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久しぶりの異文化体験。また、通訳役について改めて考える②

前回のnoteはこちら。良かったらこちらからお読みください。

さて、前回書ききれなかった「通訳役」について書いて行きたいと思う。初めましての方々は、この辺りに目を通して頂くと、ちょっとイメージが湧きやすいかもしれない。

先日、台湾からやって来た彼の従姉妹。彼女の英語はlower intermediate levelだと言えるだろう。対する私は、higher intermediate level。そんな変わらないね、と思われるだろうか。はっきり言って、本当にそんなに変わらない。私の英語力なんてものは、ちょっと一人前っぽく振舞っていますが、後ろから突かれたら、おっとと…となる感じ(なにそれ)

ゲームの最中に思った通訳のあれこれ

先日、その従姉妹と彼と小学生と私の四人でゲームをして遊んだ。

遊んだゲームはこれ。このJackboxというゲームの大ファンな私達。残念ながら日本語版は出ていないのだが、これは、パソコンやSWITCH等にインストールし、各々のiPhoneなどのデバイスがコントローラー代わりとなり遊べるパーティーゲームです。

大人気シリーズで、シリーズ8まで発売している。私的、面白さのポイントは、お絵かきゲームや嘘つきゲーム、お化け屋敷ゲーム、トリビアクイズなど多岐にわたってそれぞれとてもユニークだから。ファミリーフレンドリーなモードを選択する事も出来るのでお子様がいても安心。参加しなくても見てるだけでも楽しめる、結構貴重なタイプのゲームだと思います。

おうちえいご教育とかしている方にも割とおすすめ…英語文化的背景を必要とするか、というとちょっとイエス。

その中でも、このゲーム「Fakin' It」というものはそんなに英語力を必要としない軽いゲームの一つ。

5人いたら、それぞれのケータイにミッション「この中で一番良いハグをする人は誰?」というものが送られて来て、該当者をせーので指差しをする。しかし、一人だけ、ミッションが送られて来ない。代わりに「あなたはfaker。適当に自分を含めた誰かを指差し、話を合わせてね♡」みたいな画面が表示される。「3,2,1…さあ、該当者を指差して!」という掛け声を合図に、嘘と疑い目の駆け引きが始まる…みたいな、人狼ゲームである。

このゲームの最中、彼が中国語で従姉妹ちゃんにルールを説明。私達はもう既に何度も遊んだことがあるので、とりあえず待つ。ゲームは割とサクサク進むので、彼は起こった事を瞬時に通訳。

そして、小学生と私は、くだらないギャグを言ったりしてふざけていた。すると、彼に「君たち、ちょっと静かにしてくれる?俺の喋っている事が、彼女の耳に届きにくい」と注意を受けた。お、おぉ…ごめん…。シュン…となる私たち。その後、ゲームは盛り上がるものの、何となく盛り上がり切れない私たち2人。いや、小学生はなんとも思っていなかったかもしれない。知らない、聞いてないから。でも私は、その通訳を待つ待ち時間の退屈さと、静かにしないとという背筋が伸びる感覚、さらにゲームを楽しみたいという単純な思いが交錯していた。

心が狭いだろうか。はい、それもあるかと思う。

でも、この、気を遣わなくてはいけないという雰囲気すら久しぶりで、完全に忘れていた。

通訳が入ると、同じ事をもう一回違う言語で言う訳だから、その分、倍の時間が掛かる。中国語を理解しない我々は中国語が話されている間は待つし、英語をあまり理解しない従姉妹は我々が話しているのを待っている。

通訳とゲームの相性の悪さもあるだろう。従姉妹ちゃん、それからボードゲームにも誘っていくつか皆で遊んだが「英語がむずい」という理由でもうそんなにやりたくない、と言ったそうだ。

ディナー後に知った通訳のあれこれ

レストランでご馳走になった時のこと。いつも、彼のお父さんにご馳走になる時は、お支払いをされる彼の好み、ロブスターと蟹の宴…海鮮中華、もしくは鍋が99.999%である。

こないだ「この日は皆でご飯行くから空けといて」と彼に言われた時も、あら、私も入れてくれるんだ、有難いな、と思った。そして、当日、この4年間のお付き合いで、一回も足を運んだことのない、ダウンタウンの高級おしゃれレストランに行く頃を知った。と、いうより向かっていく段階で(もしや…あのレストランなんじゃ…)という感じで知った。

それは、インスタギャルの従姉妹ちゃんのリクエストだということは明らかだった。かわいい姪っ子ちゃんの為ならこんなレストランも予約してくれるんだなぁ…私ももっと頑張ろう…と思ったりした。

その日、小学生は連れて行かなかったので、大人の我々だけの落ち着いた席。そして私は思った。しまった…アウェイだぜ…

そう、中国語だけの会話(父と息子)だけになっても安心なお互いの味方、小学生(英語しか話さない)がいないのだ。

まあ、私は景色を楽しんだり、周りのお客さんの食べているお食事をそっと見学したり、暇ながらに笑顔を絶やさず、お食事を堪能した。時折話し掛けてくれるサーバーの女性に対して(あぁ、あなたは私の知っている言語を話す…)と感動すら覚えたりもした。

私はこんな感じだったと思う。

いや、もうこのまま。食べているだけの背景。なんなら何故ここにいる?くらいな背景。時折、隣に座った彼が話し掛けてくれてちょこっと話す。完璧なアウェイ。

久しぶりの孤独感を味わった。

その数日後に、また皆でご飯食べに行こう案が出たのだが、私はそっとお断りをした。退屈だったからだ。それだけの理由。ちょっと先日の傷が癒えていないうちに、またあれを、と思うとご遠慮したかった。

「私はいいや、お夕飯の前にお家に帰ろうと思う。洗濯したいし、明日の朝も早いし」と言うと、何かを察した彼。何か隠している?と、問われたので、正直に「そんなに行きたくない」と申し上げた所「彼女の英語力知ってるじゃん。そんなにneedyになるなよ」と言われた。だから、私は行きたくない、家に帰ると言ったはずなのに、何故に私は責められているのか。ちょっと憤りを感じ、その後、口論に発展してしまった。

その日のうちに仲直りはしたが、大人気なかったなぁ、と今になっては思う。まあまだ滞在中なので、そのうちまたご飯一緒に食べに行くと思うんですけど。

彼が放った言葉も印象的だった。「間に挟まれている俺も大変だ
そうだろうなぁ、と思う。会話を楽しむ、というより通訳に明け暮れ、両側のリクエストに応じる感じ。絶対大変だと思う。

シンプルに面倒だし、時間は掛かるし、彼一人しか出来ない事だから負担は彼一人が被る(彼父も出来るが私に対し通訳をするという義理はない)し、日常的に通訳を必要とする生活って本当に大変だと思う。成人ですらそう思うので、例えばこれが親と自分の教師の通訳役となる子どもとか、親と銀行員の通訳役になる子どもの大変さは計り知れない。

子どもが親の通訳役になる時

これは、本当によくある。ちょっと前にTwitter上で、ミックスの子どもが体験する親の通訳役にならなくてはいけない大変さが話題になっていたりもした。

私は大人なので、自分の子どもに通訳をさせなければならない立場に今後なりうるかもしれない。解決策としては、私が、とことん勉強する、それだけだと思う。

今回、通訳が必要となる経験をちょっとだけ味わい「これ、日常生活だったら大変だなぁ」というのが一番で浮かぶ。だれもそれを望んではいないだろう。通訳がいなくてはいけない環境は、望まれて生まれる訳ではなくて、やむを得ずに出来上がるものだ。だからこそ、ありかなしか、みたいな論争は出来ないのだが。

そういえば、この話をnoteでしたか、覚えていないが、

このビデオは、涙なしに観れない。何回観ても、心にグッと、いや、もっとなんというかドスッとパンチを食らうような人々の思い出。

言語って、本来、ただのツールなはず。人と人を繋ぐ。通訳役も、同じく人と人を繋ぐ役割があるけれど、繋げている本人の辛さにはあんまり気付かなかったな、というのが私の本音である。

それから、これはちょっと本題から離れてしまうけれど、上のツイートのように、我々はつたない日本語を話す人々に対して「日本語が話せない=教養がない」というようなレッテルを貼りがちである。これは英語でも同じように注意喚起が唱えられていて、アクセントが無かったりどれだけペラペラに喋れるかで、その人の知力を計ろうとしてしまいがちである。そういう事で悲しい思いをする人が少しでもいなくなるといいな、と私は思います。

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