心を動かすリーダーシップ研修『SHIMA-NAGASHI』で海士町の風土を味わう
8月某日、風と土との心を動かすリーダーシッププログラム『SHIMA-NAGASHI』(島根県隠岐諸島にある海士町)に2泊3日で参加した。
SHIMA-NAGASHIとは?
2泊3日の体験プログラムで、場所は島根県隠岐諸島にある海士町。
タイムスケジュールなどプログラムの詳細は前日まで伏せられていた。
運営は風と土と。
詳しくはこちら
なぜ参加したのか?
きっかけはSHIMA-NAGASHI担当のおかゆさんからの声がけ。以前、おかゆさんとZoomで話していた時に、SHIMA-NAGASHIの紹介を受けていて、夏季休暇時期の参加しやすいタイミングで声がけをいただいた。
SHIMA-NAGASHIのフィールドである海士町には、SHIMA-NAGASHI担当のおかゆさん&みえのさん、青学WSD同期かっちゃんと、身近な人が次々と移住していて、島に呼ばれている気がしていた。
リーダーシップに通じるプログラム自体は、Search Inside Yourself、Kaospilot Creative Leadership、青学WSD、越境学習プログラム『SADOTS』など、転機となるタイミングで様々なものに触れてきた。
組織や社会との関わり、自分は何をやりたいのか?
あらためて自分と向き合う機会をつくるために。
そして佐渡島でのSADOTSの時のように、こどもの頃の感覚重視な自分と再会するために。
参加することを決めた。
海士町とは?
島根県隠岐諸島にある海士町。
島民の人数は約2300人。
島の大きさは33.5 km²で、東京23区だと、葛飾区(人口44.2万)、杉並区(人口56.3万)、板橋区(人口56.1万)と近い大きさ。
海士町というと、教育魅力化や風と土となど、ユニークな取り組みを進める人が集まる。あとで知ったことだけど、海士町は後鳥羽上皇が島流しにあった流刑の地としても知られている。現代でも観光や移住という形で、様々な人が島に流れている。
SHIMA-NAGASHIの流れ
声をかけてくれたおかゆさんとバトンタッチして、みえのさんが旅の手引きなど案内してくれる。
服装や持ち物の案内(水に濡れてもいい格好や、帽子など)
宿は風土さん(風と土と)が手配してくれていて、宿で実費精算(朝食付き)。
昼食と夕食は手配してくれていて別途請求。
当日朝、七類港に現地集合になるため前泊推奨。(ぼくは東京から6時台の飛行機で現地へ)
2泊3日のプログラムで行く場所は限定的なので、延泊推奨。(ぼくは一日だけ延泊して、延泊分の宿を手配)
事前課題としてプロフィールシートの情報を登録(あとで旅のしおりに全員のプロフィールが掲載)
SHIMA-NAGASHI用のLINEオープンチャットに登録
事前に個別のオリエン機会が用意されていて、Zoomでみえのさんと時間をつくる。
風と土との紹介、SHIMA-NAGASHIプログラムの紹介、なぜ海士町なのか?などお話しながら、参加に当たっての不安を解消していく。
今回の参加者は7名。
2泊3日のプログラムが始まる。
一日目「海士町の水を通じて、自分に目を向ける」
七類港に参加メンバー集合、初顔合わせ。フェリーで菱浦港(海士町)へ。
風と土との方々が迎えに来てくれて、べっく(阿部)さんの運転で風と土とオフィスへ車移動。
村上家(風と土とオフィス)で昼食
風と土とは、村上家資料館の管理をしつつ、村上家の一部をオフィスとして利用しているそうな。
シマメ丼(スルメイカの肝醤油漬け)、(近所でいただいた)きゅうりと茄子の浅漬け、トマト、豆腐サラダ、島のハーブティー『ふくぎ茶』。
どの料理もとても美味しかったけど、特にふくぎ茶のおいしさにみんな驚く。
水に触れる
「水に濡れても大丈夫な格好に着替えて」と言われて、みんなで着替える。
海辺に移動したところで、「海に飛び込みます」とアナウンス。
べっくさんが海上で待機してくれていて、泳ぎが不得手な人の浮き輪やライフジャケットのサポートをしてくれる。
ぼくは長く泳いでなくて、泳ぎに自信がなく、ライフジャケットのサポートをお願いする。飛び込んだ後、5年ほど前にスキューバダイビング体験で、海底で溺れかけたことを思い出してプチパニックに。べっくさんのサポートでなんとか無事に陸へ。スタッフ4人と参加者7人が全員飛び込むのだった。
身体で感じる水。波の流れに合わせないと、うまく前に進めない。うまく前に進めなくても、サポートしてくれる人がいれば前に進める。そんなことを体で感じていた。
水に触れた後は、みんなで泊まれる拠点Entôに向かい、Entôで風呂に入る。
そしてまた村上家へ。
自分に目を向けるワーク
このnoteを書きながら、あらためて水面に潜るという行為が、暗黙知やプロセスに飛び込む儀式のようであることに気づく。
内省や自己探究、他社やコミュニティに意識が向きがちだけど、常々おもしろさを大事にしてきた自分を思い出す。
村上家近所の慶海で夕食
食事の最後は締めの本膳。本膳は海士町の食の慣習で、締めのタイミングで一人ひとりに白米と味噌汁が渡される。場の主催となる人が「本膳どうぞ」と言って、みんなで本膳をいただく。
宿に戻ってからはみんなで酒盛りを。
二日目「自然に触れて、自然体になる」
宿で朝食後、迎えが来てくれて2日目が始まる。
ここで「地理が風土をつくり、風土が地理をつくる」という話が出ていたのが印象に残っている。
海士町町長との対話
海士町町長である大江和彦さんにお話を伺う。
「役所らしくない」と言われることが多いそうで、その「役所らしくなさ」はどこから生じているか?を聞く。役所で働く人に副業を推奨する、役所ではアクションを促す風土をつくる。地域風土を絡めた活動で、人と組織風土をつくっていく。人と組織がより地域とつながることから、役所らしくなさが生じるのかもしれない。
「足す足す(Yes Andと近い意味)」「みんなでしゃばる」など、あり方を示すユニークな言葉遣いも特徴的。
大江さんの理想は、みんなで自立的に振る舞い、みんながのぼせて、のぼせが広がることらしい。のぼせづらさをどう壊していくか。
Learning Hunt 第一部 人の生き方に触れる
Learning Hunt 第一部では、AルートとBルートのいずれかを選ぶ。
Aルート:楠見星彦さん(楠見建設)、吉冨なぎささん(海士町複業協同組合)
Bルート:青山敦士さん(AMAホールディングス/株式会社海士)、浜口夏生さん(飯古建設 定置網事業部)
ぼくは海士町ののぼせの象徴のような楠見さん、食への関心から食に関わる吉冨さんがいるAルートを選んだ。
Aルート:楠見星彦さん(楠見建設)
車で楠見さんの仕事場に伺う。楠見さんは、お父さんと一緒に島内の大工仕事を営み、花火大会、ライブ、出店など、島内の若者を束ねて島を盛り上げている。
「楽しいからやる」
島を盛り上げる活動は楽しいからやっているとのこと。花火大会は高齢者に見せたいと思って始めたらしい。今では24歳から50歳くらいの島民が事務局に集まり、仲間が増えている。事務局メンバーの8割は移住者で、移住者が島に馴染む機会にもなっていそう。活動を継続することで、つながりが広がり、「みんな」の範囲が広がっていく。
Aルート:吉冨なぎささん(海士町複業協同組合)
吉冨さんには職場でもあるEntôで話を伺う。
吉冨さんは、湯河原や大阪で、料理人やホテル支配人やホテルコンサルを経験、イマーシブシアターのコンセプト料理も手掛けている。
離島移住には小笠原諸島で仕事をしたこともあり、特に抵抗はなかったそう。今は朝ごはんの用意、メンバー育成、海士町のお土産物の開発をしている。元々アリス・ウォータースが好きで、海士の風(風と土との出版事業)からアリス・ウォータースが本を出版していたこともご縁を感じている。
「逆境をたのしむ」
離島の食材の少なさという逆境、地産地消を大事にしつつ、独創的な調理方法でどうレシピをつくっていくか。コンセプト料理でも無理難題を求められることがある。常に様々な調理方法などのトレンドを追い、問題解決の手札を多く持つようにしている。
高校で陸上をやっていた時から、逆境をたのしむことを意識していた。
若い時に勤めていたレストランで、「やったことがないのでできない」と口にした時に「やらないとわからないのに、なぜやらない」とやらない選択肢を選ぼうとしたことをレストランオーナーに怒られたことがある。それからはやったことがないことは一度はチャレンジするようにしている。
今はメンバー育成の立場で、チャレンジを促すことを意識している。
船渡来流亭 (せんとらるてい)で昼食
海士町ではCASシステムという凍結技術で魚介類を保存しているそう。いただいたアジフライもCASが使われているものらしいけど、十分に美味しくいただけた。
Learning Hunt 第二部 海士町の多様性や暮らしに触れる
Learning Hunt 第二部もルート選択で行動が分かれる。
Aルート:季節の体験
Bルート:Eバイク散策
Cルート:フリー
ぼくは島の大工を手掛ける楠見さんの話を聞いた影響もあり、島の生活風景をもっとじっくりと見て回りたくなり、BルートでEバイク散策を。
村上家で体験のシェア
村上家に戻ると、みんな自然と寝転び始める。実家でくつろいでいるようなゆったりした空気が印象的だった。みんなが手に持っているのはガリガリ君。
体験のシェアでは、なぜ海士町という土地ができたのか?後鳥羽上皇のような流人の上品さ。知識人が多く流されてくる中で、流人としての知識人から学ぶ文化ができたのでは。といった話が出ていた。
社会人と高校生/島留学生の対話
SHIMA-NAGASHI参加の社会人と、島の高校生や島体験/島留学に参加している人で、ペアをつくりお互いのことを話す。島体験は3ヶ月、島留学は一年という期間、就労型の移住体験をする。参加者の中には島体験を延長している人が何名か。
海士町で求められる自己開示、一人ひとりが大事にしている自分のあり方。海士町の島民と過ごす中で、自然と自分のあり方を自問自答して悩んでいる人もいる。
ぼくは「人は誰でも個性的で、ただ個性に蓋がされているだけ」といった持論や、個性を尊重するために組織開発という仕事に取り組んでいることを話す。言葉を選ばないところがいいと言ってもらえて、照れくさかった。
村上家で夕食
SHIMA-NAGASHI最後の夜。牡蠣やサザエといった海士町の魚介類に、べっくさん提供のナチュラルワイン白をいただく。休憩時間に続き、みんな打ち解けていて、横になり寝始める人も。夕食後に宿に送り届けてもらった後も、夜更けまで酒盛りは続く。
三日目「海士町からそれぞれの日常へ」
地形を体感するペアウォーク
金光寺山にてべっくさんが宮本常一の言葉を読み上げるのを聞きながら、海士町をあらためて見渡していく。
ペアになったパートナーと一緒に、話しながら金光寺山を下っていく。下っている際中に、通り雨が降る。海士町での3日間は、水に触れるところから始まり、通り雨で水に触れて水に見送られているように感じていた。
Entô探索、日常へ接続するワーク
体験と日常をつなぐ2つの問いに沿って、自由な時間を過ごしながら考えを巡らせる。ひとりで考える時間をつくってから、他のメンバーに話しかけて更に考えを進める。
ぼくはこんなことを考えていた。
・自然体な組織や社会との関わりを通じて、人の個性を野生(自然)に返す(帰す)
・そのために、自然体な組織や社会と、人をつなぐ
村上家に戻り、みんなで考えたことをシェアしてクロージング。
解散
SHIMA-NAGASHI参加メンバーを見送る。延泊するのがぼく一人だったので、ぼくだけ残ってみんなを見送るのだった。
SHIMA-NAGASHI後は青学WSD同期かっちゃんに海士町観光案内していただき、翌日はかっちゃんオススメの国賀めぐり定期観光船で西ノ島を観光。その様子は別のnoteで。
SHIMA-NAGASHIを通して何を得たのか?
「地域が風土をつくる、風土が地域をつくる」
海士町では、地域風土を通じて、人と組織が育まれている。都会の組織ではあまり感じられない、地域風土と人と組織の関わり。「組織風土改革」という言葉には触れていたけど、「組織風土」を強く意識できていなかった。あらためて地域風土と組織風土から学んでいきたい。
・個性に蓋をするものにどう働きかけるか?
・組織をよりよくする活動を促すことと合わせて、社会をよりよくする活動をどう促していくか?
元々、軸として持っているこれらの考えに、地域風土のエッセンスを取り入れようと考えて出てきたのがこちら。
・自然体な組織や社会との関わりを通じて、人の個性を野生(自然)に返す(帰す)
・そのために、自然体な組織や社会と、人をつなぐ
自然体な組織とは何なのか?(海士町やゼブラ企業を頭に浮かべていた)
自然体な社会とは何なのか?
人の個性を野生に返すとは?
このあたりの意味は継続的に考えていきたい。
SHIMA-NAGASHIが気になった方はこちらをぜひ。
公式のSHIMA-NAGASHI体験レポートはこちら
時期が異なる他の参加者の方のレポートも
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