190204_読書メモ_サマリー

【#読書メモ】ソーシャルエコノミー

ちょっと古い本だけど色あせてないソーシャルメディアとコミュニティ、共創について書かれている良書。B1グランプリがB級グルメの祭典ではなかった話が一番引き込まれた。


【特に気になった言葉まとめ】


【目次】
序章和のソーシャル
第1章新経済へのヒフ感覚
第2章ソーシャルエコノミーの時代
第3章コミュニティづくりの大革命
第4章コミュニティを和にする技術
第5章「祭りのハタ」への高まり方
第6章ソーシャルエコノミー・クエスト―頭に地図を広げよう
終章「和」のなる方へ


【著者プロフィール】
阿久津聡(アクツサトシ)
一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授。一橋大学商学部卒。同大学大学院商学修士。カリフォルニア大学バークレー校、経営工学修士(MS)、経営学博士(Ph.D.)。同校研究員、一橋大学商学部専任講師などを経て、現職。専門はマーケティング、消費者心理学、行動経済学

谷内宏行(ヤチヒロユキ)
株式会社電通ストラテジック・プランナー。1993年、電通入社。1997年より携帯電話領域でのプロジェクト・リーダーを従事。

金田育子(カネダイクコ)
株式会社電通ストラテジック・プランナー。1993年、電通入社。セールスプロモーション、メディア、インタラクティブ、戦略PRのプランニング現場を経て、現在は、統合コミュニケーション・プランニングに従事。

鷲尾恒平(ワシオコウヘイ)
株式会社電通ストラテジック・プランナー。2002年、電通入社。アカウント・プランニング・ソリューション局に配属。

※出版当時のプロフィールです。



【特に気になった言葉①】

●企業が、いいモノやサービスだけを提供してきた経済。しかし私たちはもう、それだけの関係に「で?」と感じてしまう。一方的に「いい商品ですよ、これ!」という売り込みにズレを感じ、すぐネットでの評判を調べてしまう。私たちのヒフ感覚は敏感だ。みんなが「いいね!」するものを楽しみたいと願っている
●農業経済→産業経済→サービス経済→経験経済→共創費経済(ソーシャルエコノミー)「お互いサービスしあうこと」を提供物とする経済。共につくり、共に育て、共に騒ぎ、共に消費するタイプの楽しみ方のほうが、手応えとして魅力的になった。

なんだか、経済が一周回って農業経済をみんなでやろうが共創費経済なのかもと。作ってモノを分かち合っていた農業経済の面影を、上手く備えているのが共創費経済な気がする。いずれにせよ、個人で楽しむことの限界を迎えた先には、感情を分かちあう”共”がポイントですね。



【特に気になった言葉②】

不思議な環境を手に入れていた。テレビを見ながら世界中の同類たちと「パンくわえダッシュ」や「オリーブオイル、キター!」で盛り上がれる環境だ。いつのまにか新たな仲間ができやすくなっている。地縁とか血縁ではなく、めちゃくちゃライトでカジュアルな「特定のみんな」と騒ぎあえる環境を手に入れている。有史以降初めて。革命だって起こせる「可能性ホーダイ」の環境で、私たちは暮らしている。マニアックにとことん濃い関係性も築けるし、嫌になったらサッと抜けられるライトな関係性も併せ持つ、ハイブリッド環境だ。とても都合がいい。

ソーシャルメディアによって共感できる確率が高まった。そこで出来たのが「特定のみんな」。ただ、特定のみんなでの共感は、良い共感と同時にいじめのような悪い共感もあるよなと思った箇所。シェアリングエコノミーなど、過不足を埋めて両思い(共感)ができる仕組みはどんどん増えていきそうですよね。



【特に気になった言葉③】

●B-1グランプリ、ニコニコ超会議、AKBの事例共通項。
1.まず「和」を築くため「遠まわり」が大切にされていたこと。
2.サービスする側もされる側も曖昧となり、自発的に参加されていたこと。
3.「和のあるコミュニティ」が築かれたからこそ、「祭りのハタ」を目指せたこと。
4.祭りの後、2年目に向けて踏み出したとき、裾野が一挙に広まっていったこと
消えないコミュニティのためには、祭りが重要となる。ただし、「いきなりの祭り」は無理なのである。だから、これまでたくさんの事例が失敗してきた。「和」のないところに、祭りは生まれない。「コミュニティづくり」の大鉄則である。

コミュニティの妙は「恒常的なつながり」と「そのつながりを楽しんで競えるイベント」の組み合わせ。全ての物事に緊張と緩和が必要なのかなと思った箇所。



おわりに

ソーシャルエコノミー周辺には、シャアリングエコノミーやシビックエコノミーなどがあり、もう少し複数の本を読んでソーシャルエコノミーの概念を自分なりに深めてみたいなと思った1冊。



【読書メモ全部】

序章和のソーシャル
●自分の帰属する日常コミュニティとは別に、どこか他にも自分にとって支えになるコミュニティを築き上げたいと願う。日常コミュニティの閉鎖性やしがらみにうんざりしながらも、それでも私たちはムラ的な絆を求め、コミュニティ内に和が醸成されるほど高まりあえる構造を好む。しがらみにもなりやすいものを、逆に共同体としてのエネルギーに変えていくのが日本的な「和のソーシャル」だ。
第1章新経済へのヒフ感覚
● よく私たちは、「最近テレビを見なくなった」とか、「最近テレビがおもしろくなくなった」というが、テレビ自体はそんなに変わっていない。見はじめれば相変わらずおもしろいし、引き込まれもする。変わってしまったのは、「おもしろいと感じあえる人たち」とのつながりの登場だ。
● だけど「みんなの意見」なんて、実はどこにもない。調査などで一人ひとりの意見を人工合成して、それっぽく見せているだけのこと。マーケティングの結果、導きだされるものは、間違えないための補強材でしかない。どんな人でも間違えてしまうことはあるから、それはそれで、とても必要な確認行為だ。でも、人を硬直化させることも多い。
● 「企画やプランニングで一番重要なのは、真っ先に自分がおもしろがれること」
● ソーシャルメディアとは、「自分発の人間関係の増幅装置」である。企業然とした無難な物言いだけでは、ソーシャルメディアのよさは発揮されない。求められるのは常に一人称的な「個」の気迫。そつない人には、そつない人しか集まってこない。公的情報発信を、わざわざソーシャルメディアでやる必要はない。
● 関係性の問題。相手との間合いの問題。愛されていることの証明が「視聴率」だけではなくなった。相手と関係を築き、本当に愛されていることを、私たちは「新指標」にしていかなければならない。特にソーシャルは双方向の場だ。いたずらにフォロワー等の数だけで成否を問うても意味がない。「友達が1000人いる」という人より、「いい友達に囲まれている」人を私たちはうらやましいと思う。簡単にいえば、「和」に恵まれていることが、ソーシャル時代の価値になる。
● 不思議な環境を手に入れていた。テレビを見ながら世界中の同類たちと「パンくわえダッシュ」や「オリーブオイル、キター!」で盛り上がれる環境だ。いつのまにか新たな仲間ができやすくなっている。地縁とか血縁ではなく、めちゃくちゃライトでカジュアルな「特定のみんな」と騒ぎあえる環境を手に入れている。有史以降初めて。革命だって起こせる「可能性ホーダイ」の環境で、私たちは暮らしている。マニアックにとことん濃い関係性も築けるし、嫌になったらサッと抜けられるライトな関係性も併せ持つ、ハイブリッド環境だ。とても都合がいい。
● グラフを築く上で重要なのは、自分の持ち味を大切にすること。自分に不相応なキャラは続かないし、見透かされてしまう。自分の持ち味が愛されはじめた時、会場に来ない大勢のファンにも推してもらえる存在になっていく。
● 企業が、いいモノやサービスだけを提供してきた経済。しかし私たちはもう、それだけの関係に「で?」と感じてしまう。一方的に「いい商品ですよ、これ!」という売り込みにズレを感じ、すぐネットでの評判を調べてしまう。私たちのヒフ感覚は敏感だ。みんなが「いいね!」するものを楽しみたいと願っている。
第2章ソーシャルエコノミーの時代
●私たちはもはや、従来のようなアーティストとファンという一方的なタテの関係ではなく、アーティスト側の一員として制作に参加するような手応えを求めている。自分が作り手側なのか消費者側なのかわからなくなる感覚が、魅力なのだろう。それが新しい欲望のカタチとなって現れ、経済を動かしはじめている。
● 農業経済→産業経済→サービス経済→経験経済→共創日費経済(ソーシャルエコノミー)「お互いサービスしあうこと」を提供物とする経済。共につくり、共に育て、共に騒ぎ、共に消費するタイプの楽しみ方のほうが、手応えとして魅力的になった。
● 簡単なことに気づいてしまった。「作品性の高さ」を味わうのとは違う楽しさ、たとえプリミティブな内容でも「みんなと一緒に騒ぎあう」ことで得られる楽しさがあることに。
● 与えられる一方だった立場から、完成度や画質は二の次でいいから、安価に始められ、自分たちで共につくり、共に育て、共に騒ぎ、共に消費するタイプの楽しみ方のほうが、手応えとして魅力的になった。鍵となるのは、「みんなで共に作り・騒ぎ・育て・消費する」ことへの目覚めだ。
● 自分だけでは、もうどんなにいい服やゲームを買っても、そんなに高まることはないと気づく。でも些細なことでも、仲間と分かち合うだけで、楽しく思えてしまう不思議。
●エクスペリエン・エコノミーによって過剰供給された「完成された消費」から「みんなで共に作り・騒ぎ・育て・消費する」時代に向かい始めている。
第3章コミュニティづくりの大革命
● 人々は求めているのだ。「同窓会、キター」「日本代表、キター」という瞬間の再現を。「キター」という高まりをみんなが「待つ」状態。「マダー?」と「キター!」。
● 自分だけでは、もうどんなにいい服やゲームを買っても、そんなに高まることはないと気づく。でも些細なことでも、仲間と分かち合うだけで、楽しく思えてしまう不思議。
● 消えないコミュニティのためには、祭りが重要となる。ただし、「いきなりの祭り」は無理なのである。だから、これまでたくさんの事例が失敗してきた。「和」のないところに、祭りは生まれない。「コミュニティづくり」の大鉄則である。
第4章コミュニティを和にする技術
● コミュニティづくりといっても、いいクラスやいいサークルを築くようなものだ。新学期に、なんとなく不安になったことがあると思う。それと同じで、私たちはいきなり「祭りづくり」から始めてはいけない。
● 共益のネタを共有させよ。知らなくても良いことなのに、ウズウズとクリックしてしまいそうな話ばかり。そんなネタを放つ。良いネタも悪いネタもあるけど、まず重要なのは「どんな人たちを集めるためのネタか」という、共益設定を考えること。共益とは、コミュニティが集まる理由である。
● 借りをつくることは、関係をつくることの始まり。貸しをつくることも財産。日本人がムラの中で行ってきたことが、同好コミュニティでも起こり出す。
第5章「祭りのハタ」への高まり方
● 力一杯がんばってる人をみると、つい応援したくなる。それはすごくふつうなことだ。
● もし「〇〇大会」等がなかったら、選手たちはもっとふつうにスポーツを楽しんでいただろう。私たちは胸をキリキリさせることもなかっただろう。でも、「〇〇大会」のような祭りがあったからこそ、発揮できた力があるはず。
● B1グランプリとは、B級グルメの祭典ではない。飲食店だけでは参加できない。順位を競うことが主目的ではない。「富士宮やきそば的町おこし」に引き寄せられた互助会(愛Bリーグ)の共同PRイベントであるというのが本来の姿だった。
● B-1グランプリ、ニコニコ超会議、AKBの事例共通項。1まず「和」を築くため「遠まわり」が大切にされていたこと。2サービスする側もされる側も曖昧となり、自発的に参加されていたこと。3「和のあるコミュニティ」が築かれたからこそ、「祭りのハタ」を目指せたこと。4祭りの後、2年目に向けて踏み出したとき、裾野が一挙に広まっていったこと
第6章ソーシャルエコノミー・クエスト―頭に地図を広げよう
「祭り」は「宴」ではない。この本では、コミュニティ内での日常的な催しを「宴」とし、非日常的な催しを「祭り」としてきた。「宴」は、和やかのもの。「祭り」は、ぶつかりあうもの。そして、誰かが仕掛けるもの。「祭り」の際は、コミュニティ内では「スモール・コミュニティ」に別れたり、「外部コミュニティ」を巻き込んだりして、ぶつかりあう。その目的として「祭りのハタ」がたち現れてくる。ゴールが明確でないと、ぶつかりあう意味がわからなくなるからだ。


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