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マッチョな昭和とツギハギの平成

元号は面白いものだ。誰かが「本における章立てみたいなもの」と言っていたけど、本当にそうだなと思う。そこに区切りがあれば僕らは意味を込めたくなる。

僕なりに昭和と平成の意味合いを考えていたら「マッチョな昭和」と「ツギハギの平成」という言葉が思い浮かんだ。会社中心のマッチョな社会で皆が邁進する昭和と、そこへの信頼が崩れて必死にツギハギを施す平成、というイメージだ。前に「ロールモデルなき時代へ」を書いたが、昭和と平成は逆にロールモデルありきの時代だったともいえる。

平成の終わりに僕が書いた「全成人に毎月8万円配布のベーシックインカムを提案する」は、マッチョな昭和とツギハギの平成に大きく引きずられていたと思う。昭和と平成を生きてきた「常識人」に囲まれて、その呪縛から逃れるのは難しかった。

例えば当時の僕は経済成長という目的に疑問を抱くことはなかった。そのために意欲をもって働くということも当然だと思っていた。人口減少への対処を必死に訴え、地方創生を叫んでいた。

すべてマッチョな昭和への憧憬だ。そしてそれに引きずられたベーシックインカムは、ツギハギの平成像そのものだった。

成長も意欲も、人口も地方も、国や会社にとって大事なものではあるが、それらが語られるとき僕らは全体の中での「パーツ」や「駒」のように扱われがちだ。しかも様々な規律が見えない壁のように立ちはだかる。

僕らはもっと自分たちの自由の中で生きていきたい。だからこそ、ツギハギの平成を抱えたベーシックインカムから離れて、自由を中心に社会を考える試みをこのnoteで続けている。


そんなことを考えていたら先週、日本維新の会がベーシックインカムを公表した。

https://blogos.com/article/513025/?fbclid=IwAR0ismnN0TmxBjxeTqaAjw2nJEocbxYXStlJob-T44qZKkQVe6N8bYEjQYo

いろんな評価があると思うが、僕の目にはマッチョな昭和とツギハギの平成に引きずられているように見えた。

「チャレンジのためのセーフティネット」など少なからず共感する部分もある。しかし、ベーシックインカムの目的を「経済成長」におき、成長戦略、再分配、新・所得倍増計画、それに年金制度の維持を通じた高齢者への配慮など、随所にこれまでのロールモデルを念頭においた制度構築になっている。かなり複雑な作りにもなっていてツギハギ感も否めない。

政治という現実の中で議論されているベーシックインカムはやはりこうなるのかなと思った。とはいえ、ベーシックインカムが政治の場で広く議論されるようになりつつあることは感慨深い。

改めて、僕は僕なりに令和の時代のベーシックインカムを深めていきたいと思った。

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