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今回の対応についての備忘録

一つのことを決めた場合、しばしばその結論だけに目が行きがちですが、大切なのはそこに至るプロセスだなと。
特に今回のように何が正解か判断がむずかしい場合は、試行錯誤や右往左往の痕跡を残しておくことも何かしらの意味のある作業だと思います。
そんなわけで、今回の教会としての対応を決めるに際しての経緯と意図を備忘録的に。

まず当教会の普段の礼拝は6時半から7時の早朝礼拝、9時から10時の第一朝拝、10時半から11時45分の第二朝拝、17時から18時の夕拝の四回で、あわせて約100名の出席者。乳幼児から高齢者までほぼ全世代がいる。
礼拝堂は80名座るとほぼ満杯。換気もあまりできないという環境でエアコン、扇風機、空気洗浄機を稼働して対応。大人も子どももみな同じ空間での礼拝で、特に子どもたちはCSの後、親と一緒にほぼ全員第二礼拝にも出席。高齢会員の多くは教会送迎車で来るため第二礼拝に出席。
そんなわけでいつもの出席分布は早朝が2-5名、第一が10-15名、第二が60-65名、夕拝が15-20名ほど。そして毎年冬から春の時期は風邪やインフルが流行ることから、教会でも「マスク着用、手洗い、うがい」などを推奨。

今年に入って新型コロナ感染のニュースが流れ始めるも、2月中までは特段の対応なく、いつもの咳エチケット程度。しかし2月23日の教会総会はマスク着用、換気、短時間で開催。
その後、役員会で当面の対応を検討し、3月1日に文書「新型コロナウィルス感染予防のための当面の対応について①」を発行。これはその後、毎週改訂して④まで発行中。おもな内容としては・・・
・週日は祈祷会以外の諸集会は休止
・日曜は4回の礼拝以外の活動は休止
・3月1日は主の晩餐を延期(最初は15日、次に22日に再延期し、結局3月はなし)
・礼拝の分散出席を奨励。
・礼拝時間を短縮(おもに説教の時間)
・全員マスク着用、アルコール消毒、手洗い、うがいの徹底
・空気清浄機・加湿器の増設
1日の朝、まず牧師がCSの始まりに子どもたちに「心配ないよ」のあいさつとお祈りをしてスタート。

その後、3月を過ごす間、教会の方々からさまざまな声を聞くなかでの大きな課題は「CSをどうするか。休止か継続か」と「礼拝の持ち方をどうするか。時間短縮の具体案をどうするか、共に集まることを休止する可能性があるか、あるとすれば判断基準をどうするか、その場合どういう対応を取るか」ということ。そしてそのような中で「教会の交わりをどのように保ち続けるか」などなど。
そこで行政や医療の知見と判断を指標にしつつ、信仰の自律性を重んじて、教会として主体的に判断をすること、ひとりひとりの信仰と良心の自由と判断を尊重すること、「神を愛し、隣人を愛する」こと、「いのちを尊ぶ」ことを基本的な方向性とすることを軸に、礼拝、CS、祈祷会はできるかぎり継続させる方向で進むことに。この間、礼拝出席は減少するかと思いきや、むしろほぼ減らず、かえって新来者も来るほどで、教会とは不思議な場所だなと思うことしきり。

3月8日、15日、22日は礼拝の分散出席をさらにお願いし、第一礼拝と第二礼拝をそれぞれ30名程度にしたいということで、 22日はベンチは間をあけて二人掛け、礼拝中も窓を開けて換気の徹底などを行った結果、早朝2名、CS8名、第一礼拝21名、第二礼拝42名、夕拝17名という出席者。

その日の午後に役員会内の検討チームで4月以降の対応を検討した結果、「感染防止期は過ぎて、拡大・長期化に入っている」との認識を共有し、「高齢者、病気のある方、乳幼児への配慮」を重点課題とすることに。そして4月、5月の当面二ヶ月を二段構えで対応しようということで、以下の基本方針を決定。
第1段階として
・礼拝出席のさらなる分散化の徹底
・CSを第一礼拝と合流するなどの礼拝時間帯の組み替え
・礼拝プログラムの短時間化
・ネットによる同時配信を開始(従来は録画を主日夜に希望者に送信)
第2段階として
・共に集まる礼拝をやめて、ネット配信による礼拝に切り替え
・ネット視聴出来ない方々へのフォロー手段などの確認
さらに第2段階に進む指標として「礼拝出席者やその家族から感染者が出た場合」、「国、都、区などからの指導や要請があった場合」を定め、いずれの場合も役員会の判断に基づいて決める手順を確認。

以上の検討案を役員会で承認し、29日にこれらの対応を文書「新型コロナウィルス感染拡大と長期化に際しての当教会の対応について」として配布、説明する予定で準備していたところ、25日に都知事による会見で「今週末の不要不急の外出自粛」を含む要請が出る。
予想以上の展開に驚きつつ、またその背景にある思惑などいろいろ考えつつも、役員会で意見交換と対応の検討をした結果、26日に朝に「29日は第2段階として想定していた対応に進むこと、それ以降はその都度判断すること」を確認。同日中に教会員・客員・礼拝出席者への連絡、ホームページへの告知などを行う。
ネット配信による礼拝ということで、機材の調達とYoutubeでの配信設定、配信テスト等を行い、一応の目処を付ける。←いまここ。

この間、僕自身が感じたことをいくつか。
そもそも新型ウィルスへの客観的な評価が難しい。過大評価にも過少評価にもならぬようなバランスが必要。
行政の対応の評価も難しい。自粛要請やよびかけの法的根拠の問題、あいまいな表現がもたらす社会の過剰反応や萎縮への懸念、今回の国のコロナ対策に対する種々の疑問やそもそもの信頼感の希薄さなど。
教会の社会的存在として意味と責任の重さ、教会員とその家族の個別の魂への配慮と牧会の大切さ、信仰の価値観とそれに基づく論理と行動の重要性などなど。この世のものでありつつ、この世のものでない神の民のあり方が問われているなと。
教会の皆さんもそれぞれ抱えているものも違い、感じ方も違い、受け止め方も違うもの。違いを互いに共感し、受け入れ合う愛がほんとに大切だなと。
また色々なプログラムを中止してみて、かえって教会がプログラム中心だったことへの反省と、ひとりひとりが福音に生きることが何よりの証しと伝道だという事実、計画通りにことが進まないことですべてが主の御手の中にあることの原点の確認。
とはいえいろいろ一気に判断案件が押し寄せて、何が正解か分からない中での判断を迫られて、胃が痛くなったり、眠りが浅くなったり。なので独りで抱え込まず、教会の皆さんと分かち合い、知恵をもらい、助けを求め、一緒に考え、判断できるのがありがたい。友だちも大事。違う意見も大事。他の考えを知って「ああ、なるほどね。そういうこともあるか」といちいち教えられることも大事。でも最後は一緒にいる人たちと決めることが大事だなと。

そんなこんなで、個別具体の環境のもと、信仰と希望と愛により、自由と喜びを確かめ、知恵と洞察を求め、良心の自由を最大限に働かせ、神の御前(coram Deo)で、「教会を信ず」と告白し、祈りつつ決めていくことが何より大切なことだと思います。

今朝、教会員に送ったメールに記した朝の祈り。
「今週もお一人一人の信仰と健康が守られて、よき日々となりますように。
不安や緊張などからくる様々なストレスが癒やされますように。
顔を上げて、周りを見渡す心のゆとりが与えられますように(桜も満開です)。
ともに集まって礼拝できる恵みを味わい、待ち望むときとなりますように。
自宅でのネット礼拝が、未信者のご家族もともに集う良い機会となりますように。
互いに愛し合う交わりがいよいよ深められ、広げられ、豊かになりますように。」

#教会に生きる喜び

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