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僕らがもっと自由になるためのベーシックインカム宣言
今から3年前(2017年)、「全成人に毎月8万円配布のベーシックインカムを提案する」という投稿を世に問うた。ベーシックインカムがプチブームになっていた時期だったからネット上でも話題になって、財源とかも示したので良くも悪くも賛否を巻き起こしたかなと思う。
あれからずいぶん時間が経った。僕はあの投稿の後、選挙に出て落ちて、しばらくぶーたれて、フリーターもやって、いろいろ世間に揉まれた。今は、政治的な
変化という時代の新しい学びの保障
僕はいま渋谷のベンチャーで働いている。役所、政治、ベンチャーと渡り歩いてきたけど、どの世界も新しい発見と学びが満ちている。
役所では法律や予算の作り方といったザ・お役所仕事はもちろんのこと、合意形成の取り方とか、メディアとの接し方、国会議員との関係など人間臭い情緒的な面も存在した。役所は2年ごとに異動するので、その都度勉強しなければいけないことも多かった。良くも悪くも日本を考える上で有意義な経験
マウントおじさんのマウント発言をマウントスタイルで批判するマウントメディア
森元総理の発言が炎上している。
今回の発言に批判が集まるのは当然だと思うが、一連の騒動を見ていると、少し前に書いたマウントおじさんという病があちこちに噴出していることが気になった。
マウントおじさんは自らを棚に上げて、立場を利用した上から目線の会話をしてくる。厄介なことに、そのような社会ではマウントされる方もそのことに自覚がない場合が多い。
森元総理がJOCというマウント社会の中心にいること
マッチョな昭和とツギハギの平成
元号は面白いものだ。誰かが「本における章立てみたいなもの」と言っていたけど、本当にそうだなと思う。そこに区切りがあれば僕らは意味を込めたくなる。
僕なりに昭和と平成の意味合いを考えていたら「マッチョな昭和」と「ツギハギの平成」という言葉が思い浮かんだ。会社中心のマッチョな社会で皆が邁進する昭和と、そこへの信頼が崩れて必死にツギハギを施す平成、というイメージだ。前に「ロールモデルなき時代へ」を書い
マウントおじさんという病
僕が公務員の頃の話だ。
役所はマウントおじさんの巣窟で、立場や年次を利用した上から目線の会話や高圧的な指示などにあふれていた。当初は違和感があったけど、少しずつなじんでいき数年後には自らもマウントおじさんの一員となっていた。
役所を辞めた後、自ら事務所を運営する立場になった僕はマウントスタイルを引きずったままだった。そしてそれが見事に通用しないことを知った。人が次々に辞めていったのだ。
当初
ロールモデルなき時代へ
エンパイアステートビルというニューヨークの摩天楼を日本の会社が買収した1990年初頭は、会社中心に社会を組み立てた日本が最後に輝きを放った時期だろう。
その頃までに、会社を中心として学歴社会、新卒一括採用、終身雇用、定年、年金生活などのロールモデルが形作られていた。このロールモデルの中では個々人の自由がいろんな形で制約されたり、会社に長い時間を捧げたりすることが尊しとされたけれど、それでも長期的
副業とベーシックインカム
副業が流行っている。いろいろな会社が副業を解禁して政府もその流れを後押ししている。
会社一筋でやっていける時代が終わったということの象徴ともいえる。高度経済成長期には会社都合で副業禁止をうたい政府もそれに乗った。その成功モデルが無理になったら副業を解禁するという、ある意味虫のいい話のようにも感じる。
この副業禁止の慣行もまた、前に投稿した労働意欲が前提の社会と同じく、すごく狭い歴史の一地点の産
アメリカという自由の王者の敗北は、僕たちに自由の礎を築くための残り時間が少ないことを警告している
アメリカの議会が襲撃された。自由の象徴であり自由の王者だったアメリカで、そのシンボルの一つが自由とは真逆の人々に占拠されたのだ。
ベルリンの壁が壊された日に、世界は自由が席捲したはずだった。しかしたった30年でその世界が再び変わろうとしている。僕らは、大きな転換点の岐路にある。
いまアメリカで起きていること、そして世界で起きていることが元に戻るとは思えないし、不可逆的に変化が起きていく気がして
ベーシックインカムが労働意欲を阻害するかという問いに感じるうさん臭さと、新しい時代のベーシックインカムの条件
ベーシックインカムが労働意欲を阻害するとの声は多い。僕自身、3年前の「全成人に毎月8万円配布のベーシックインカムを提案する」の中では労働意欲の低下に注意する必要があると述べていた。
が、ほんとにそうなのだろうか。この問いについて、僕は当時とはだいぶ異なる感覚をもっている。
そもそも労働意欲という言葉に、うさん臭さを感じてしまうようになった。
少し前の投稿でも触れたが、今の時代はまだまだ前の時
僕はなぜ政治を3年で離れたのか
2021年が始まった。僕自身がこれから前に進むためにどうしても触れなければならないことを、この年の初めに書いていきたい。
僕は2014年から約3年間、政治の場に身を置いた。多くの人たちと活動を共にして、楽しいことも辛いこともたくさんあった。「どぶ板」と呼ばれる地道な活動から動画投稿などのインターネットを活用した活動に至るまであの手この手を試して、どうやったら選挙に当選するかの一点を考えて過ごした
自由をもたらすどころか、お互いの足をひっぱらせている日本の制度
僕らが自由に前に進む先には、山があり谷がある。チャレンジには失敗が付き物だから、それを支える存在がどうしても必要だ。
ベーシックインカムは、誰に対しても等しくチャレンジを支える存在として機能しうる。自由の格差を埋めてチャレンジへと繋げていくのだ。それが、僕がベーシックインカムの必要性を訴える理由の一つだ。
しかし今、日本が用意している制度の数々は、人々に自由をもたらすどころか人々の足をひっぱる
ベーシックインカムに「自由の礎」(Foundation of Liberty)という新しい定義を与えたい
ベーシックインカムとは何だろうか。その言葉の響きから僕らがまず感じるものは、いくらかのお金が配られるものというものだろう。
ある人はベーシックインカムを最低限の所得保障と言う。最低限ではなくて、普通の生活を保障するものと言う人もいる。実際、世界中で行われているベーシックインカムの実験は生活をどの程度支えるかが前提になっている。
僕もそう思っていた。だから3年前の投稿「全成人に毎月8万円配布のベ
好きなことで明日をつくろう、ベーシックインカムにはそれを広める役割がある
僕はいま渋谷で働いている。ベンチャーやスタートアップが次々生まれて、アイディアやサービスがひっきりなしに生まれてくる場所だ。
今までの経験の中では味わったことのない感覚を持ちながらすごしているが、何より違って感じるのは、嫌なことは嫌だと言える空気感、好きなことに熱狂できる空気感だ。
この空気感はたぶん、少数の人間とか一つの企業とかで作っている空気感じゃない。多くの人々、そこに集う企業が「群」と