多く、前に書いたようにぷわぷわと歴史に逃げて、NHKーBS『英雄たちの選択』という番組ばかり見ている。歴史上の人物を生い立ちから追いかけ、歴史上のターニングポイントになった局面で、その人にどんな選択肢があったか、それぞれの選択肢にどんなメリット・デメリットがあったか、そして現代の脳科学・真理・軍事評論家・経済学者等々の専門家がその人物なら何を選択するか?を論じ合う内容。おもしろいのでとってもオススメだ。

          秀吉vs家康が教えてくれた「いま」のこと

          感動なき再会に感動したの巻

          3週間ぶりに家族に会った。うつすのが嫌で、すぐ近くに住んでいる母と弟には会わないようにしていた。 今日、弟から「今晩春巻き作るんだけど、お姉ちゃん、来る?」と言われて、いくことにした。3週間近く自己隔離して、感染させるリスクは相当程度に低いと思われたから。 自主的に自己隔離して2週間余、ずっとひとりで部屋にこもっていた。直接話すのは、おしゃべりな八百屋のおばちゃんくらい。それも2こと3ことくらいで、その他はオンラインで話すけれども、何かが……足りないのだった。 私が行っ

          感動なき再会に感動したの巻

          コロナ後に起こる「リアルのインフレ」

          最近、歴史番組を見ながら「ずっと前はどうだったんだろう」と思い、「このごはんおいしいな」と今を感じ、「このあとの未来はどうなるんだろう」とコロナのあとのことを想像する日が続いている。 昨日、リアルな場はなくならない、きっとまた興ってくる、とあたりまえのことを書いた。でも、それ以上だなって思う。「あたりまえ」レベルじゃなくて、とっても「贅沢」なことだったんだね!って、私たちが高揚する期間が一度来るはずだ。わたしたちは忘れっぽいので、たぶん、3カ月くらいしか高揚しないとおもうけ

          コロナ後に起こる「リアルのインフレ」

          リアルの再興

          この2週間、仕事以外でオンラインミーティングに5~6回は参加したと思う。飲み会も、言語交換も、ゲーム会も、上映会にも参加した。 で、思うのは…… 「やっぱり遊びはリアルミーティングがいいなあ……」 ってことです。 ポストコロナでは、人は必ずリアルミーティングに戻ってくる。ビジネスの大部分はリモートのままかもしれないけれども、「ここはリアルじゃなきゃ!」という部分の重要性が、再認識されるんじゃないか。 リアルオフィスがどんな分野で優位かも再吟味される。特にクリエイティ

          リアルの再興

          引き寄せない法則

          感染症騒動が始まった頃から、一人の友人の消息が途絶えた。 日本でコロナのことが盛り上がる直前、私は、ある出来事から、精神的にひどく不安定な状態だった。私は、彼女にとても泣きついて、みっともないところを見せて、頼って頼って、やっとどうにか一人で立ち直ろうとした矢先に、彼女からの連絡がふっつりとなくなり、コロナのことで世界がいっぱいになった。前の出来事からまだまだ立ち上がりきれない私は、コロナという加算がついて、ダブルもみ洗いのように葛藤に巻き込まれていった。 彼女とは、もう

          引き寄せない法則

          人間関係もscrap&build

          コロナ離婚とか、コロナ破局、コロナ結婚や、コロナっ子もできるのかもしれない。みんないろんな意味でいっぱいいっぱい。本当に。 今までだってゆるやかにそうだったのだけれど、こんなに急に、全体に、その場で答えろとのお題が与えられた。 「どう暮らす?」「どう生きる?」 こんなに本質的なお題をみーんなで大喜利って……けっこうたちが悪い。 夫婦でも肉親でも、同じテーマに全く同じ意見の人なんていない。だからみんな普段は外に出かけたり、別の趣味に走ったり、話さなかったり、ある人はとき

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          ぷわぷわと歴史に逃げる

          最近、お仕事が一段落ついたのもあるけれど、わたしはなぜか江戸時代の浮世絵師の作品を追いかけたり、第一次・第二次大戦の資料を読みまくったり、古典落語を聞きまくったりしている。 この大変なご時世、ほぼ誰もが日々の生活に一生懸命で、足元を見ないといけなくて、それはわたしも同じなはず。一応具体的なお話はあるとはいえ、この半年先くらいまでの仕事の不確実性はとても高くなっていて、明日の感染者と死者の状況如何で、その仕事が本当にあるのかどうかの確立が劇的に変わってくる。ある日突然、数百万

          ぷわぷわと歴史に逃げる