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勇ましく、高尚な生涯

思うところあって、2016年2月に明治学院東村山高等学校の「信教の自由を守る日」講演会に招かれて、高校生たちにお話ししたものを公開します。

はじめに

今日、こうして高校生の皆さんと「信教の自由を守る日」講演会でお会いできたことを本当に感謝します。高校の年間行事の中に、このようなプログラムがあること自体が、すごいことだと思います。それとともに、僕は皆さんにお詫びをしてから今日のお話を始めなければならないと思って来ました。今の私たちの社会はものすごくあやうい状況にあります。自由が脅かされ始めています。民主主義が崩され始めています。若い人たちにこういう社会を生きるようにさせてしまった僕たちの責任を痛感しているのです。

それでも何とか、僕もこの流れに抗って立ちたいと願って、毎年、2月11日に前後に、「信教の自由を守る」というテーマであちこちでお話をしていますが、さすがにこれほどの人数の、しかも若い方々にお話しするのは初めてのことで、とても楽しみに来たものの、実際にこの場に立って、いささか緊張しています。今日はよろしくお願いします。

1.「信教の自由を守る日」とは?

さて、今日の講演会は「信教の自由を守る日」とあるのですが、そもそも、こんな日があるのかと初めて知った方もおられることでしょう。カレンダーで「2月11日」を見てみると、ふつうは「建国記念の日」となっています。けれども皆さんの学校もそうでしょうし、僕もそうですが、この日を「信教の自由を守る日」として覚えているのです。どうしてそんなややこしいことになっているのか、少し説明しておきます。

随分昔の話ですが、2月11日は1873年から1945年まで「紀元節」と呼ばれていました。明治政府が日本の国の始まりを決めるために、日本史に出てくる、あの『日本書記』の中で神武天皇が即位した日を日本の始まり、建国の日として、これを「紀元節」としたのです。もちろんこれには歴史的な根拠はありません。けれども、天皇を中心にした国づくりと、その「お国」のために役に立つ人間を作り上げるために、この日が様々に利用されて来たのです。しかし、第二次世界大戦が終わり、戦争に負けた日本は、天皇を中心にした国づくりをやめて、「国民主権」つまり、僕たちひとりひとりが主権者である、という新しい国づくりを始めました。それが今の日本国憲法に現された考え方です。

ところが、「昔は良かった。昔の日本は素晴らしかった」、「今時の若者は教育がなっていない、それは天皇制をやめたからだ」と考える人たちがいて、もう一度、この紀元節を復活させようとする運動が1958年に始まります。そう考えた人たちは2月11日をさすがに紀元節とは呼べないので「建国記念日」と呼ぶ法律を作ろうとし、これに対して様々な反対の声にも関わらず、1966年に法律でこの日が祝日と決められました。ただし、歴史上根拠がない日を「建国記念日」とも呼べないということで、「の」を入れて「建国記念の日」とされ、1967年が最初の建国記念の日となったのです。

これに反対した人の多くは、かつての戦争を深く反省し、民主主義を大切にしようと願う人々であり、また何よりも自由を大切にしたいと願う人々でした。特にキリスト教会を含めて多くの宗教者たちも、かつてのように天皇を神さまと崇めるような国家神道が復活し、他の宗教を弾圧するような時代にならないようにとの祈りを込めて、2月11日を「信教の自由を守る日」として、この日を覚え続けているのです。

2.「自由」を守るために

「そんなめんどうくさい話、どうでもいいんじゃね?」と思う人もいるかも知れません。「とりあえず休みならよし」という人もいるでしょうね。僕も高校生の頃は「とにかく休みになるならよし」派でした。でも、どうもそうばかり言っていられない状況になりつつある。自由が脅かされ始めている。そういうことに敏感に反応するのは、実は大勢の人々ではなく、むしろ小さい人々、少数の人々です。なぜなら国が危うい方向に進むときは、まず小さい人たちの声を封じ、少数の人たちの自由を奪うことが始まるからです。

少し自己紹介をかねて僕の話をさせてください。僕は牧師の家庭に生まれました。マイナーな家庭です。教会の牧師館に住んでいて、プチ貧乏な家でした。どれくらい貧しかったかを話し出すとそれだけで時間をすべて使ってしまいそうなのでやめておきますが、ともかくそういう家でした。小学生の頃、社会科の授業で「おうちのお仕事調べ」というのがありました。いろいろなお仕事が書かれたプリントが配られて、お父さんお母さんのお仕事に丸を付けなさいというのです。そこに書かれたお仕事リストを何度も見てみましたが、「牧師」というのが見当たりません。当然ですね。困った僕は手を挙げて先生に質問しました。「先生、お父さんの仕事がありません」。すると先生はこう言ったのです。「うーん、そうだなあ。お前の家は『その他』だな」。こうして幼いながらに僕の心には、うちのお父さんの仕事は「その他」なのだとインプットされたのです。これが少数者の自覚の始まりです。

そもそも、この国でキリスト教人口は本当にわずかで、しかもかつてこの国ではキリスト教は「禁教」でしたから、時代によっては迫害の対象にもなりました。僕のおじいさんも牧師だったのですが、戦争中には、キリスト教の牧師だという理由で逮捕され、一年近く獄中生活を送った人でした。それは昔の話だと思ってきましたが、またそういう時代が近づいていることをひしひしと感じています。私たちが自由であることは当然のことではありません。自由は天から降ってくるものともいえません。世界の歴史を見てみると、むしろ自由は勝ち取るものであり、勝ち取った自由は守らなければなりません。そして今、私たち日本の社会は、まさにこの自由を守るための戦いが始まっていると思うのです。

去年、私たちの国は第二次世界大戦に負けて70年という記念の年を迎えました。それからの70年、日本の国は二度と戦争をしない、誰も殺さず、だれにも殺されない、むしろ武器を捨てて平和を作る先駆けの国になろうという壮大なヴィジョンを掲げて歩み続けて来ました。ところが戦後70年の昨年、この国のかたちが大きく変わる出来事が起こりました。皆さんもご存じのように、私たちの国の憲法9条は、「戦争放棄」をうたう恒久的な平和主義を定めたものですが、今のこの国のリーダーたちは憲法の条文をそのままに、その解釈をひっくり返してしまったのです。つまり日本の国が戦後70年、戦争に加担しないと決めてきた在り方をひっくり返して、外国に出て行ってその国の戦争に加担することができる、そういうかたちに変えてしまいました。

これに対する大きな反対運動が起こったことを皆さんもご存じと思います。国会前にたくさんの人々が押しかけました。学者さんや先生たちや、法律の専門家、お医者さんや映画監督、お母さんたちに大学生、そしてついには高校生たちも立ち上がって民主主義の大切さ、平和の尊さ、自由の尊さを訴え始めています。僕たち、牧師たちも「牧師の会」というのを立ち上げて、何度も何度も国会に足を運びました。それでもまだ力が足りません。

いま、この国では、私たちの身体の動かし方から心の中のあり方まで支配しようとする力が強まっています。国が決めた旗に向かって深々と頭を下げなさい。国が決めた歌を大きな声で立って歌いなさい。そうしないと処罰します。学校の先生たちはそういう場に立たされています。歌いたくない歌を歌わない自由はない。命令には絶対服従。そんな窮屈な強ばった空気が強まっています。また言葉を蔑んで、言葉の内実を抜き去ろうとしている力が強まっています。ぜひ一度でいいのでテレビでもネットでも国会中継も見てみてください。そこで国を代表する大人たちがどういう言葉を語っているかを聞いてみてください。そこでは平和の名の下に戦争に向かい、自由の名の下に支配を強め、いのちとお金を天秤にかけていのちを踏み台にしてお金を得ようとする考え方が広がりつつあるのです。そういう流れを止めなければならない。自由を守る戦いを進めなければならない。真実な言葉を取り戻さなければならない。

3.希望としての「ことば」の力

「自由を守る戦い」なんて威勢の良いことを言いましたが、実際には僕たちには、特別なものがあるわけではありません。お金もないし、大きな力があるわけではありません。それでもこういう暗い時代の中で戦っていくための大事な武器がある。僕はそれを「希望としての『ことば』の力」と呼びたいのです。

この数年、いろいろとこの国の動きを何とかとどめたいと動き回ってきました。でもどれもこれもうまくいかない。それで少々くたびれてしまったというか、あきらめたくなる気持ちになったことがありました。どうせなにもかわらないんじゃないか。この流れは止められないんじゃないか。みんなはその方がいいと思っているんじゃないか。むしろ自分の考え方の方がおかしいんじゃないか。そんなことが頭の中をグルグルと巡る日々を過ごしていました。特にもうすぐ五年になるあの東日本大震災からの日々に、そういう思いがいっそう強まってきました。

けれども、そんな闇の中で一筋の希望の光を見る経験をしました。それは大学生や高校生たちが街角で、国会の前で、暑い夏の日も、冷たい冬の日も、炎天下でも、雨の中でもハンドマイクを肩に担いで、スマホを片手に、一生懸命に自分の言葉で民主主義ってなんだ、憲法守れ、誰も殺すな、平和を守れと叫び、この国に向けて大切なメッセージを語る言葉を聞いたからです。僕は牧師です。牧師というのは聖書という書物から毎週のようにお話をするのが主な仕事です。つまり「ことば」に携わる仕事です。そんな僕が大学生や高校生たちの語ることばに打ちのめされるような感動を覚えました。何度も何度もその言葉を聞きに行きましたが、そのたびに「ここにはホンモノのことばがある」と心が動かされる経験をしました。

言葉が蔑まれ、軽んじられる時代の中で、ホンモノの言葉による戦いがそこにあることを実感したのです。この人の言葉は聞ける、というのはその人が本気であるかどうかにかかっているでしょう。恐らくそういう点で一番センスがあるのが皆さん、高校生たちだと思っています。このおっさん、何言ってンだ?と思いながらも、それでも聞いてみようと思ってくれるのはその言葉が本気の言葉、ポーズでない、借り物でない、本気の言葉だからなのではないでしょうか。そしてそういう言葉に出会えたならば、私たちはどんな暗い時代の中でも、どんなに絶望的な状況の中にあっても、なお希望を持って生きていくことができる。言葉にはそういう力があるのです。

宇都宮健児さんという弁護士さんがおられます。みんながあまりやりたがらないような仕事ばかりを引き受けて、社会の中で弱い立場に置かれている人たちのために骨身を削って働いている立派な弁護士さんなのですが、この方が過去二回、東京都の都知事選挙に立候補されました。僕はほんのちょっとだけ地元でこの方の選挙のお手伝いをしたのですが、ある時この宇都宮さんが「たった一人でも街角でマイクを持って自由に自分の意見を語ることができる。これが民主主義だ」と言われた言葉を聞いて、とても感動したことを思い出します。たとえ一人でも正しいことを正しいと言い、間違ったことを間違ったことと言う。とても勇気の要ることです。大勢を前にしたら声も震えるし、足もすくみます。でも、たった一人のふつうの市民でも、正しいことを正しいと言い、間違ったことは間違ったことと言える。そういう自由を守っていきたいと思うのです。

4.真理と自由のために・・・マルティン・ルターに学ぶ

自由を守るためのことばの戦いを戦った歴史上の人物として、二人の人をご紹介したいと思います。一人は今から500年以上前のドイツ人、宗教改革者として有名なマルティン・ルターという人。もう一人は100年以上前の日本人で、社会に大きな影響を与えた内村鑑三という人です。この二人の名前は、皆さんも世界史や日本史の授業で聞いたことがあると思います。

ルターという名前で紹介されるエピソードは、1517年10月31日に、ドイツのウィッテンベルクにある城教会の門の掲示板に「九十五箇条の提題」という文書を貼り出したことによって始まった宗教改革の出来事です。詳しい話は省きますが、ルターはこの時、一介の修道士で、自分が聖書を学んでいて疑問に思ったこと、それは当時のローマ教会が罪の赦しをお金で買うという制度を作り上げてヨーロッパ各地で「贖宥状」というお札を売りさばいていたのですが、そういう制度が成り立つ理由が、聖書のどこをどう読んでも出てこない。それでこの疑問を解決するために、聖書に基づいてこのことについて討論をしましょうと呼びかけたのが先の提題でした。ですからルターは何も最初から宗教改革という大運動を起こそうとしていたわけではなく、ただ単純素朴に聖書によって何が正しいことかを明らかにしたいと願っただけだったのです。

ところがこれが大問題になる。ローマ教会がルターを異端審問にかけて彼を葬り去ろうとしたのです。ローマ教会というのは当時のヨーロッパ世界の最高の権力です。その権力が束になって、たった一人の若い修道士をつぶしに来る。彼は当時のローマ教会の有力な神学者たちを向こうに回し、さまざまな恫喝や脅かしを受けながらも、一人でいくつもの論争に臨みます。そしてルターの説を撤回せよと迫る人々に対して、自分は神の前で、自分の良心に基づいて語っている。自分の説が間違っているというのなら、聖書に基づいてどこがどう間違っているのかを示してほしい。聖書に照らして自分の説が間違っているのならいつでも撤回するが、それ以外で自分の考えを捨てることはできないと主張し続けるのです。そして実際に並み居る神学者たちを論破していくのですが、ついにローマ教会から破門を言い渡されることになり、さらには当時の神聖ローマ帝国の議会に呼び出されることになります。こうしてルターは1521年4月にヴォルムスの国会に呼び出され、皇帝の前で尋問を受けることになります。この時にルターが言った言葉が言い伝えられています。

「私は聖書と明白な理性に基づいて説得されない限り、自説を取り消すことは出来ない。・・・私は教皇と教会会議の権威を認めない。なぜなら彼らは互いに矛盾しているからである。・・・私の良心は神の御言葉にとらえられている。私は何も取り消すことは出来ないし、また取り消そうとも思わない。私が良心に背くことは正しくないからであり、また危険なことだからである。私はここに立つ。私はこうするほかない。神を私を助けたまえ。アーメン」。

巨大な権力を前にして、ルターが立ったのは「良心」のゆえでした。誰にも傷つけられたり、奪われたり、損なわれたり、卑しめられたり、屈服させられてはならない、私が私であることの尊厳の源。それが自由なる良心だったのです。

5.勇ましく、高尚な生涯・・・内村鑑三に学ぶ

次に、自由を守るための言葉の戦いを戦った人として、内村鑑三という人を取り上げたいと思います。この人も名前を聞いたことがあるでしょうか。日本の代表的な知識人、ジャーナリスト、著述家、キリスト教伝道者、「無教会」を始めた人物です。彼がどうしてキリスト者になったかを綴った『余は如何にして基督信徒となりし乎』という若い日の自伝があるのですが、これが昨年、新しく光文社古典新訳文庫に『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』というタイトルで収められました。とても読みやすくなったので、ぜひ皆さんにも読んでいただきたいと思います。

この内村鑑三という人、1861年に生まれて1930年に69歳で亡くなるまで、実に多彩な働きを担った人物です。内村は札幌農学校時代にキリスト教に触れ、その後、ハリスという宣教師から洗礼を受けてキリスト者になります。アメリカに留学して神学を学びますが、彼の地でのキリスト教会の姿に躓きを覚えて帰国すると、教師としてミッションスクールで働くようになりますが、そこでも宣教師と衝突して職を追われます。やがて1890年に東京の第一高等中学校の教員となりますが、ここで1891年にいわゆる「不敬事件」というものが起こります。当時の学校では天皇に仕える人間になるための教えを記した「教育勅語」というものが重んじられていましたが、1891年1月9日、学校でこの直後の奉読式という式典が執り行われます。これは明治天皇の署名が書かれた教育勅語の前に、教員や生徒が一人ずつ進み出て「奉拝」するというものでしたが、この時、内村は勅語に対して深く頭を下げる最敬礼をしなかった。それはキリスト者として神ならぬものを礼拝することができないという判断による振る舞いでした。しかし、これが天皇を敬わない罪だとして全国的な社会問題となり、内村は世間から大バッシングを受けることになるのです。その数ヶ月後には妻かずが病死し、内村は失意のどん底に落ち込みます。その後、困難な時期を過ごした内村は、いくつかの書物を執筆します。それが先の「余は如何にして・・・」、また内村初期の代表作と言われる「基督信徒の慰め」等です。

その後、1894年に内村は一つの講演をします。箱根で行われたキリスト教青年夏季学校で語った講演です。この講演は1897年に出版されて、その後、長年にわたって読み次がれる歴史的なものとなりました。これがここで取り上げる『後世への最大遺物』です。この講演は内村自身の「失敗談」で、失敗続きの人生を生きる者にとって果たして後世に遺せる価値あるものがあるのか、という問いへの答えの書だと言われます。

内村はこの講演の中で、人が後世に残せるものがあると言い、その第一のものは「事業だ」と言います。よい仕事そしてお金を稼ぎ、そのお金を社会のために用いること。これが後世に残せる遺物だというのです。でもみんながみんなそうやってお金儲けができるわけではない。そういう人はいったいどうすればよいのか。そこで内村が後世に残せる第二のものとして挙げるのが「思想」です。思想や文学などによって人を励まし、知恵を与え、苦難の中に励ましを与えることができる。しかしこれもまた誰にでもできる仕事ではありません。

それで内村は問うのです。事業家にもなれず、お金もなく、本を書くことも、人を教えることもできない人間は、役に立たない人間、無用の人間として世を去るほかないのかと。夢に破れ、失敗を重ね、社会からバッシングを受け、愛する家族を失い、失意の中にあって内村は、この問いを自分自身の存在に関わる問いとして考える。そしてそんな失敗続きの人生であっても、人が生きていることには必ず次の世代に遺せる尊い価値があることに気づきます。それでこの講演の最後で彼は次のように語るのです。

「それならば、人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にでも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりであって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚な生涯であると思います。しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中の贈り物としてこの世を去るということであります」。

できたらこの言葉、ぜひ皆さんに自分の声に出して音読してほしい。ただ目で追って、黙読するだけでは惜しい、そんな言葉です。僕も自分の家で声に出して何度も読んでみましたが、読んでいるうちになんだか心の底から力が湧いてくるような、そういう力のこもった言葉です。特に心に響くのが、今日の講演題につけた「勇ましく高尚な生涯」という言葉です。高校生の皆さんに、ぜひこういう生涯を送ってほしいと願うのです。

確かに暗い時代です。自由が脅かされる時代です。平和が遠のいていくような時代です。でもそういう時代の中で、あきらめずに、希望を持って生きることのできる人生、一人一人の価値を誰にも傷つけられずに、その尊さを重んじて生きることのできる人生、自分を尊び、友だちを尊び、敵と思える人をさえ尊ぶことのできる人生。そういう人生があるのです。そういう自由と喜び、希望と慰めの中に生きる人生を、ぜひ皆さんが自分の足でいっぽいっぽ歩んでいっていただきたい。その道を造るための小さな仕事を、僕も一生懸命に果たしたいと願っています。

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