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自由をもたらすどころか、お互いの足をひっぱらせている日本の制度

僕らが自由に前に進む先には、山があり谷がある。チャレンジには失敗が付き物だから、それを支える存在がどうしても必要だ。

ベーシックインカムは、誰に対しても等しくチャレンジを支える存在として機能しうる。自由の格差を埋めてチャレンジへと繋げていくのだ。それが、僕がベーシックインカムの必要性を訴える理由の一つだ。

しかし今、日本が用意している制度の数々は、人々に自由をもたらすどころか人々の足をひっぱるようなものが多い。制度の目的を達成するために導入された縛りや条件が、人々の足をひっぱる存在になってしまっているのだ。

例えば、お金を給付する条件として、働いて稼いだ分だけ給付額を減額するという制度がある。生活保護や年金はその代表だ。この手の制度では、働かなければ給付額は差し引かれないから、そちらに強い吸引力が発揮されてしまう。生活保護制度には就労を促すための支援事業もあるが参加者がなかなか増えないという。制度自体に参加者の足をひっぱる要因が埋め込まれているとしかいいようがない。

一定の収入を超えると恩恵を受けられないという制度も存在する。例えば扶養制度には「年収130万円の壁」が存在する。年収が130万円以上になると家族の扶養に入ることができなくなり、自ら年金・保険料を払わないといけなくなる。だからできるだけ年収を細かくカウントして扶養ぎりぎりで働く人が多い。働く人にとっての意欲を阻害してしまっている。

これらの問題は、しかし難しいのは制度から単に縛りや条件をとり外せばうまくいくというわけではないということだ。制度の恩恵を受ける人が限られているから、それ以外の人から見たときに単なる不公平な制度になってしまうのだ。

一面において、制度の恩恵を受けない人々が、制度の恩恵を受ける人々の足をひっぱっているという現実がある。制度の存在自体が、この反目をもたらしている。僕が以前投稿した「現役世代の自由と時間が高齢者に捧げられている現状を、単なる美談で終わらせられる時代はとうに終わっている」も、その一部だ。

制度を導入するきっかけは麗しい美談だったのかもしれない。しかしそれがいつしか反目を生み、足の引っ張り合いにまで至っている。

この反目と足の引っ張り合いは、終わらせなければならない。すべての人に一定の自由の礎が提供されるベーシックインカムが、その役割を担うと僕は信じている。

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