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Happy Journey 楽しい旅

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毎日、出会いと別れのくりかえし。 どんなはじまりも、おわりも笑顔でむかえられるように、はじめましてとさようならの手紙。
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#日記

はずむこどもたち

はずむこどもたち

わけあって、母子入院している。

私たちが病床を与えられたユニット(という名称で区切られている)は、我が子のような0歳の乳幼児から、小学生、中学生、高校生までの幅広い年齢層の子どもたちが入所する、いわゆる小児病棟だ。

県内外から、様々な理由でやって来る子どもたち。
それぞれの日程で、やってきては、帰っていく。
構成は日々変わる。

年齢も性別も、病状もちがう子どもたちが、ある一瞬の共同生活を強い

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行けなくて、行ける場所

行けなくて、行ける場所

年が明けたら京都に遊びに行くという友達に、おすすめの場所をまとめて教えるね、と年末に約束したことを思い出し、あわててリストをつくる。

10代の終わりから20代の半ばにかけて、年に2,3回は足を運ぶほど、京都に恋していた時期があった。その後、すっかりご無沙汰してしまった私のなかの京都地図は、今もあの頃のままだ。果たして、まだ存在するのかどうか、しっかり確かめもせずに、思いつくままに店の名前と感

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さよなら、おせち、お雑煮

さよなら、おせち、お雑煮

新年早々に、息子が水ぼうそうに感染した。
旅行をひとつキャンセルしたものの、今年のお正月は、なるべく移動をせずに、ゆっくり過ごしたいねと話していたので、希望通りの過ごし方となった。

私も夫も、年末年始の数日間は実家で家族と過ごすこと以外してこない人生だった。大晦日には、年越しそばを食べ、次の日の朝には、年末に仕込んでおいたおせちと、家でついた餅を焼いて入れたお雑煮を食べる。それを3日頃まで繰り

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写真集を欲するとき

写真集を欲するとき

もう何者の言葉も、自分のなかに入れたくない。
全ての情報を拒絶する。
そんな時、膝の上にのせた一冊の写真集の重みに、救われている自分に気がついた。
人類は言葉という道具を選んだが、言葉に救われる時もあれば、言葉が襲ってくる時もある。言葉はいつでも不確かで、言葉を信用するかどうかは、受取り手の判断に委ねられる。人はいつも自分の判断に疑心暗鬼だ。

言葉のない世界に、一枚の写真は、ただ、在る。
言葉の

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Irving Penn のflowersに憧れて

Irving Penn のflowersに憧れて

Irving Penn のflowersに憧れて、朽ちてゆく花の美しさを写真に収めたいと、常々試みてはいるものの、いっこうに上手くいかない。
つまりそれは、枯れゆく姿を、本当に美しいと思う眼が、私の中にまだ、育っていないということだ。
日本という国は、若さやかわいさを重宝がるきらいがあるけれど、その瑞々しい魅力に怯むことなく、しわがれてこなれた気品や色気に、美しさを見出すことができたなら、もう何も

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いなくならない

いなくならない

「いなくならない」
2014年に、世田谷文学館で開催された茨木のり子展、入場してすぐの壁に記された、谷川俊太郎さんが茨木のり子さんに手向けた詩のタイトルだ。
その言葉のその確かさに、私は思わず、深々と平伏した。
ちょうどその会期中に、大好きな祖母が逝ったばかりだった。
誰よりも、話し相手として祖母の存在を拠り所にしていた。大事な話し相手を失い、途方に暮れていて私は、入場早々、胸をすくわれた。

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さよならの音は、からりと明るく。

さよならの音は、からりと明るく。

ある時
木蓮の花が
ぽたりとおちた
まあ
なんといふ
あかるい大きな音だつたらう
さやうなら
さやうなら

山村暮鳥
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今現在、日本語の詩の中で最も好きな、山村暮鳥の「ある時」。
私が諳んじることのできる数少ない詩。
さよなら、という言葉を用いても、からりとして朗らかで湿っぽさを感じさせない類なき詩。
わたしもいつか、自らの身を以ておちるとき、暮鳥が耳にした木蓮のごとく、

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受けて立つ

受けて立つ

「血に抗いつつも、自分なりに転換の時代を生きよう。受けて立つ。沈む時は思い切って沈もう。沈む力さえあれば、浮上する力も生まれる。自由とは責任を持つことだ。」
秦 早穂子『影の部分』より。
喫茶店で何気なく手にとった雑誌の一節に、撃ち抜かれた。

〝受けて立つ〟

穏やかに、できるだけ静かに。
柔らかく、しなやかに。
意識的にそう努めてきたここ数年、私は、女に備わる強さについて怠けていたのではあるま

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一日だけの秋

一日だけの秋

浮遊感漂う軽めのポップソングからゆるやかに移行し、秋、ジョー・ヘンリーではじめる。

やさしく枯れた声に手をひかれ、穏やかに、気分は秋へと向う。

大好きな秋も、あっと言う間に駆け抜けて、気がつけば冬になってしまうから、はじまる前から既に苦しくなりそうだ。

毎夕、夕暮れの数分間は 必ず足をとめ、まるで、生まれて初めて見る夕陽のように、毎日見惚れ、あたりが暗闇に包まれるまで、ずっと眺めていよう。

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会話の潤滑油としての映画

会話の潤滑油としての映画

以前、夫婦の会話は業務連絡になりがちだと書いた。
一緒にいる時間も、できるだけ業務を進めるための、話し合いに使いたいという気持ちがどこかにあって、「映画でも借りるか!」という、映画好きの夫の提案に、気持ちよくのれない節があった。
なかなか一緒にいる時間ないんだから、話しておかなきゃいけないことや、進めておかなくちゃいけないこと、そんなことが頭をよぎってのこと。
子どもが生まれてからは、尚更だ。

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はじまったときには、もうすでに苦しい。

はじまったときには、もうすでに苦しい。

5月も終わりに近づくと、もう気が気でない。
メンフィス・ジャグバンドの
「ピーチ・イン・スプリングタイム」を聞いていたら、今年も訪れるであろう、桃の季節を思い出して苦しくなった。

とにかく桃が好きすぎるのだ。

桃の季節のはじまりを逃すまいと、
気もそぞろになる。
そうして用心深く、はじまりを予感した時にはもう、いずれ終わってしまうという、逃れようのない事実に、私の胸は、既に苦しい。

江國

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カサブランカ202号室

カサブランカ202号室

上京してはじめて暮らしたアパートの名前は、「カサブランカ」といった。

「あなたの部屋はイングリッド・バーグマンの部屋ね。」
大家さんから鍵を手渡され、茶目っ気たっぷりにウィンクされた瞬間、胸にこみ上げてきた、あの嬉しさをふと思い出した。
これからはじまる東京での暮らしが、
急に色目きだち、すぐさま映画「カサブランカ」を借りに走ったのだ。

アパートで1人、バーグマンの美しさに魅入りながら、東京で

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本は悪友

本は悪友

私の傍に、いつも本がいてくれる。

熱心な読書家ではない。
「趣味は読書です。」なんて、とても言えないけれど、たったひとり、途方に暮れてしまったときには、必ず本に手がのびる。

本は、私のたったひとりの味方でもあり、悪友でもある。
もし、あの本に出会わなかったら、こんなひねくれた性格にならなかったかもしれない。
こんなに迷うことも、悩むこともなく、今よりずっと生きやすかったかもしれない。

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しあわせになる覚悟

しあわせになる覚悟

夫と桃パフェを食べる夢を見た。
しかも、ひえひえの桃、丸ごと1個も追加している。
どうやら、喫茶店のようだ。
息子はおらず、狭い席に、ふたりで向かい合って座っている。

まいったなぁ・・・

途方に暮れて、目が覚めた。
困り果ててしまった。どうしようもなく怖い。

だって、桃なのだ。
桃は、私の大好物だ。
一年のある一瞬の間しか食べることができない、特別な食べもの。
桃が出回る頃になると、

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