かんたんなリアリティと実在論の役割り 実在論の重要性と構造主義との使い分けについて

かんたんなリアリティと実在論の役割り、実在論の重要性と構造主義との使い分けについて


・はじめに

 リアル、リアリティ、実在感、実体感などがなぜ必要かについて説明します。

 こういったものを扱う哲学や思想もあってリアリズム、あるいは実在論とも呼ばれます。

 こうした思弁や理論としてのリアリティだけではなく、具体的な心理発達におけるリアリティや精神障害におけるリアリティに重点を置いて説明します。

 これは非常に古くからある人類に根付いた思想です。

 それゆえにリアル、リアリティ、実在感、実体感などは当たり前過ぎて長らく問題にされませんでした。

 問題にされなかったというより問題であると気づかれなかったという方が正確です。

 あって当たり前でないことを仮定して考えても仕方がなかったからです。

 現在はVRやARのようにリアリティが注目されています。

 技術や産業やエンターテイメントなどの実業については詳しくありませんので思想としてのリアリティの解説を行います。


・リアリティがない場合

 我々の神経、精神、認知、脳の発達はリアリティを感じる能力の発達の過程とも言えます。

 物事にリアリティを感じられない場合、リアルな物事の想像を出来ない場合を知的障害と見なされてきました。

 現在は神経発達障害の知的障害と言われますがその前は精神遅滞と言われていたこともあります。

 つまりリアリティは知や精神と関係がありリアリティを感じる時期や速さが遅いと知的機能が低いという意味で問題と考えられてきました。

 逆は物覚えの早い子、理解の早い子かもしれません。

 簡単に言うと知るということはリアリティを感じる、あるいは精神や脳がリアリティを形成する能力と関係があります。

 発達的なリアリティ形成が順調にいかないのを知的障害と言うのであれば元々持っていたリアリティの感覚を失っていくことを神経認知障害といい一例をあげると認知症になります。

 前者は昔は白痴、後者は痴呆と呼ばれていましたが偏見などの問題で前者は精神遅滞からさらには知的障害と変わり後者は認知症になりました。

 認知症ではリアリティの問題が発生します。

 知っている人を知らないと思うようになったり、逆に知らない人を知っていると思い込むこともあります。

 失認、失語、失行など認知や言語や行動のリアリティが失われていきます。

 その他外傷による器質性脳機能障害や統合失調症などの精神病、解離性障害や転換性障害などの神経症群でもリアリティ障害が見られます。

 この様な研究は神経心理学や精神病理学、認知科学で行われますが、リアリティについてはどこまで集中的に行われているか分かりません。

 脳機能障害が外傷や病気によって起きる器質性や症候性の高次脳機能障害では先ほどの認知や言語や行動の失調は頻繁で多様です。

 先天性の発達障害の場合もあります。

 相貌失認や読字障害、書字障害、計算障害等がありこれらはリアリティ形成生涯の側面があります。

 すなわち字を見て想像できないわけです。

 統合失調症では実体意識性の障害があり存在しないもののリアリティを感じたり、存在しているもののリアリティを感じなくなる症状が見られます。

 また幻覚や妄想はそれ自体がリアリティの障害です。

 神経症性障害とも重なりますが、離人症と言う自分のリアリティを感じない状態や現実感喪失症候群などの他者や外部のリアリティを感じなくなる症状もあります。

 健忘は記憶の障害のようですがやはりリアリティ形成障害の側面があります。

 記憶はしていてもその記憶内容が自分のものだというリアリティを感じないのです。

 リアリティの障害はこの様に知能や感覚、記憶など別の精神機能の障害に隠されて見落とされがちだった側面があります。

 感動、実感、知覚、感覚、想像、認識、認知、思考、感情、記憶、何でもリアリティありの場合となしの場合を考えてみましょう。

 「人間は信じたいものを信じる」「エス」「力への意志」「ルサンチマン」色々な表現を使いますが人間の精神力動にもリアリティが関係しています。

 この見落とされがちだった理由の一つが我々が無意識に持つ実在論的な感覚でしょう。

 実在論を形成する大きな要素がリアリティを感じる能力だからです。


・リアリティと他の精神機能の関係

 リアリティの感じる能力は往々にしてマスクされやすいと書きました。

 一つの理由は空気と水のようにあまりにも当たり前すぎるからです。

 ドラえもんの道具に石ころ帽子というのがありました。

 かぶると認識されても意識されなくなる帽子です。

道端に落ちている石ころを意識する人は特別な理由がなければいないでしょう。

 精神症候学の他の症候の一部をなしているものの一部をなしていると意識されずに終わってしまいます。

 また正常化バイアスというものもあります。

 前節では幼児や老化、脳外傷や精神疾患の例を出しました。

 しかし複雑な気分になるかもしれませんがいわゆる普通の人、一般の人と言われる人の中でもリアリティを感じる能力に大きな違いがあるでしょう。

 例えばIQ130のひととIQ85の人では我々は人間みな平等と共感し同情しあえる同じ精神世界を生きている様に思っているかもしれませんが実は全く違う内面的現実(リアル)を持っている可能性があります。

 アーティストとスポーツ選手、経営者と従業員は同じ場にいても会話していても内面的に感じているリアリティが違い過ぎて実は何も通じていないのかもしれませんがそれを通じている様に感じる傾向にある心理が人間にはあります。


・リアリズム

 リアリティの障害の例をたくさん出しましたので、リアリティは障害されるべきではないということは予想されるでしょう。

 リアリティを感じないと我々の知能は発達しないでしょうし、知能が低ければ我々はリアリティを感じる幅やリアリティの強度が低いことが考えられます。

 リアリティを感じる、あるいは形成する能力がなければ我々は知能を発達させることができないと考えられます。

 さらにリアリティは我々が思考しコミュニケーションする前提になります。

 我々は何かの実在を前提に思考しコミュニケーションを行います。

 まずは一旦そのように育ちます。

 意識するにせよしないにせよ我々は実在論を身につけ利用しています。

 思考対象や話し合いのテーマの中の事物が実在するかどうかを考えずに思考もコミュニケーションも行えます。

 これが実在論の価値であり利用方法です。

 実在論を疑い「なぜ、なぜ」とばかり聞いていたら変人扱いされソクラテスのようになってしまうかもしれません。

 哲学者や数学者にはなれるかもしれませんが社会人としては失格の烙印を押されてしまうかもしれません。

 実在やリアルは当たり前にあると考えるのも早計です。

 人間は自分の感じたリアルを他の人も感じられると思い込む傾向が時にありますが、そのリアリティを感じるためにはよほどの表現の工夫が必要か、相手の高い理解力や感受性が必要な場合もあります。


・構造主義

 何かの実在を前提とする考え方を実在論とするとその後に出てきた実在論批判、ないしは実在を実際に作る方法を研究するのが構造主義でしょう。

 実在論では何かの実在を前提としたらそれで打ち止めでそれ以上その何かの正体について議論する必要はなくなります。

 それが実在論の素晴らしさであってその様な実在論をみんなが当たり前に見んつけているからこそ社会は何となく成り立っています。

 我々は両親兄妹家族の実在を疑いませんし机、椅子、家、服、布団、食べ物の実在を疑いません。

数学で言えば数や点、線、足し算や引き算の存在を疑いません。

それはそれ以上「なぜ」「何」が入ることのない前提です。

仮にそれらが前提ではないとしても別の仮定を実在として認定しなおしてやっていけばいいだけの話です。

構造主義と言うのは「造る」という言葉が入っていることからも分かるように実在論で前提とされているものをどのように作るか、作られている考え方です。

構造主義は数も点も線も両親兄妹家族も椅子机、衣服食べ物家も何でも人間が知力で作ってしまおうという考え方です。

この作るは想像の世界で作るでもいいですし、現実に作るでも構いません。

この考え方なしでも近代までの社会は成り立っていましたし、今だって構造主義を知らない人の方が指導的な立場の人や影響力のある立場の人を含めて多いでしょう。

人間が社会人になるために必要な知識ではありません。

構造主義なしでも生きられますし成功できます。

しかし実在論は身につけていないと知的障害とされるか変人とされるかでしょう。

成人の必要条件とも言えます。

現代思想家たちがみんなが構造主義を身につけてそれを基盤に成り立つ世界を創造しましたがそうはなっていないようです。

そもそも構造主義は創造的、根本的過ぎてエネルギーや労力の消費が激しく、時間がかかったり、スピード感が遅くなることがあります。

ですから実在論と構造主義は用途によって使い分けるのが生産的かもしれません。


・おわりに:実在論の大切さ

現代哲学を広めようとすると実在論が悪者になってしまうきらいがあります。

そこで実在論を持ち上げる文章を書いてみました。

何でもそうですが考えよう、使いようが大切です。

構造主義だけ知っていて実在論を知らない人間はいません。

それは人間が成長の過程で自然に、あるいは教育により必ず身につける根本的な思想だからです。

身につけられない場合はどういう場合か、身につけないとどうなるかも大体分かるように説明したつもりです。

普通の初等教育では実在論は唯与えられたものを理解するだけのようなところがあります。

それを補完するために高等教育で構造主義を身につけると便利です。

構造主義は何でも知力で作る考え方だからです。

創造力を高めるにはいいでしょう。

しかし高等教育を身につけるためには初等教育の土台が必要です。

初等教育だけで生きていけますが、高等教育だけでは生きていけないでしょう。

 実在論も構造主義も理解して両者の長所短所を理解し、謙虚な気持ちをもって使い分けていくのがよいでしょう。(字数:4,110字)

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