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溶け込む。

昨日は忘年会。
コロナの影響でなかなか行けず、今の職場の人たちと飲みにいくのは初めてのことだった。

私はこれまで、4人以上の飲み会を楽しめた記憶があまりないのだが
今回の飲み会は、素直に「楽しい」と思うことができた。

それはおそらく、初めて自分が
その空間と雰囲気に“溶け込んでいる”という感覚があったからのように思う。


“雰囲気”に溶け込む“自分”


誰かが話している。
それに対して、自分が反応する。

自分の話をするターンがやってくる。
自分の話を、黙って聞いてくれる人がいる。
話し終えたあと、自分の話に対する反応が返ってくる。

「私はね…」と、誰かのターンになる。
さらに話が膨らんでいく。

この繰り返し。


自分のターンが来ること。
その話を聞いてくれる人がいること。
それに対して反応があること。

これらがあることで
自分も会話に参加できる。
他の人の話も聞いてみよう、と思える。

しかしこれらが一つでも欠けてしまうと…

ターンが来なければ、話すことはできない。
話しても、聞いてくれる人がいなければ、独り言のようになってしまう。
反応がなければ、みんなの会話の輪の中に入って、参加することができない。

…つまり、その場の雰囲気に溶け込むことができないのだ。
小さな疎外感すら感じてしまうかもしれない。

“空気”に溶け込む“言葉”


2、3人での食事であれば
誰かの発言を無下に扱うことは少ないと思う。
人数が少ければ少ないほど、相手の話を聞くことは必然になる。

しかし、4人以上になった途端に
時に自分の話が、言葉が、“煙”のようにじんわりと。
空気に溶けて消えていくように感じることがあった。


飲み会にて
別にどうしても聞いてもらいたい話や、訴えたいことがあるというわけではないので、それこそ自分の言葉が誰にも届かず、煙のように消えて空気に溶け込んでしまっても構わない。
会議やミーティングという形で、真剣に相手の話を聞く場面ではない上に、
お酒を飲んでいれば、よくあることだと思う。

実際、楽しければ、なんでも良いのだ。

…ただ、「楽しくない」と感じていた場合には、ほんの少しだけ。
寂しくなったり、悲しくなったりする時があるかもしれない。


敬意を持って、パス


昨日の飲み会は
自分自身は、その場の雰囲気に溶け込むことができ
自分が発する言葉は、空気に溶けて消えてしまうということがなかった。

それが、とても、嬉しかった。

話し手への“敬意”を感じられた。

お酒を飲んでいても
「ちゃんと相手の話を聞くこと」と
「話したい人へターンを回していくこと」。

それは

色々な相手に「話す時間」のパスを回していくサッカーように見える。
4人以上の飲み会は、チームプレイだ。

一人一人がお互いに敬意を持つことを大切にしていれば

もっと「話してみようかな」という気持ちになったり
もっと「聞きたい」という気持ちになったり
もっとお酒や料理が美味しく感じられたりして

結果、「楽しいな」という気持ちになれるような気がした。


一人一人の“色”が溶け込む


普段話す機会がない人とも話せたり
色々な人の仕事や生活に対する考え方を聞くことができて、とても有意義な時間だったと思う。

話した内容で言えば

なかなか理解できないこと、納得いかないことも、もちろんあった。
今後のことで、考えるべきことも増えたし
自分が折れて、どうしても諦めなければならないこともある。

自分の常識や
自分の価値観など

自分が大切だと考えていることは、いくら自分がそう思っても
他者にとっては全く無関係なことなのだ。


ただ

大人数での飲み会が苦手な私が、

4人以上の飲み会で、初めて「楽しいな」と思えたこと。
その楽しい雰囲気に、溶け込んでいた自分。

この気持ちと光景だけは大切に、覚えておきたいなと思った。


たとえば一人一人が色を持っていて
その場の雰囲気に溶け込めば
きっと素敵なグラデーションが生まれる。

それは人数が増えれば増えるほど
カラフルな色を描いていく。

まるで“素敵な作品のような時間”を

大人数でも誰一人、疎外感など感じることなく
みんなが過ごせたらいいな。


2023.12.30


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