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主の臨在に導かれて

徳丸町キリスト教会献堂式説教                     
民数記9:15-23

徳丸町キリスト教会の新会堂献堂式にあたり、日本同盟基督教団を代表して、中谷牧師はじめ教会の皆さまに心からお祝い申し上げます。おめでとうございます!
また徳丸町キリスト教会の牧師の一人として、お集まりくださった皆さまに心より御礼申し上げます。今日は本当にありがとうございます。
献堂式に際して旧約聖書、民数記に記された神の言葉に聴きたいと思います。

1.旅する教会
徳丸町キリスト教会にとって、今回は二度目の献堂式です。前回は1976年3月21日。礼拝説教は東京キリスト教短期大学学長の樋口信平先生。献堂式では安藤仲市先生の説教、祝辞は宣教師のライオン先生、ストローム先生、そして朝岡茂、私の父です。そして祝祷が野畑新兵衛先生。総勢80名が集ったと記録されています。その前年、工事の最中の9月1日に牧師であった齋藤一先生が急逝し、11月末に夫人の齊藤良子先生を牧師に迎えるという激動の日々の中で迎えた献堂式でした。
それから45年を経て、今、ここに新しい会堂を主にお献げできる恵みを覚え、御名をあがめています。二度目の献堂式と申し上げましたが、礼拝の場所という意味では四つ目になります。1965年にフェーデル宣教師ご一家によって伝道が始まった頃の不動通り沿いの最初の集会所、道路拡幅工事のために立ち退きを余儀なくされ、1971年12月から四年にわたって礼拝場所となった西台の市川宅、そして20名足らずの会員たちで建て上げ、1976年から今年まで用いられてきた旧会堂、そして今日、献堂を迎えたこの会堂です。これらの変遷を思う時、教会とは何かという、その本質をあらためて教えられる思いです。それは一言で言えば、「旅する教会」ということです。
今日、開かれている民数記は、奴隷状態であったイスラエルの民がモーセに率いられてエジプトを脱出し、約束の地カナンを目指すにあたって実に四十年もの長きにわたって放浪した荒野での年月が記される書物です。ヘブル語旧約聖書では「荒野にて」(ベ・ミドゥバル)と呼ばれるほどで、まさに本書の舞台を表す書名と言えるでしょう。今日の御言葉は、彼らの一見脈絡なくさまよい、さすらうばかりに見えるこの荒野の旅路が、実は主なる神の確かな守りと導きのうちにあったことを示している箇所です。この主なる神の守りを象徴的に表していたものが「雲」でした。雲が上れば彼らは大移動を始め、雲が止まれば彼らはそこに定住しました。そして再び雲が上るまではそこに止まり続け、そしてまた雲が上ればすぐさま彼らは旅立ったのです。彼らはこの雲に我らを導きたもう神の御心を見出し、その雲に導かれて荒野の旅を続けていったのでした。

2.雲とともに進み、留まる
主なる神の定めたもう時は、しばしば私たちの時の尺度とうまくかみ合わないようなことがあります。降って湧いたような唐突な時の訪れがあるかと思えば、もう忍耐の限界を越えてしびれを切らし、ようやくといったような時の訪れもあります。イスラエルの民にとっても、この地に留まり続けたいと思うような時に雲が上ってしまうこともあったでしょうし、あるいはすぐにでも旅立ちたい、外の場所に移りたいと思う時に、いっこうに雲が上る気配もないというような時もあったと思うのです。やっとその土地で落ち着いた生活が始まろうとする矢先に、雲が上ってまた他の土地に旅を続けて行くことは、多くの民にとって、殊に年老いた者、病気の者、幼子を抱えた者にとっては困難極まりないものだった違いありません。また一体次はどこに行くのか、落ち着く当てもないままに出発して行くのには大きな決断と勇気が必要だったでしょう。しかし彼らはそれがたとえ昼でも夜でも、一日でも二日でも、そこがどんなに自分達にとっての快適な場所であったとしても、雲が上ると直ちに旅立って行ったのでした。
さらに19節から22節。「長い間、雲が幕屋の上にとどまるときには、イスラエル人は主の戒めを守って、旅立たなかった。また雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。雲が夕方から朝までとどまるようなときがあっても、朝になって雲が上れば、彼らはただちに旅立った。昼でも、夜でも、雲が上れば、彼らはいつも旅立った。二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人は宿営して旅立たなかった。ただ雲が上ったときだけ旅立った」。自分なら「なぜ神は私をこんなところに置かれるのか」、「自分の計画とまるで違う」、「こんな人生を歩むはずではなかった」、こんな言葉が次々と浮かんできます。けれども民は雲が上るまでは決して旅立ちませんでした。雲が止まり続けている限りは一年でも二年でもその地に止まり続けたのです。そこには深い忍耐が必要とされていました。

3.主の臨在に導かれて
先ほどの堀江建築推進委員長の経過報告にもあったように、今回の会堂建築も長い長い時間を必要としました。最初に会堂の話が出たのが2003年、具体的な準備に取りかかり始めたのが2005年。その時に10年後に新会堂を、と志を立てて進み出し、実現したのは2021年です。本当に忍耐を要する日々でした。
今日の御言葉は私たちの教会の2013年の年間主題聖句でした。雲が動くことを待ちながら、しかしなかなかその気配が見えない中で、すがるような思いで繰り返し読んだ御言葉だったと思い起こします。しかしこの間の時間はすべて無駄ではありませんでした。この経験を通して私たちは、教会が主の臨在に導かれて進む「旅する教会」であることを身をもって学んで来たのです。そしてついに会堂は建ち、今日こうして献堂式を迎えました。まずは今日、主の真実を覚え、祈り支えてくださった方々に感謝し、喜びを分かち合いたいと思います。
しかしこれで旅が終わったわけではありません。まだ旅路は続きます。雲が動けばまた私たちも動き始めます。この会堂が大いに用いられ、生かされ、動かされ、主との出会いが起こされ、主の御業がなされる。そのような会堂として大いに用いられていくことを願います。いつまでもきれいなままの会堂であってはならないでしょう。たくさんの人が出入りし、お茶をこぼしたり、どろんこ靴の子どもたちが走り回ったり、たくさんの人の手の跡、足の跡が残る教会として、主の臨在に導かれて進んでまいりましょう。


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