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変化という時代の新しい学びの保障

僕はいま渋谷のベンチャーで働いている。役所、政治、ベンチャーと渡り歩いてきたけど、どの世界も新しい発見と学びが満ちている。

役所では法律や予算の作り方といったザ・お役所仕事はもちろんのこと、合意形成の取り方とか、メディアとの接し方、国会議員との関係など人間臭い情緒的な面も存在した。役所は2年ごとに異動するので、その都度勉強しなければいけないことも多かった。良くも悪くも日本を考える上で有意義な経験だった。

政治の世界は、恐ろしく泥臭く野趣あふれる感じだった。この時の様子は「僕はなぜ政治を3年で離れたのか」に詳しく書いたが、「人間」を知るにはあまりにも貴重な時間だった。

そして今、渋谷で働くことになって世界が一変した。新しいカルチャーとテクノロジーの進化、スタートアップという熱狂。横文字が並んでいることからも分かるが(笑)、あまりにもこれまでと違う世界で毎日が新鮮な学びに満ちている。

変化はときに恐ろしくもあるし、学びは億劫なときもある。それでも、変化の時代で生きていくために学びの機会を何度も経験できている状況に、ときに感謝し、適応していかなくてはいけないと思っている。

僕はこんな経験をしてきているので、学びの機会が大学受験でピークアウトしてしまうような社会は寂しいと思っている。そして、学びが金銭的な豊かさのみで語られるのではなく、心の豊かさにこそ結びつく社会に憧れる。

誰もが希望すれば、学びの機会を何度でも迎えられる社会への期待、それがベーシックインカムを発信する一つの動機でもある。

その一方で、実はこの2月から小2の娘が学習塾に通うことになった。正直、葛藤はある。このレールの上にある「教育」が、変化の時代に何を教えるのだろうか、そして大学が終着駅という幻想を抱かせてしまうのではないだろうか、という不安があるのだ。

それでもなおこの道を選んだ。現実と向き合ったとき選択肢はそんなに多くはなかった。

社会が学びに寛容であるかどうかはとても大事なことだと思う。学びの機会を何度でも作れる社会への期待、娘の漢字練習を見守りながら、そういう社会を目指して発信していこうと思ったのであった。

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