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「幸運な病のレシピ」のまとめ

この50年で大流行している「病因」のない「症状だけの病」は、医学が引き起こしている。「感染症」「欠乏症」「中毒症」に対しての勝利の記憶が誤った処方を処しているのだ。

料理は家庭で作られていた。1980年ぐらいを分水嶺に大きく社会が変わって食事は商品化され、商売人(穀物メジャーや食品卸)が食物連鎖のパーツに入り込んできた。家畜の飼料、ドッグフード、カップ麺、半額になる弁当、棚にあふれかえる炭水化物、みんな大好きジャンクなご飯、チンして出されるレストランの高級飯。そして商売人(医師や栄養士やレシピ作家)が栄養満点と太鼓判を押す。

この「病」は多くの人を苦しめている。僕はそれを証明する気も、種売人の邪魔する気もない。僕自身と愛する家族と友人たちとともに安らかに死にたいのだ。何種類もの薬を処方され同じような手術を繰り返して「経管栄養・胃瘻・輸液」で生かされて、医者に頑張ったと褒められたいとは思わない。どうせ頑張るなら、そうならない人生の終わりを迎えたい。

食事のプロセスから、「乾燥・抽出・濃縮」のプロセスを外す。食材の生命(細胞の内と外にある代謝物の入った水)を大事に調理する。医師や栄養士の言うことを真に受けない。皿の上の栄養素の分析ではなく、自分の身体の内側で食事が代謝され変化した後のことを重視する。

そのためには毎日の食事を素材から作ると話すと誰も信用しない。そこで、記録することにした。

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まずはYou Tube

2017年7月から始めた。2500回を超えた。食事を作っているところを撮影してアップしている。最近は母の台所で遊びながら見ていた頃を思い出しながら料理を覚えていったことを思い出している。

インスタも始めた

こちらは毎食をアップ。FBとも連動。

_インスタ

You Tubeに対応して、写真やコメントを載せるブログ

以前はこちらがメインであったが、今はnoteの方に移しつつ有るがやはりこちらも残すことにした。検索機能が強いのでこちらも良い。

もう一つは、理論編

こちらは食事作りを記録するのではなく、なぜそういう食事作りをするのかを書いている。

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noteの方は、個別の料理というよりも、その料理名でグループされる思いを書きたいと思っている。なので、ちょっと乱雑になっているし重なっているが、それもまたいいことだと思っている。

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生命を食べるということ

伝統的な食事を何とか維持したいと思いながら悲しい思いは隠せない。しかしそれで良いのだ。誰も平安時代の食生活を懐かしむことはない。この項目は、食物連鎖の話と重なっていく。

この辺の農家では鯉を養殖していたが、水道水の取り込みで水位が下がりいけすに水が来なくなった。市民も作らなくなり廃業が相次いでいる。既に他県から来ることが多い。

玄米を長く食べていた。今でも好きだ。食事の好き嫌いはマイクロバイオームの話とつながる。

身近な味が、消えていくのは悲しい。しかし、その味も知らなければなんとでもないことなのだ。味というのは個人的なものだ。

昆布巻きは美味しいのだが、手間と時間がかかる。時給で人生を売っている僕らには少し大変。まあ、定年退職後の楽しみにとっておくと良い。それまで体が持てばいいが。

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定番を作ること

まいにちりょうりを作る時は考えない悩まない事が大事。定番としては、煮付け、汁、焼き魚、野菜炒め、だろうか。台所に立ったら何も考えないで体が動く。

根菜や練り物、鶏肉や牛肉をヒト鍋でジックリ煮付けると色々なパターンになる。家庭で味わいは違い、家族の身体は作られていく。

オデン好きだなあ。新潟では本格的なオデンは無い。1990年代の五反田駅周辺の屋台、中野駅サンモール側の屋台、を思い出す。

大根は畑の水を運ぶ。その水には大地から入り込んできたマイクロバイオームや「代謝ミネラル」(生命が代謝物の中に取り込んだミネラル)が満載だ。粗末にするとバチが当たる。

野菜炒めは昼の定番、八宝菜とか変種が多く作れる。別鍋で味を作っておいて最後に合わせる。肉やキノコの加熱と葉物、茎もの、根菜の最適加熱は違う。高度なインテリジェンスが必要なのだが、お母さんたちは平気でこなす。恐るべし!

汁は、ほぼ毎晩作る。多分、これだけで体調は変わる。白菜と人参、キノコと顆粒だしにシャブシャブ肉を醤油で味を入れる。

牡蠣、ホタルイカといった煮ると溶ける食材は沸騰したお湯に入れて再沸騰したら火を止めて5分くらいで美味しくなる。牡蠣鍋はその煮汁をつかて野菜と豆腐を煮て最後に上げて少し煮る(軽くね)。

これは美味いものだ。小さいころ、すり鉢の固定役だった。今考えると、母は手伝えと言って僕に門前の小僧とならせてくれた。父母のいない今では習わぬ経を読んでおる。


デロンギオーブンは結婚した当時から使っている。2代目だ。このオーブンはおすすめである。とにかくオーブンの国からやってきたデロンギさんにはピザ焼いていただいたらエスプレッソもいいよ。

揚げ物はよく作る、油が多いと忌避されるが僕はそうは思わない。脂はとても大事な身体の要素なのだ。炭水化物を食べて脂は代謝されるが、それより食物に込められた脂のほうが良い。

揚げ物は余るので仕立て直しが重要。そんなにバクバク食べれるものではない。余ったら卵とじかケチャップと酢で味を入れる。

油通しも同じ、とても大事だが面倒くさい。素材をガツンと叩いて一つに味をまとめる。伝統的な手順は意味がある。後片付けはは面倒だけど美味しい。恋も料理も後片付けは面倒だ。

タジン鍋でキャベツを蒸す。場所は取るが、一つ有ると良いと思う。できるだけ本格的な方が買って損はない。そしてキャベツは美味しいものである事を理解できる。

デザートは余り食わないが、甘いものは好きだ。酒のつまみになる。ちょっと酒やめているが。

小さい頃いつも母が作ってくれた。甘露煮ではなく、汁っぽかったが。

嗜好品との付き合いは難しい、人生は我慢大会でも耐久試験でもない。喜び、楽しみ、慈しむ。

外食に関しては話に上がることが多い。決まりはないが、お店の人に自分の問題を伝えることが大事だ。僕の場合は糖尿病であること。人として共感してくれるお店に行くことである。高速のサービスエリアで食券を出した時に素敵な対応してくれた人を僕は忘れない。

皆で料理を作るのは楽しい。両手がふさがってできる遊びは限られてたいていしりとりになるのだが、僕が勝ったためしがない。もう昔の話であるが、今は一人で作りながら、しりとりをする。

魚を捌くのは気合である。そうしてもやってやると思い向き合えばできる。誰に何と言われても、一本物の魚をさばけるようになるのは良いことだ。生まれたときからさばけるの人はいない。少し高めの出刃包丁を買うと良い。伝統歴なお店のものが良い。単純でシンプルなものが一番だ。僕は母の形見の出刃包丁を使っている。


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盛り付けに関して

バイキング的に自分が好きなものを好きなように盛り付けて食べるのが重要である。これはあ絶対オススメ。一人前ずつ盛り付けるのは強制することになる。自分らしさは食事からということである。

毎日作るということの意味は深い。必ず残るからそれを前提に作り食べる。ワンディッシュ食べきりというのは、片付けには嬉しいが、厨房的には嬉しくない。

厚さを半分にしたサンドイッチである。これ好きだねえ。ショッチュウやっている。

煮しめはカレーに化けるのだ。これは面白いけど誰にでもおすすめするわけではない。

マニュアルというのは大嫌いだ。根っからのへそ曲がりのようである。

食っちゃった。

食っちゃった。

ベーコンは自作なのだ。どんなレストランもかなわない。

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後片付けが大事だということ

殆どのレシピ本では触れられないが、これが一番大事。そして、家事分担してはならない。私達は一人で生きていかねばならない。家事分担は家庭に支配と争いとディール、そしてセックスレスと熟年離婚をもたらす。

自分で納得行くまでする。家族に汚いと言われたら何クソと頑張る。自分は住み込みの下男になったと思いマゾヒスティックな喜びに浸る。もっと、厳しく戒めてと......

大事なことである。無償の愛なのだ。

医者の妄言は聞かないこと。医者の言うとおりにしてみんなひどい目にあっているのだ。テレビに騙されてはならない。

このガイドラインはよく思いついたものだ。プロセスが重要だということを考えれば分かるはずなのに、食品成分だけを重視するのは「商品化」するのに都合がいいからである、大学の教授連中に支払う企業はよく売れる商品のお墨付きにつられて買った私たちのお金が元なのだ。わざわざ苦しむためにそんな物買う方の気が知れない。最近ではビールまで健康志向だ。大笑いである。

食事を作る心がけである。人前でバイオリンの練習しているようなものである。

心がけの話、大事なことなのだ。僕は神様がいると信じている。父と母、そして多くの人達がそこにはいるのだ。いずれ僕も仲間に入れていただきたい。

延長された自己というのはドーキンスさんが生物が緻密な巣作りをすることを指していったことだ。まさに一つ一つの厨房はそこに住む人の食生活が見える。そして内臓も、将来の姿も、みな見える「魔法の眼鏡」なのだ。

ポテサラって面倒な料理なのだけど僕は大好き。売っているポテサラと自分で作ったポテサラを一緒のものと考えることがまず間違い。乾燥したマッシュポテトを水で溶いて出来上がるものと、丁寧に蒸してマッシュして材料を合わせたものが同自名前で呼ばれるのがおかしい。

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梅干し、干し柿、タケノコ、ベーコン

母のレシピを教えてもらった。何とか間に合った。

ベーコンはとても面白い。バラ肉を美味しく食べるレシピは世界に広く有る。燻製は楽しい。

母といつも一緒に干したものだ。今は妻と二人である。面倒だが、お歳暮には最高だ。金がかからない。

タクワンも、母に習った。間に合った。

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ぬか漬けに関して

発酵は生命の生まれる場所である。おそらく僕らのミネラル不足はこれに原因が有る。しかし、難しい。生命を扱うということはそういうものなのだろうが。

僕は付も発酵=腐敗していると思う。発酵と腐敗を分けるのは愚かな事だ。工業的にコントローるして商品を作るのに役立つのが発酵なのだ。そして、腐敗とは生命の始まるところだ。

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毎日続けることが大事なのだ。

10日おきに一本記事を書いている。毎日何を食べたかを記録、動画を撮った時はここにリンクがある。2020年6月1日から始まっている。

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料理の論理的なお話

食材を知れば自然と適切な加熱方法が見えてくる。





しかし、家族というシェルターが機能していた時代に戻ることは不可能だ。では、どうしたら良いのだろうかといつも考えている。基本的には食事の価値を信じることに尽きる。反対から見れば医者や栄養士の言うことを聞かない事だ。

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人は思い出の中に生きる。

鰻好きだった

酒好きなの

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。