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僕はなぜ政治を3年で離れたのか

2021年が始まった。僕自身がこれから前に進むためにどうしても触れなければならないことを、この年の初めに書いていきたい。

僕は2014年から約3年間、政治の場に身を置いた。多くの人たちと活動を共にして、楽しいことも辛いこともたくさんあった。「どぶ板」と呼ばれる地道な活動から動画投稿などのインターネットを活用した活動に至るまであの手この手を試して、どうやったら選挙に当選するかの一点を考えて過ごした3年だった。

結果的に、選挙に当選することはなかったが、選挙に至るまでの全ての活動に後悔はない。それほどまでに完全燃焼したのだ。

ただしばらく時間が経って、やっぱりきちんと振り返っておかないといけないと感じている。僕はなぜ、政治を3年で離れたのか。

①一度目の選挙で大きな勘違いをする

僕は政治の門戸をたたく前、役所で働いていた。役所と政治家には微妙な間合いがあり、つかず離れず、持ちつ持たれつみたいな不思議な関係で出来上がっていて、役所の人の中でも政治との距離が近い人と逆に遠ざけたい人の両方がいた。

僕自身は比較的政治と近い人間だったと思う。だから今思うといろいろ勘違いしていたところもあった。特に、「政策」のことを知っていれば政治には通用すると思い込んでいたが、後日そこは痛いほど勘違いだったと思わされることになる。

役所を辞めて初めて政治の門戸をたたいたのは、役所の時にお世話になった政治家だった。僕は、自らの政策に近い政治家の元で政治の「いろは」を勉強した後、「地元」と呼ばれる選挙区に降り立つことになった。

そのとき僕は、様々な種類の政策を用意していた。バックボーンに近い領域からそうでない領域まで勉強して政策化していた。政治の現場で、それなりにできる人という顔をしたかったのだ。

ところが、である。この政策というのは本当に驚くほど政治の現場とは関係がなかった。どれくらい関係がないかというと、特にいわゆる初めて選挙に出るような「新人」の場合には、ほぼ無関係と言えてしまうほどのものだったのだ。

想像力が欠如していたと言えばそれまでかもしれない。普通に考えれば、ほとんどの人にとって政治に立候補する一人一人の政策の違いなど知る由もないし関心もないことなのだ。今政治から離れて思い知らされるが、よほど目立ったひと握りの政治家以外、大半の政治家の政策的主張は知られていない。まして、「新人」は顔も名前も分からない場合がほとんどで、政策などもってのほかなのだ。

もちろん、主に与党議員で構成される閣僚、さらにはそういう人たちがトップを占める政府が何を言っているかは誰もが気になることだが、それもやはりほんの一握りの人たちの話なのだ。

そんな状態で「地元」に突入したものだから、始めは周りの人から相当ポカンとされたんだろうなあと思う。

それでも不幸中の幸いだったのが、一回目の選挙がすぐにやってきたのだ。2014年の10月に活動を始めてすぐに衆議院が解散、総選挙に突入したのだ。

さすがに選挙が近づくと、テレビから新聞までこぞって報道してくれる。否が応でも世間の関心の高まりを感じることになる。

僕は、自慢の政策で選挙戦を戦い、見事それが空回りして落選した。報道で僕の政策が大きく取り上げられることは皆無で、僕の経歴と、与野党がどういう構図になっているかの報道に終始していた。政策ばかりではだめだということを、強く思い知らされることになる。

② 二度目の選挙に向けて考えて実行したこと

一度目の選挙の後、いろいろと考えさせられた。政策を持って戦ったがそれがほぼ結果に無関係なのだとしたら一体何で戦えばいいのだろうか。

ものすごく残念なことに僕は政策しか武器をもっておらず、その武器が残念ながらめちゃくちゃポンコツだったのだ。

いろいろ悩んでたどり着いたのが「どぶ板」だ。「どぶ板」をやれば選挙に勝てると、どの指南書にも書いてある。じゃあ「どぶ板」をやろうということで、とにかく選挙区の上流にある地域から一軒一軒回ってみることにした。

これまた後日思い知らされるのだが、僕が始めた「どぶ板」のやり方は筋悪だった。

一軒一軒回るのはどうしても時間と労力がかかるから、一日朝から晩まで回ってもせいぜい300軒が限度だった。それでも、他に武器がないので、とにかく回って挨拶をして課題や要望を聞いていった。選挙区にはおおよそ20万軒くらいある計算だったから、2年あれば全部回れるだろうと計画を立てたりした。

それで、土日も関係なく毎日毎日回って2カ月くらいたったある日のことだ。少しずつ知り合いも増えて、地域の情報も入るようになってきていた。その中で、とある地域の住民の声として、ある政治家が一軒一軒回ってとても頑張っている、とい評判の声が耳に届いたのだ。

正直、狂喜乱舞した。ようやく政策一辺倒の頭から政治とは何かが分かってきた気がしていたのだが、この話にも残念ながら落ちがあった。

よくよく聞くと、評判になっていたのは僕ではなくて、相手候補が毎日毎日一軒一軒歩いているという話だったのだ。

愕然とした。

あれだけ時間をかけて丁寧にやったのに、評判になるどころか相手候補の実績が上回っていたのだ。

今離れてみて思うのだが、やはりここでも僕は想像力が欠如していた。何か一軒一軒回ることが「どぶ板」だと思っていたのだが、これが違っていたのだ。

大事なのは、「誰が」「どぶ板」をやるかなのだ。

訪問を受けた人の立場で想像してみる。例えば現職の総理大臣が家に来たらどう思うだろうか。良い悪いは関係なく忘れがたい記憶になるだろう。それに比べて、よく知らない政治を志す人が家にきたら、どう思うかは別にして、多くの人はそのこと自体を忘れてしまうか、良くても誰か知らない人が来たというくらいの記憶でとどまってしまうだろう。

僕が相対した候補は、現職の国会議員だった。地元での知名度はピカ一だった。僕がいくら「どぶ板」をやったところで、現職国会議員が回ればそれは上書されてしまうのだ。

そのショッキングな事件の後、ただ僕は、一軒一軒回る「どぶ板」活動をやめなかった。その活動自体は、政策一辺倒の僕に新しい知り合いを増やしてくれたし、その後に繋がっていったのは確かだったからだ。

③ その後の展開と、募る疑問

僕の政治活動は、その後少しずつ変わっていった。一軒一軒回る活動が意義あるものになるためには条件や前提が必要だと気付き、知名度を上げるための活動に注力した。

街頭や駅頭に立ったり、あちこちにポスターを貼ったり、後援会を立ち上げたり、インターネットでの活動の幅も広げた。

多くの人と出会い、また別れもあり、とにかくがむしゃらに取り組んでいた。政策では勝てないとは知っていたが、ベーシックインカムに熱狂して「全成人に毎月8万円配布のベーシックインカムを提案する」を公表したのもこの頃だ。現職の国会議員にまぜてもらって、憲法私案を一緒に作り上げて公表したりもした。

日々の活動は充実していた。手ごたえがないわけでもなかった。

しかしこうした活動を重ねるうちに、頭に浮かぶ疑問が少しずつ強くなっていく。それは、これはいったい誰と戦う選挙なのだろうかということだ。

④ 選挙とは誰と戦うものか

選挙は、時の与党と野党が相乱れて選挙区を取り合う陣取り合戦のようなものだ。各選挙区ではほぼ必ず与党と野党が候補を立てあうことになる。

だから普通の感覚からすると、与党と野党が戦っているように思われるだろう。

ところが、だ。実際に選挙区で立候補してみると少し違う景色が見えてくる。というのも、候補者の多くは、実は選挙を通じて同じ党内同士で戦っていたりする。また、政党とその政党に所属する候補者個人の戦いもある。歴史の積み重ねや複雑に入り組んだ制度によってそのようなことが起こってしまうわけだが、選ぶ側からしても立候補する側からしてもわりと健全とは言えない状態に追い込まれてしまうことになる。

一回目の選挙では時間も経験もなくこのあたりの複雑な構造が分かっていなかったが、その後3年近くの政治経験を積んだ結果、決して単純ではない政治の現状にいろいろ気付かされることになったのだ。

もちろん、そこで立ち止まるわけにはいかなかった。このような疑問を解消する意味でも、そのときは当選が近道だったのだ。

⑤ 二度目の選挙、そして今の考え

2017年の選挙に出て、僕は二度目の落選という結果になった。選挙区内での負けのみならず、党内での復活もならなかった。

繰り返すが、僕は選挙に至るまでの自らの政治活動に全くの後悔はない。ただ、選挙の後は落ち込んでいる時期が長くあった。今の会社で働き始めて、ようやく社会にカムバックできた気がしている。

会社員として働きながら、役所や政治の世界とは異なる、多くの新しいことを知ることができている。停滞する社会に長くいたせいで、いま周りで躍動する人たちが多くいるのが驚きでもあり、新鮮でもある。

そして、ベーシックインカムに再びたどり着いたことも不思議な縁だと思う。

政治とは離れたが、いやむしろ離れたからこそ、ベーシックインカムの価値にたどり着けたんだとも思う。ただもちろん、政策一辺倒だった僕が「どぶ板」によって変化できたこともまた事実だ。

選挙を通じて、政治の持つ複雑の戦いを知った。このような複雑な争いの中では、一つの政策をシンプルに組み立てていくことは容易なことではないとも思う。

今はそこから離れて、もっと自由になるためのベーシックインカムを、僕自身が自由な立場で発信していきたい。

今年は、そんな年にしていきたいと思う。


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