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あれから10年

Kくんが22歳で主の許に召されて、今日で10年になりました。自分なりの一つの区切りの意味も込めて、彼とのことを記しておきたいと思います。

彼の訃報が入ったのは、僕が信州のキャンプ場で高校生キャンプのメッセンジャーとして奉仕している最中のことでした。突然のことで衝撃を受けつつも何とか集会の奉仕をし、キャンプ場スタッフやリーダー陣に事情を話しキャンプを抜けて東京に戻り、自宅を訪ねて事情を聞き、密葬の司式をし、その後の一通りの対応を済ませてキャンプに戻り、彼と世代の近い若者たちにいのちの尊さを語りながら、感情抑えがたいものがあったことをつい先日のように思い出します。

初めて会ったときのKくんは、まだあどけなさの残る中学生でした。仲良し男子三人組の一人で、他の二人に比べると物静かな感じでありつつ、それでも内面にしっかりとした思いを持っている子でした。

しばらくしてKくんのお父さんが癌のため50代の若さで天に召されていきました。病床で洗礼を授ける恵みにあずかったのですが、遺されたご一家の状況と僕がかつて父を同じ癌で亡くしたときの状況がほぼ同じだったこともあって、Kくんに対してもひとかたならぬ思い入れを感じていたように思います。葬儀の時にもあまり表情を変えずにぽつんと座っていた当時14歳の彼の姿に、かつての自分の姿が重なるように思えてなりませんでした。

高校生になるのを機に、洗礼に向けて聖書を学ぼうということで友人たちと一緒に聖書の勉強会に参加するようになりました。回を重ねるうちに友人たちはそれぞれに決心を付けて洗礼を受けていったのですが、Kくんは最後の決断が着かずに「また、いずれ」ということになりました。それでも僕には彼の中にある真剣で純粋な信仰の心がよく分かりました。彼は中途半端な思いで洗礼は受けられないというのですが、僕はそんな彼の真面目さこそが信仰の心だと思っていたのです。

高校生になると部活がスポーツ系だったこともあって以前ほどには教会に来る機会が減ったものの、それでもちょくちょく教会の中高生クラスに顔を出してくれていました。部活で鍛えた体は一回り大きくなり、顔つきも次第に精悍さを増していましたが、口数は相変わらず少なく、穏やかな人柄も変わっていませんでした。

やがて高校を卒業すると、彼は東京を離れて地方都市の大学に進学していきました。残念ながら一番の志望校ではなかったのですが、それでも納得して選んだ進路だとお母さんからも聞いていました。引っ越していった後も折々の携帯メールで「元気にしてる?」、「ご飯食べてる?」、「いつでも連絡してね」とメッセージを送ると、「元気です」、「ありがとうございます」と返事をくれていたのですが、しかし彼にとってはつらい日々の始まりだったのを後に知るようになりました。

新しい環境になじめずに学校をやめて東京の実家に戻って来ているとお母さんから聞いたのは、入学から半年ほど経った頃だったと思います。お母さんからは「本人が東京に戻ってきていることは誰にも言わないでほしいと言っている」と聞かされ、その通りにその後もKくんには「そちらの生活はどう?」、「そろそろ寒い時期だね」などとメールを送っていました。

その後も細々とメールのやりとりは続いていたのですが、やがてそれも途絶えがちになり、お母さんから聞く様子もほぼ自室に閉じ籠もっているとのことだったので、思い切ってお母さん経由で「東京に戻っていると聞いた。一度会って話そう」と伝えてもらいました。答えは「もう少し待って欲しい。そのうち先生には話すから」とのこと。今はまだ時ではないのだと思い、ひたすら祈る日々が続きました。

しばらくしてお母さんに様子を聞くと、「自室に引きこもって難しい本ばかり読んでいる」、「時々出てくると、『どうして人は生きるのか』、『人生の意味はどこにあるのか』と難しい質問をされる」、「私では上手く答えられないので「牧師先生のところに一緒に行って聞いてみよう』というのですが、そこからなかなか進まず・・・」などと話されるので、そろそろ時が来ていると思い、自宅近くまで伺ってみたりもしましたが、やはり「今はまだ会いたくない」とのことで、「次は会って話そうね」とお母さんに伝言を託して帰ったのでした。

そして7月。結局地上では彼と会うことがかないませんでした。一人で生きることと真剣に向き合い、悩み、問い、考え、結果、自分で人生を締め括っていったのです。

葬儀を終えた数日後、あらためてお宅を訪ねたとき、お母さんがKくんの部屋を見せてくれました。部屋に入って、その光景に釘付けになりました。大きな字で「なぜ生きるのか」、「存在の意味はなにか」、「人は死んだらどうなるのか」などなどたくさんの問いが書かれた何枚もの紙が、部屋の壁一面に貼り付けられていたのです。その光景を見て涙が溢れました。それはKくんの心の中そのものだと思えました。そしてどれもこれも彼と一緒に語り合いたかったテーマばかりでした。いっしょに悩んで、いっしょに考えて、いっしょに聖書を開いて、いっしょに論じ合いたかったテーマばかりでした。それを彼はたった一人で考え続けていたのだと思うと、胸が締め付けられるような思いになりました。

それはまた、僕にとっては伝道者として自分のあり方を激しく揺さぶられる時でもありました。自分は彼とどう関わってきたのだろうか。通り一遍の関わりに終始していたのではないか。もっと早く彼に会いに行くべきではなかったのか。何を躊躇し、何を遠慮していたのだろうか。もっと彼に親身になるべきだったのではないか。もっとできることがあったのではないか。もっと何か、もっと何か・・・。ずっと心のなかに重くとどまり続けている問いです。

あれから10年たって、Kくんに会ったらなんと言おうか。彼の問いかけに自分はどう向き合い、どう応じることができるだろうか。そう考えます。誰かに福音を語る時、特に若い世代の一人ひとりに語りかける時、心のどこかで考えます。「このことばはKくんに届くだろうか」、「これを聞いたら彼はどんな顔をするだろうか」、「このことばでKくんは納得するだろうか」、そして「このことばで彼は生きる方へと向きを変えただろうか」と。そうやってKくんと対話しながらこの10年を過ごして来たように思います。そしてこれからもこの対話は続いていくのだとも思います。やがてすべての答えを与えてくださるお方の前にKくんと一緒に立つ日まで。その日に向かって「生きること」へ向かう言葉を求め続け、語り続けること。それがKくんから課された僕への宿題だと思っています。

「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。」(イザヤ55:3)

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