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この日、言葉をかの日に伝え
はじめに
こうしてザーカル主催の講演会で、皆さんとともに学ぶ機会が与えられたことを感謝します。TCUに来て、こうして学生の皆さんと一緒に学んだり、考えたりする機会があることは本当にうれしいことです。今年2月の集会のあとで、半ば押し売りのようにして話す機会をいただいて、今日の集まりが実現しました。貴重な時間、ともに考える時としたいと思います。
1.渡辺信夫先生との出会い
2020年3月27日、渡辺
かもしかと呼ばれた弟子
使徒の働き9:36-41
母の召天の知らせを静岡県掛川から病院に向かう車の中で聞きました。その時、とっさに心に浮かんだ御言葉が二つありました。一つはヨブ記1章21節の「主は与え、主は取られる」でした。続く「主の御名はほむべきかな」は、その時は受けとめることができませんでした。むしろその時に強く心にあったのは「主は取られる」でした。「ああ、本当に主は取られる、本当に取り上げるのだな」と思いました。
〈あの日〉以後を生きて
明日で東日本大震災から10年。〈あの日〉以後を生きて、牧師として、説教者としての、自らのあり方を問われ続けて来たように思います。
震災から三年後の2014年3月11日に『〈あの日〉以後を生きる』という小さな本を出しました。その「まえがき」に次のように記しました。
「あの震災からまもなく三年になろうとしている。三年という時間の持つ重みを考える。新約聖書マルコ福音書5章に、会堂管理者ヤイロの娘の癒
勇ましく、高尚な生涯
思うところあって、2016年2月に明治学院東村山高等学校の「信教の自由を守る日」講演会に招かれて、高校生たちにお話ししたものを公開します。
はじめに今日、こうして高校生の皆さんと「信教の自由を守る日」講演会でお会いできたことを本当に感謝します。高校の年間行事の中に、このようなプログラムがあること自体が、すごいことだと思います。それとともに、僕は皆さんにお詫びをしてから今日のお話を始めなければなら
「聞き手を発見する」ということ
学校が始まらずにそれぞれ自宅にいる次男と甥っ子を誘って、3月末から始まったzoom読書会。週に二度、今この時に読んでおこうということで渡辺信夫先生の『教会論入門』を読んでいます。一回で1章を取り上げ、1頁ずつ輪読し、ところどころで質疑、コメント、感想を言い合うという感じで1時間。全12章なので6週間で読み終える見通し。
そこで昨日読んだのが第9章、「つとめはことなれども、主は同じ」といういわゆる
ネット礼拝と「コミュニケーション」についての備忘録
教会に集まっての礼拝をとりやめてネット利用もしくは各自の自宅での礼拝に切り替えて以来、最も頭と心を用いているのが、一緒に集まることの出来ない中で「聖徒の交わり」(communio sanctorum)としての教会という信仰のコミュニティをどのように保つかということ。
「教会」とひとくちに言っても、そこには様々な側面(神学校時代にI教授から学んだドーイウェルト哲学によれば15!)があり、社会的
ネット礼拝と「リアリティ」についての備忘録
教会に集まっての礼拝や諸集会をとりやめて、ネット配信や家庭での礼拝に切り替えて4回の日曜日が過ぎました。
僕たちの教会は、日曜日は朝6時半の早朝礼拝から始まって、9時からの教会学校と同時刻に行われる第一朝拝、10時半からの第二朝拝、聖歌隊の練習、昼食、午後からは月一ので役員会やCS教師会、各会や教会セミナー、伝道委員会に求道者へのお手紙発送、そして17時からの夕拝という盛りだくさんの一日。
週日
ネット礼拝と「参加」についての備忘録
新型コロナウイルスの影響が続き、東京都も緊急事態宣言の下にあるものの、教会は都が特措法に基づいて停止や自粛を求められる施設の「対象外」とのこと。憲法が保障する信教の自由の重要さからすれば当然のことで、基本的人権の中でももっとも守られなければならないものゆえに、それはそれとしてしっかり押さえておきたいところ。
とはいえ、すぐさま集まっての礼拝再開に進めるかというと、今の状況ではなかなか難しいという
創造の神の摂理の御業
天地万物をお造りになられた創造主なる神は、この造られた世界をよしとし、喜びの場所となさいました。そして、そこに存在するすべてのものに、意味と目的を与えてくださいました。神はこの世界を創造なさった後、この世界を自然の法則に丸投げにし、放置するようなことはなさいませんでした。むしろ、この造られた世界に対して今もいつくしみとあわれみを施し、深い愛にもとづくさまざまな配慮を与え続けていてくださいます。この
もっとみるネット礼拝と説教についての備忘録
こういうある種の非日常が続くと、ついつい視野が狭まり前のめりになりやすいので、頭を冷やす意味でも自分自身をなるべく客観的に観察してみることが大事だなと。
そんなわけで今回は、ネット配信による礼拝に切り替えたことで説教者である自分自身にどんな変化が起こっているかを振り返ってみます。
まず前提として、いつもの説教は、基本的にオーソドックスな連続講解説教で、朝拝が約40分、夕拝は20分ほど。朝は約6,
その後の対応についての備忘録
3月に入ってから、さまざまな配慮と工夫をしながら毎週主日の4回の礼拝、教会学校、水曜の祈祷会を続けて来たものの、3月25日に東京都知事による外出自粛などの要請が出たことで、ついに3月29日から教会に集まっての礼拝をとりやめ、ネットのライブ配信による礼拝に切り替えることに。
それから二週間ほど経って、今までのところで経験したこと、考えさせられていることを続けて書いておきます。
ライブ配信による礼拝
今回の対応についての備忘録
一つのことを決めた場合、しばしばその結論だけに目が行きがちですが、大切なのはそこに至るプロセスだなと。
特に今回のように何が正解か判断がむずかしい場合は、試行錯誤や右往左往の痕跡を残しておくことも何かしらの意味のある作業だと思います。
そんなわけで、今回の教会としての対応を決めるに際しての経緯と意図を備忘録的に。
まず当教会の普段の礼拝は6時半から7時の早朝礼拝、9時から10時の第一朝拝、10時