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"自分の意見"を伝えるために必要な3つの視点③〜共感しすぎないことが重要だと思う理由〜

自分の意見を伝えるという観点で書いていますが、
要は、私が思うコミュニケーションのお話です。

前回、前々回までは、
① 話の次元について、
② 相手のアウトプットを受け入れすぎない
 (1)話を聞きすぎない
 (2)共感しすぎない

という2点について書いてきました。
今回は前回書ききれなかった部分からの続きです。

相手の話に共感しすぎない

前回の、話を聞きすぎない分類の話だとしたら、
今回の共感しすぎない認識の話でしょうか。

他人に共感するというのはコミュニケーションの中でも重要な要素だと思いますが、
状況によっては”自分が言いたいことを言えなくなる”という事に陥ると思っています。

どうゆうことかというと、

ここでいう自分が言いたいことというのは、
”自分の脳みそが考えた自分が言いたいこと”という意味で、
要は、誰かの二番煎じではないという事です。

ただ、そこで”相手の話に対する共感”の要素が強くなってしまうと、
自分の意見のようで実は誰かの意見をそのまま伝言ゲームするという事になると思っていて、しかもそれが無意識下で起こっていて、
…それが本当に100%その人がそう思っているのならそれでいいんですが、
結構その内容の背景に対応する理論がすっぽ抜けてしまうことが多くなると思うんですね。

理論<相手に対する信頼 ?

例えば、
誰かから身体にいい食べ物について教えてもらったとして、
それがなぜ、どのようにイイのかは「誰か」は分かっていて、わかりやすいように背景の情報を省いて伝えたのかもしれませんが、
教わった方はその背景の理論をすっ飛ばして、この食べ物が身体にイイと理解してしまうと思うんです。

口から入ったものがどのように作用するのか、
身体のシステムのどの部分を改善するのか、
そもそも教わった人にそれが合うのか、

もしかしたらそんなことなんかよりも、

「イイ」という判断は、
もしかしたら、
「相手に対する信頼」に置き換えられるそんな現象だと思っています。

一次情報を発信する

これは、一次情報と二次情報の違いだと思っていて、
確実に一次情報の方が理論の精度としては高いと私は思っています。

一次情報というのは、オリジナルな情報で、
本人が直接的に体験したり考えたりした情報で、
二次情報というのは、他人や本から得た情報です。

こう書くと、
一次情報の信頼度が高いのは理解できます。
でもそこで共感しすぎて、
その二次情報を大事に抱えているよりも、
自分のオリジナルな考えに変換するという事、
つまり一次情報にしていくというプロセスが、
自分の意見(一次情報)を言うという背景には重要になるんじゃないかなあと思っています。

今回は『"自分の意見"を伝えるために必要な3つの視点③〜共感しすぎないことが重要だと思う理由〜』について書かせていただきました。

また、あしたね(^^)/~~~





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