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この日、言葉をかの日に伝え

はじめに こうしてザーカル主催の講演会で、皆さんとともに学ぶ機会が与えられたことを感謝します。TCUに来て、こうして学生の皆さんと一緒に学んだり、考えたりする機会があることは本当にうれしいことです。今年2月の集会のあとで、半ば押し売りのようにして話す機会をいただいて、今日の集まりが実現しました。貴重な時間、ともに考える時としたいと思います。 1.渡辺信夫先生との出会い 2020年3月27日、渡辺信夫先生が主の御許に召されました。97歳のお誕生日を迎える直前のことでした。最後

    • 神の声に聴く

      1984年6月10日ペンテコステ記念礼拝 「彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかってきた。そればかりでなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。彼らはいった。『あの人たちをどうしよう。あの人たちによって著しいしるしが行なわれたことは、エルサレムの住民全部に知れ渡っているから、われわれはそれを否定できない。しかし、これ以上民の間に広がら

      • 主の臨在に導かれて

        徳丸町キリスト教会献堂式説教                     民数記9:15-23 徳丸町キリスト教会の新会堂献堂式にあたり、日本同盟基督教団を代表して、中谷牧師はじめ教会の皆さまに心からお祝い申し上げます。おめでとうございます! また徳丸町キリスト教会の牧師の一人として、お集まりくださった皆さまに心より御礼申し上げます。今日は本当にありがとうございます。 献堂式に際して旧約聖書、民数記に記された神の言葉に聴きたいと思います。 1.旅する教会 徳丸町キリスト教会

        • かもしかと呼ばれた弟子

          使徒の働き9:36-41 母の召天の知らせを静岡県掛川から病院に向かう車の中で聞きました。その時、とっさに心に浮かんだ御言葉が二つありました。一つはヨブ記1章21節の「主は与え、主は取られる」でした。続く「主の御名はほむべきかな」は、その時は受けとめることができませんでした。むしろその時に強く心にあったのは「主は取られる」でした。「ああ、本当に主は取られる、本当に取り上げるのだな」と思いました。そしてもう一つ心に浮かんだ御言葉が、今日開かれている使徒の働き9章36節に出て来

        この日、言葉をかの日に伝え

          〈あの日〉以後を生きて

          明日で東日本大震災から10年。〈あの日〉以後を生きて、牧師として、説教者としての、自らのあり方を問われ続けて来たように思います。 震災から三年後の2014年3月11日に『〈あの日〉以後を生きる』という小さな本を出しました。その「まえがき」に次のように記しました。 「あの震災からまもなく三年になろうとしている。三年という時間の持つ重みを考える。新約聖書マルコ福音書5章に、会堂管理者ヤイロの娘の癒やしの出来事が記されている。主イエスがひとりの少女を癒やすというこの出来事の間に

          〈あの日〉以後を生きて

          あれから10年

          Kくんが22歳で主の許に召されて、今日で10年になりました。自分なりの一つの区切りの意味も込めて、彼とのことを記しておきたいと思います。 彼の訃報が入ったのは、僕が信州のキャンプ場で高校生キャンプのメッセンジャーとして奉仕している最中のことでした。突然のことで衝撃を受けつつも何とか集会の奉仕をし、キャンプ場スタッフやリーダー陣に事情を話しキャンプを抜けて東京に戻り、自宅を訪ねて事情を聞き、密葬の司式をし、その後の一通りの対応を済ませてキャンプに戻り、彼と世代の近い若者たちに

          あれから10年

          勇ましく、高尚な生涯

          思うところあって、2016年2月に明治学院東村山高等学校の「信教の自由を守る日」講演会に招かれて、高校生たちにお話ししたものを公開します。 はじめに今日、こうして高校生の皆さんと「信教の自由を守る日」講演会でお会いできたことを本当に感謝します。高校の年間行事の中に、このようなプログラムがあること自体が、すごいことだと思います。それとともに、僕は皆さんにお詫びをしてから今日のお話を始めなければならないと思って来ました。今の私たちの社会はものすごくあやうい状況にあります。自由が

          勇ましく、高尚な生涯

          「聞き手を発見する」ということ

          学校が始まらずにそれぞれ自宅にいる次男と甥っ子を誘って、3月末から始まったzoom読書会。週に二度、今この時に読んでおこうということで渡辺信夫先生の『教会論入門』を読んでいます。一回で1章を取り上げ、1頁ずつ輪読し、ところどころで質疑、コメント、感想を言い合うという感じで1時間。全12章なので6週間で読み終える見通し。 そこで昨日読んだのが第9章、「つとめはことなれども、主は同じ」といういわゆる信徒論の箇所でした。 60年近く前に書かれた書物でありながら今の教会にも続く課題

          「聞き手を発見する」ということ

          ネット礼拝と「コミュニケーション」についての備忘録

          教会に集まっての礼拝をとりやめてネット利用もしくは各自の自宅での礼拝に切り替えて以来、最も頭と心を用いているのが、一緒に集まることの出来ない中で「聖徒の交わり」(communio sanctorum)としての教会という信仰のコミュニティをどのように保つかということ。 「教会」とひとくちに言っても、そこには様々な側面(神学校時代にI教授から学んだドーイウェルト哲学によれば15!)があり、社会的な集団という意味ではそのコミュニティを保つ知恵や方策はすでに数多くあって、その意

          ネット礼拝と「コミュニケーション」についての備忘録

          ネット礼拝と「リアリティ」についての備忘録

          教会に集まっての礼拝や諸集会をとりやめて、ネット配信や家庭での礼拝に切り替えて4回の日曜日が過ぎました。 僕たちの教会は、日曜日は朝6時半の早朝礼拝から始まって、9時からの教会学校と同時刻に行われる第一朝拝、10時半からの第二朝拝、聖歌隊の練習、昼食、午後からは月一ので役員会やCS教師会、各会や教会セミナー、伝道委員会に求道者へのお手紙発送、そして17時からの夕拝という盛りだくさんの一日。 週日は毎週水曜10時半からの朝の祈祷会、14時半から18時までの「キッズスペースまる

          ネット礼拝と「リアリティ」についての備忘録

          ネット礼拝と「参加」についての備忘録

          新型コロナウイルスの影響が続き、東京都も緊急事態宣言の下にあるものの、教会は都が特措法に基づいて停止や自粛を求められる施設の「対象外」とのこと。憲法が保障する信教の自由の重要さからすれば当然のことで、基本的人権の中でももっとも守られなければならないものゆえに、それはそれとしてしっかり押さえておきたいところ。 とはいえ、すぐさま集まっての礼拝再開に進めるかというと、今の状況ではなかなか難しいというのが正直な思い。感染者の増加傾向が収まらない中では、もうしばらく忍耐の時ではない

          ネット礼拝と「参加」についての備忘録

          創造の神の摂理の御業

          天地万物をお造りになられた創造主なる神は、この造られた世界をよしとし、喜びの場所となさいました。そして、そこに存在するすべてのものに、意味と目的を与えてくださいました。神はこの世界を創造なさった後、この世界を自然の法則に丸投げにし、放置するようなことはなさいませんでした。むしろ、この造られた世界に対して今もいつくしみとあわれみを施し、深い愛にもとづくさまざまな配慮を与え続けていてくださいます。この神のあわれみ深い配慮によって私たちは今日も生かされているのです。このように、神が

          創造の神の摂理の御業

          ネット礼拝と説教についての備忘録

          こういうある種の非日常が続くと、ついつい視野が狭まり前のめりになりやすいので、頭を冷やす意味でも自分自身をなるべく客観的に観察してみることが大事だなと。 そんなわけで今回は、ネット配信による礼拝に切り替えたことで説教者である自分自身にどんな変化が起こっているかを振り返ってみます。 まず前提として、いつもの説教は、基本的にオーソドックスな連続講解説教で、朝拝が約40分、夕拝は20分ほど。朝は約6,400字、夕は約3,200字のほぼ完全原稿であまりそこから離れないようにしている

          ネット礼拝と説教についての備忘録

          その後の対応についての備忘録

          3月に入ってから、さまざまな配慮と工夫をしながら毎週主日の4回の礼拝、教会学校、水曜の祈祷会を続けて来たものの、3月25日に東京都知事による外出自粛などの要請が出たことで、ついに3月29日から教会に集まっての礼拝をとりやめ、ネットのライブ配信による礼拝に切り替えることに。 それから二週間ほど経って、今までのところで経験したこと、考えさせられていることを続けて書いておきます。 ライブ配信による礼拝ということで、まずは機材の調達と配信の段取りを開始。実は5年ほど前のある時期、海

          その後の対応についての備忘録

          今回の対応についての備忘録

          一つのことを決めた場合、しばしばその結論だけに目が行きがちですが、大切なのはそこに至るプロセスだなと。 特に今回のように何が正解か判断がむずかしい場合は、試行錯誤や右往左往の痕跡を残しておくことも何かしらの意味のある作業だと思います。 そんなわけで、今回の教会としての対応を決めるに際しての経緯と意図を備忘録的に。 まず当教会の普段の礼拝は6時半から7時の早朝礼拝、9時から10時の第一朝拝、10時半から11時45分の第二朝拝、17時から18時の夕拝の四回で、あわせて約100名

          今回の対応についての備忘録