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人類の進化史と病気の進化

本稿では、病気がヒトの進化とどのような関係で生じたかを、特にホモ・サピエンスがアフリカで誕生した以降の進化史と病気を引き起こす遺伝子の進化について解説する。特にBenton et al. (2021)Nature Reviews Genetics(1)を参考にしながら、最新の知見を紹介する。


ヒトの病気と進化

 2020年はじめから急速に拡大した新型コロナウィルスの影響により、2021年8月21日現在、全世界での感染者は2億1千万人、死者は440万人に達している。このようなウィルスや細菌などの感染症は幾度となくヒトの歴史や進化に大きな影響を与えてきた(新型コロナウイルスによる感染拡大は人為的流出の可能性もあり、その場合は人類にとって初めての経験となる)。たとえば、近代の歴史でみると、ヨーロッパ人がアメリカ大陸やカリブ諸島に持ち込んだ様々な伝染病により、免疫をもたなかった先住民の人口は激減したといわれる。ヒトが1万年間に農耕を開始し、定住によって人々が密集して生活し、家畜などを飼育するようになり、このような感染症の影響は特に大きくなったと考えられている(2) 。実際に、主要なヒトの感染症の多くは、農耕開始後に生じたものであるとされる(2)。
  しかし、農耕を開始する以前から、ウィルスや細菌、寄生虫などの病原体はヒトの進化に大きな影響を与えてきた。現代のアフリカで生活をしている農耕民と狩猟採集民を比較した研究では、ウイルスに対する免疫関連遺伝子が自然選択の影響をより受けてきたのは狩猟採集民の方であったことが示された(3)。このことから、農耕民の方が病原体の暴露をより受けやすいとはいえないかもしれない(3)。ヒトも含めあらゆる生物は、病原体との相互作用のなかで進化してきた。感染症による病気は、病原体が進化する限り、ヒトが常に直面しなければ行けない現象である。
 本稿では、「進化が引き起こす病気」について考察する。上述した感染症など病原体による病気の発症は、「進化が引き起こした」というよりも「病原体によって引き起こされた」といった方が適切と考えるかもしれない。また、「進化とは周りの環境に適応すること」と理解している人には、病気が進化するという表現には違和感を感じるかもしれない。ここでは、そのような疑問も踏まえつつ、進化によって生じる病気について、人類がアフリカで誕生した以降の進化の歴史との関連で解説したい。

進化が引き起こすヒトの病気

 「進化が病気を引き起こす」、あるいは「進化が病気の原因」となっているというどういうことだろうか?大まかにではあるが、Box 1に「進化によって病気が生じる」5つの要因を示した。ここでは、すべてについて詳しくは述べないが、いくつか例をあげて簡単に説明してみよう。
 

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 上述した感染症の例においては、病原体はより感染力を高めて伝染する方向に、宿主は感染し伝搬するのを阻止する方向へと対立する進化が生じている。このように互いに利益が対立する関係で生じる進化(拮抗的共進化という)は、病原体と宿主といった異なる生物間同士で生じるだけでなく、同じ生物個体内の異なる性、細胞や遺伝子の間でも生じる。たとえば、雄にとっての利益と雌にとっての利益はしばしば対立する(性的対立という)。そのため、雄にとって有利に働く遺伝子と雌によって有利に働く遺伝子の間で、拮抗的共進化が生じる。
 インスリン成長因子遺伝子であるIGF2遺伝子は、胎児の成長の広範な領域で働く。この遺伝子は、母親から引き継いだ遺伝子が働かないように印が付けられ(ゲノムインプリンティングという)、父親由来の遺伝子が機能する。同様にH19という遺伝子(ノンコーディングRNA)は、IGF2遺伝子の働きを抑制するが、父親由来の遺伝子は働かないようにインプリンティングされている。IGF2は父親にとって有利な遺伝子で、H19は母親にとって有利な遺伝子といえる(4) 。通常は、一方の性で遺伝子が働くように均衡がとれているが、この均衡がくずれ、IGF2が正常よりも高く発現したり、H19がより高く発現したりすると、成長に異常をきたす様々な病気として現れる(Beckwith-Weidemann症候群)(4)。たとえば、小児癌のリスクが100倍以上になるという(4)。この例は雄と雌との対立であったが、ヒトを含めた多細胞生物は、様々な異なる進化の歴史を持つ細胞や小器官によって構成され、細胞間の対立や同じゲノム内の異なる領域での対立が生じる。これらの均衡がくずれると病気を誘発するのである(4)。これは、進化的対立(Box 1d)が病気を引き起こす例である。
  自然選択による適応進化の結果として生じた形態的、生理的あるいは精神的性質が、別の側面では制約となったり、結果的に有害になって病気と関連する場合がある(Box1 a)。約1億8千年前に哺乳類で獲得した胎盤は、母親から胎児へ代謝物質や免疫などを供給し、子どもの生存率を高める。しかし、胎盤形成が原因となって母親に炎症、高血圧、腎障害などの疾患などを引き起こす(1)。つまり、胎盤の進化は、個体の適応度(次世代に残す子どもの数)を高め、自然選択によって適応進化したが、その副産物として病気を引き起こすことになったといえる。
  約300万年前のアウストラピテクスから現代人までの間に脳のサイズは3倍の大きさに進化した。 脳のサイズの進化に働いた適応的要因は、はっきりとはまだ解明されていないが、食べ物を見つけたりするのに有利に働いたり、他者との協力のため、あるいは知識の獲得や文化的伝達に有利であったとされる(5)。大脳のサイズ、特に大脳皮質の増大に関係していると思われるゲノムの領域が第1染色体上の特定の領域にある。この領域に生じた変異が、しばしば小頭症や大頭症の原因になることから大脳のサイズに影響すると推測されている(25)。この領域には、NOTCH2NL(6)やNBPF(25)という遺伝子がヒト特異的に重複していくつもコピーとして存在している(遺伝子の配列がコピーされ、ゲノム上に何個も重複している)。とくにNBPFは、オルドバインドメインという配列が何百も重複してならんでいる。Sikela et al. (2018)は、この配列が重複してコピーを増やしていくことと脳のサイズの増加が関連している考えた。さらに、重複によるコピーが増えると、ゲノムが不安定になり、突然変異が生じやすくなり、その突然変異が統合失調症や自閉症を引き起こすのではないかと考察している(25)。つまり、脳の拡大を伴うゲノムの構造上の変異は、おそらく適応的なものであったと思われるが、同時に精神疾患や発達障害の原因となった可能性がある(1)。これは、脳のサイズの適応的進化の2次的結果(Box 1a)ともいえるし、同じ遺伝子が一方で大脳皮質の発達に影響するが、もう一方で精神疾患などにも影響するというトレードオフの関係にある(Box 1b)ともいえる(精神疾患と進化との関係は、別の機会に解説する予定である)。

人類の進化史が関係する疾病

  哺乳類が胎盤を獲得したのが約1億8千年前、また、脳サイズが増加しはじめたのは約200万年前からであり、これらの進化は、ホモ・サピエンスが誕生するより以前のイベントであり、古い適応進化が現在のヒトの疾患に関連しているといえる。
 約20万年前にアフリカでホモ・サピエンスが出現して以降(「ヒトはいつ出現し、どう進化をたどってきたのか」を参照)の進化イベントも様々な病気と関連している。約20万年前からホモ・サピエンス(ヒト)独自の突然変異(Box 2)が出現し、ヒト集団の数の増減や分布の拡大、あるいは他の集団との交雑による遺伝子の流入の影響を受けて、その変異の頻度が変化したり、消滅したり、古い変異から新しい変異に置き換わったりしている。それらの変異の中に、病気の原因となったり病気になる可能性を増大させるリスクアレルあるいはリスクバリアント(以降、リスク変異あるいは有害変異とよぶ、Box 2)が含まれる。このようなリスク変異の頻度の増減に影響していると考えられる重要な人類の歴史的イベントとして、出アフリカ時の人口減少(ボトルネック,図1a)、アフリカから出た後のネアンデルタール人との交配による遺伝子の流入 (図1b)、アフリカから世界各地への拡散(図1c)、5千年前から生じた人口の急激な増大(図1d)、アフリカからアメリカ大陸へ奴隷として移住によるアフリカ人とヨーロッパ人の交配(図1e)などがある。  以下では、それぞれの人類史イベントが病気のリスク変異の進化にどう影響したかをみていこう。


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図1. 病気リスク遺伝子の進化に影響する人類史イベント. Benton et al. (2021)のFig. 3を改変


出アフリカによるボトルネックの影響

  ヒトは約20万年前にアフリカで誕生した後、何回かアフリカを出て、アフリカフリカ大陸の周辺である中東や地中海沿岸、あるいはモロッコやジョージア(黒海の東)、南アジアなどで生活していた(「ヒトはいつ出現し、どう進化をたどってきたのか」を参照)。しかし、それらの人々は、そこで絶滅しており、分布を拡大することはできなかった。アフリカをでてヨーロッパー、アジアの各地、そしてアメリカ大陸へと分布を拡大していったのは、5から6万年前にアフリカを出た少数のヒトだったと考えられてる。現在、アフリカ以外のヒトの集団は、そのときの少数の人々の子孫で、出アフリカ時のボトルネック(個体数が減少して、また増加すること)を経験していることになる。
 個体数が減少するボトルネックという現象は、遺伝子の頻度変化に大きな影響を及ぼす。進化の重要なプロセスとして、遺伝的浮動がある。遺伝的浮動は、簡単にいうと遺伝子が次世代に伝わるとき、どの遺伝子が伝わるかがランダムに選ばれることによって頻度が変化することである。たとえば、AとBという遺伝子(対立遺伝子、アレル)が5個ずつ10個ある集団から、次の世代にランダムに10個の遺伝子が選ばれるとき、からずしもAが5個、Bが5個選ばれるとは限らない。Aが6個や7個の場合、あるいはに、すべてAであるとかBであるとかという可能性もある。このような効果は、集団中の遺伝子の数が少ないほど、AとBの頻度が変化する可能性は高くなる。
  ボトルネックによる個体数が減少したとき、遺伝的浮動の効果により、病気や生存に有害な遺伝子の頻度が上昇する場合がある。有名な例が、南太平洋のミクロネシア、ピンゲラップ環礁の色覚異常だ。1775年の台風で島民の多くが死亡した。生き残った人の中に色覚異常の人がいたために、その後、島民の色覚異常の割合いは30%にもおよんだ(通常は3万人に一人)(7) 。この例は、人口が一時激減し、回復するというボトルネックが、有害な遺伝子の頻度を上昇させた例といえる。
 出アフリカ時のボトルネックは、アフリカ以外の集団に有害なリスク変異を増大させたのだろうか?これについては、ポジティブな結果とネガティブな結果の両方を示す論文が出版され、論争になった。それらの研究は、ゲノムが保有している有害な変異の数や頻度などを、出アフリカを経験してアメリカに住んでいるヨーロッパ系アメリカ人との間で比較した。たとえば、アフリカ系アメリカ人に比べて、ヨーロッパ系アメリカ人ではゲノム中の有害変異の割合いが高いという研究(8)や、単一遺伝子疾患(一つの遺伝子が病気のリスクをあげる)が多いという研究(9)がだされた。それに対し、アフリカ系アメリカ人とヨーロッパ系アメリカ人のゲノム中の有害変異の数には違いがなく、ボトルネックの影響はほとんどないという結果がだされた(10,11)。この結果の不一致は、有害変異の増加の程度をどう評価しているかに依存しているようである(12) 。集団のゲノム中に蓄積している有害な遺伝子の全体的な効果(遺伝的荷重という)は、ボトルネックの影響をそれほど受けていないという結果が、ゲノムデータからも理論的な予測からも示唆されており[注1]、だいたいのコンセンサスはあるようだ(1)。
 しかし、多数のヒトのゲノムを解析して病気と関連するリスク変異を検出するゲノム関連解析(GWAS)による研究では、出アフリカ時のボトルネックの影響を受けて、検出されるリスク変異がアフリカの集団とそれ以外の集団の間で異なっている可能性が示されている(13)。アフリカの集団では、祖先型の病気リスク変異の頻度が高く、非アフリカ集団では、派生型の病気リスク変異の頻度が高くなっている(祖先型はもともとヒトがアフリカで誕生したときから持っていた変異で、派生型は後に突然変異で生じた変異)。これは、派生型の変異が、出アフリカによるボトルネックで影響を受ける可能性が高かったからと考えられる。アフリカ人集団でみられる祖先型のリスク変異としては代謝系の病気に関わるリスク変異の頻度が高く、心臓血管系の病気リスク変異の頻度が低かった(13)。この研究では、同じ病気に影響するリスク変異が、アフリカ人集団とそれ以外の集団では異なっていることを示しており、ゲノム変異からの病気のリスクを予測するゲノム診断は世界のどの集団でも同じ診断基準を用いることができないことを示唆している。

注1. ボトルネックは、有害変異のゲノム中の数とその頻度(集団中の頻度)の両方に影響を与える。遺伝的浮動の効果によって個体数の減少は有害変異の頻度を増加させるが、個体数が少ないのでゲノム中に有害変異が出現する数は減少する。両者の効果が相殺されることで、ゲノム中にある有害変異の全体的な効果はそれほど影響をうけないと理論的には予測されている。

出アフリカ後の人類の拡散と人口増大

 出アフリカ後に人類が世界の各地に移住・拡散していった過程(図1c)、そして、ここ数千年前からの個体数の急激な増加は(図1d)、リスク変異の増減に影響を与えているようだ。Henn et al. (2015)は、集団中の有害変異の数を、ヨーロッパ、アジア、アメリカの数集団で調べた(14)。その結果、アフリカ(エチオピア)からの距離か遠くなるほど、集団中の有害遺伝子の数が多くなっていた。ヒトが分布を拡大してとき、移住の先頭になって新しい場所を開拓していく人は少数であったと予測できる。分布拡散の最先端にいる集団では、個体数が少ないことが原因で遺伝的浮動により有害変異が増え、その後に続く集団でもそのまま有害変異が残ってしまっていると思われる(14)。そのためにアフリカから遠いほど、分布最先端による有害変異の増加を何度も経験してたと考えられる。
 また、人類は、1万年前に農耕が開始され、定住生活が促進され、出産間隔が短くなることで、人口が増が急激に増大してきた。特に約5000年前から人口増加が加速されていったと推定されている(9) 。集団中に一つでも新たな変異が生じる確率は、個体数が大きいほど大きくなる。Fu et al. (2013)らの研究では、アフリカ系アメリカ人およびヨーロッパ系アメリカ人の集団どちらとも、5000年前より最近になって、有害変異が増えてきたことが示された(9) 。これらの有害変異は、個体数が増加したために、集団中に生じる可能性が高まったからだと考えられる。そのために、それらは有害で病気のリスクを増大させるが、それぞれの変異は集団での頻度が低い。有害の効果が大きいリスク変異も存在するが、それらは、集団中に出現してから時間がたっていないため、淘汰されるまでに十分な時間がなかったためであると考えられる。つまり、現代のヒトの集団には、希にしか見つからないが病気を引き起こすリスク変異をたくさん保有しているといえる(後述)。

進化的ミスマッチによる病気

 人類は、アフリカを出てから、沿岸域、寒冷地、高地、小さな島々など様々な環境に進出した。そのような局所的な環境で生存や繁殖するために有利となるような変異が自然選択を受け頻度を増大させている。
 しかし、適応した環境が変化したり、人がその環境から移住することで、その変異は病気を引き起こすリスク変異となる。また、約1万年前から農耕が開始され、食生活や住環境、人間同士が複雑に相互作用する社会環境などの劇的な変化を経験する。農耕による環境の変化にも一部の遺伝子に生じた変異は自然選択により適応的に進化している。しかし、多くの遺伝子において、環境の変化に対応するような適応的な変異が生じるとは限らない。農耕以前の狩猟採集生活に適応していた遺伝子が、農耕生活に適応できない場合もリスク遺伝子となる。このように、適応した環境と異なる環境で病気のリスクが高まることが、進化的ミスマッチである(Box1d)。
 進化的ミスマッチによる病気の例を表1に示した。その一例として倹約遺伝子説という考えがある。ポリネシアのサモアでは、世界でもっとも肥満が多い。CREBRFというタンパク質をコードしている遺伝子に変異があり、サモア人以外の人はほとんどが457番目のアミノ酸がアルギニンであるが、サモア人の約40%がアルギニンとグリシンのヘテロ型、7%の人がグリシン/グルシンのホモ型である(15)。457番目アミノ酸がグリシンのREBRF遺伝子をもっている人は、脂肪の蓄積を促進し、エネルギーを節約する。ミクロネシア諸島に人が移住してからは、サモアでは、航海で長期の間食傷の少ない状況に耐える性質が有利になったと考えられる。しかし、アメリカ領になってファーストフードなどの食物が主流になると、肥満を引き起こしやすくなったと考えられる(ただし、糖尿病のリスクは抑えられている(15))。このREBRF遺伝子は、エネルギーが不足している環境で有利になっている倹約遺伝子の例だと考えられている。
 出アフリカ後のヨーロッパで農耕が始まる前や北極圏で生活するイヌイットの人たちは魚からオメガ3脂肪酸であるEPAやDHAを充分に摂取していた。そのために、脂肪酸代謝に関わるFADS1遺伝子とFADS2遺伝子の活性が低い変異が有利になり、頻度を増加させていった(引用文献および詳しい内容解説は「食生活の変化による脂肪酸代謝の進化:植物性脂肪か動物性脂肪か」を参照)。しかし、ヨーロッパでは、農耕がはじまって魚などの摂取が減少することで、活性の低い変異をもっている人は炎症性腸疾患(クローン病および潰瘍性大腸炎)のリスクが高くなった。同様に、イヌイットの人たちも食生活が変わることで、病気のリスクが増加した。
    病原体や寄生虫の感染レベルの高い地域は、病原体や寄生虫への抵抗性が進化するが、感染レベルの低い地域への移住や時代が変化して感染のリスクが減少したとき、病原体や寄生虫への抵抗性に関する変異が病気のリスクを高める。これは進化的ミスマッチによる病気リスクであるが、衛生仮説と呼ばれている。たとえば、トリパノゾーマという寄生虫感染リスクの高いアフリカでは、APOL1のG1およびG2変異は、トリパノソーマの感染やそれによる「眠り病」を防ぐが、これらの変異を持つ個体では慢性腎臓病を引き起こす(1,16)。また、現代人に見られる炎症性疾患や自己免疫疾患の増加は、感染レベルが高い過去の不衛生な環境下で進化した免疫システムが原因になっていると考えられる(1)。例えば、クローン病や多発性硬化症など、多くのの炎症性疾患に関連する遺伝子に関して、この衛生仮説に合致するような研究結果がある(17)。
    ある環境で適応進化(生存や繁殖を向上させるような変異が自然選択によって頻度を上昇させること)によって獲得した有利な変異は、他の環境では不適応になる。これが進化的ミスマッチであるが、新しい環境に、どれくらいの時間で適応できるようになるかは、変異の種類や環境によって異なる。ヒトは、狩猟採集生活から農耕生活に変わって、1万年もたっておらず、進化するには充分な時間でない、とする考えもある。しかし、上述したFADS遺伝子の変異は、約4000年ほどで新たな食生活に適応した変異が進化している(「食生活の変化による脂肪酸代謝の進化:植物性脂肪か動物性脂肪か」を参照)。従って、ミスマッチを引き起こしやすい変異と環境に適応進化しやすい変異があると考えられる。しかし、近年の人間社会でみられるような、数百年、数十年での急激な変化には進化はついていけないだろう。

表1. ミスマッチによる病気の例. Benton, et al. (2021)の表S1を改変

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ネアンデールタール人から引き継いだ病気リスク遺伝子

   アフリカで誕生し、アフリカを出た人類はヒト(ホモ・サピエンス)だけでない。ホモ・エルガステル(約200万年前から100万年前)がアフリカをでてアジアでホモ・エレクトスに分化し、またヒトとの共通祖先が再度アフリカを出て、ヨーロッパ、アジアなどに拡散し、ネアンデルタール人やデニソア人に分化した(「ヒトはいつ出現し、どう進化をたどってきたのか」を参照)。ゲノム配列を用いて、過去の個体数変動を推定することが可能である。それによると、約100万年前にホモ・サピエンスとネアンデルタール人など古人類の祖先で個体数の減少が生じたらしい(18)。その後、ホモ・サピエンスの祖先となる集団は個体数が増加したのに対し、ネアンデルタール人やデニソワ人の集団はさらに規模が縮小した(18)。このため、ネアンデルタール人やデニソワ人はホモ・サピエンスに比べて集団の大きさがかなり小さかったため、遺伝的浮動の影響をうけ、有害変異の割合がホモ・サピエンスよりも多かったと考えられる(18)。
 ヒトはアフリカを出た後に、ネアンデルタール人と交配したために、世界の各地に拡散したすべてのヒトは、ネアンデルタール人のゲノムを約2%共有している。また、アジアの人々はさらにデニソア人のゲノムを数%引き継いでいる(「ヒトはいつ出現し、どう進化をたどってきたのか」を参照)。その結果、アフリカ以外のヒトの集団は、有害変異による影響が大幅に増加したことが予測されている(19)。たとえば、うつ病などの精神疾患、角化症などの皮膚疾患、動脈硬化などリスク変異がネアンデルタール人からのゲノム領域と一致している(20) 。このようなリスク変異だけでなく、逆にアフリカ以外での環境にヒトが適応するのに役立った変異もある(1,21)。皮膚疾患関連の変異は、アフリカ以外の寒冷な環境で有利だったかもしれない(21)。高緯度への適応にデニソア人の変異が有利に働いた可能性もある(22)。ネアンデルタール人やデニソア人は、ヒト(ホモ・サピエンス)よりも早く、アフリカを出て、寒冷な地域や高緯度で生活をしていたので、彼らの持つ変異は、そのような環境では有利な変異となったと考えられるが、別の環境では有害なリスク変異となったのだろう。新型コロナウィルス感染症の重症リスクに関わる遺伝子の変異をネアンデルタール人からひきついだという研究もあり(23)、ウィルスや病原体に対する抵抗性やリスクに関わる変異も引き継いでいる可能性がある。

進化による病気の理解と医療

 コロナウィルス感染症によって、一般の人にも変異という用語が流布したこ。ウィルスは常に突然変異で新たな変異株が生じ、感染力が増大したり、免疫を回避しすることで、より多くの人へ感染する変異株が頻度を増加させている。これは進化をまさに目の当たりにしているということだ。進化的理解は、なぜ感染症が流行するのかという疑問に対してだけでなく、その対策へも貢献できる可能性がある(注2) 。
 本稿で解説したように、人類の過去の進化の歴史がもたらす病気についても、「なぜそのような病気が進化したのか」という理解を基に、ヒトの健康や医療に役立たせることができる。
 ヒトは、祖先集団が経験した人口動態や環境によって、異なる病気のリスクとなる変異を保有している。このことは、国や地域、集団によって、また個人によって病気のリスクが異なり、個人のゲノム配列によって個人々によって適切な治療を行うというプレシジョン・メディシン(精密医療)が重要である根拠となる。また、近年、ゲノム配列から特定の病気のリスクを推定するという手法(polygenic risk score, PRS)が開発されている。しかし、ヒトの集団ごとに、病気のリスクとなる変異が異なっているので、たとえば、ヨーロッパ人のゲノム配列をもとに推定された病気のリスクは、アフリカ人の病気リスクには使えないという問題点が指摘されている。これも、集団によって異なるリスク変異が進化したからである(1)。
    病気のリスク変異が過去のどのような環境で適応的だったのかを理解することは、病気の治療だけでなく、健康の維持や病気の回避にも役立つ。たとえば、本稿でも紹介したFADS遺伝子の変異は、祖先集団が魚や海産物に含まれる脂肪酸であるDHAやEPAを充分に摂取可能な食生活であったかどうかが関係しており、FADS遺伝子の変異型によって、摂取すべき脂肪酸の種類や量が健康におよぼす影響に作用する(「食生活の変化による脂肪酸代謝の進化:植物性脂肪か動物性脂肪か」を参照)。
 現在、自分のゲノム配列を調べてくれるサービスがあるが、その変異を正しく評価できれば、病気のリスクを知るだけでなく、自分独自の健康法を知ることができるようになるだろう。
 「病気のリスクが進化によってもたらされている」という理解の重要性は、医療への応用だけに留まらない。たとえば、精神疾患の多くは遺伝子が関与しており、ヒトの過去の進化と大きく関係している。自閉症やうつ病、統合失調症など、その人の生活環境や親の育て方の問題で発症したと言われることがある。また、高血圧や糖尿病などもその人の生活習慣が問題であるとされることが多い。しかし、精神疾患にしても、高血圧や糖尿病にしても、リスク変異の影響を大きく受けることがあり、必ずしもその人の環境や生活習慣が悪い、とは言い切れない場合がある。自分の病気を遺伝子のリスクとして受け入れることによって、病気に対する考え方が異なってくるだろう。また、人は病気のリスクも含め、それぞれゲノムの配列が異なっているという事実を認識した上で、その違いを受け入れる社会が必要になってくる(進化的視点からみる人間の「多様性の意味と尊重」を参照)。

注2. コロナウィルス(SARS-CoV-2)に関しても、「突然変異がランダムに遺伝子配列のどこかに生じ、その中で免疫を逃れる変異や感染力の高い変異が選択されて感染拡大するという」基本的な進化プロセスによって感染を広げている。この理解をもとに考えて見ると、大量のコロナウィルスのスパイクタンパクをコードしている配列を調べて見つかるほとんどの変異は、中立な変異(感染力を変えない変異)であるが、特定の場所に生じた変異は、感染力を高め、選択によって頻度を増加させると考えられる。自然選択を受け、頻度を増大させている変異は、まだ頻度が低くても進化学的(集団遺伝学的)解析により検出可能である。このような進化学的(集団遺伝学的)解析と免疫学的な解析を統合することで、スパイクタンパクをコードする遺伝子配列のどの位置の変異が免疫から逃れやすいか、感染力が高いかなどの推定可能になると思われる。Harvey, W. T. et al. (2021)は、SARS-CoV-2でこれまでに知られているスパイクタンパクの変異を解析し、免疫や感染性に及ぼす影響を推定している(24)。これらの情報をもとに、検出した変異やこれから出現するであろう変異の影響についてのデータベースを構築し、すばやく危険なウィルス変異を特定して、封じ込め対策を行ったり、変異配列に合わせて最新のワクチンを準備することができる(24)。


有害変異の蓄積と人類の未来

 最後に、今後の人間の病気の進化について述べてみたい。分子進化の中立説を提唱した木村資生氏は、『生物進化を考える』の最後の章で、有害変異のゲノム上への蓄積の問題を指摘している。「もっと重大なのは、突然変異全体の問題であろう。すなわち、過去には有害だった遺伝子の大多数が医学の進歩により淘汰に中立になり、突然変異圧の下で中立進化を行い集団中に固定するようになる問題である。こういう突然変異蓄積の害を、単に環境の改善や表現型の修理(医療の大部分はこれに属する)、さらに発育の制御といった表面的な対策だけによって解決することは、一時的には可能でも、長期的に見ると不可能で、いろいろ社会的に大きな浪費にもなるだろう」としている(26)。つまり、これまでなら集団中に突然変異で生じても、次第に淘汰されていた有害リスク変異が、医療により中立な変異(有害でも有益でもない変異)となり遺伝的浮動によって頻度を増加させ、固定(集団すべての個体がその変異を持つようになる)する可能性があり、そのようなリスク変異がゲノム中にたくさん蓄積していく危険性があるというわけだ。
 現在、ゲノム編集技術によりDNAの配列を改変することによる遺伝子治療の可能性が考えられている。これらの技術が実際に使われるようになると、多様なヒトの病気の治療に有効になる可能性がある。しかし、これらの技術が使われるのは、次の世代に伝わらない体細胞の遺伝物質を改変するものであり、次世代に伝わる生殖系列(精子や卵子)の遺伝物質ではない(生殖系列のゲノム編集を禁止しようとする議論がある「ヒトの生殖系列のゲノムを編集すべきでない」参照)。仮に、生殖系列のゲノム中のDNA配列を改変したとしても、多数ある有害変異をすべて改変することは難しいと思われる。
 木村資生氏は、このような問題に対して、「社会的判断や評価は保留した上」で「優生学」を有効な考え方として紹介している。「有害な変異を持っている人が子どもを産まないようにしたり、受精卵や胚を発育させない」という消極的優生と「人類にとって好ましいと考えられる形質の増加」をめざす積極的優生を取り上げている。優生学というと「人為選択によって民族の退化を防ぐ」という思想を実行したヒトラーを想起し、議論することも全く否定してしまう人も多いかもしれない。積極的優生に関しては、人類にとって「好ましい」性質を判断することは倫理的にも科学的にも不可能であり、考慮する余地はないと思う。しかし、現在すでに出生前診断により遺伝子疾患がある場合、子どもを産まないという選択が可能である。これは消極的優生がすでに実施されているといえる。現在、出生前診断が可能なのは、染色体異常など限られた遺伝疾患であるが、今後、ゲノム中の有害リスク変異の数や程度を調べることも可能になると思われる。産まれてくる子どもが将来、「ある病気になるリスクがこれくらいです」という情報をもとに生むかどうかを判断するという状況が現実にくるだろう。
 しかし、このような場合でも産むか産まないかは、親の判断によるもので、国や法律で規定すべきものではない。これは個人の問題であって、国家や人類の問題ではない。「有害遺伝子が将来蓄積していくので消極的優生を積極的に取り入れる必要性がある」かどうかという問題は、ヒトの集団(地域集団)や人類全体の集団の存続についての問題である(本来、進化は「種の維持や存続」のために生じることはない:注3)。人類の将来の持続的存続を目標とする施策を考えるなら、個人を犠牲にしないという前提が重要であろう。
 日本人集団やヒト集団のゲノムに有害変異が頻度を増大させ、蓄積していくという問題に限って言えば、ここ数世代で直面する問題ではなく、何千年も先の将来の問題であろう。むしろ、近い将来、地球環境問題など様々な環境の激変により、厳しい淘汰圧に人類がさらされる可能性の方が高いかもしれない。
 

注3. 自然選択は、個体の生存や繁殖に有利な性質を進化させるが、種の維持や存続に有利な性質を進化させることはない。現在の進化学で、この理解はほぼコンセンサスが得られているが、一般の人や生物学の専門家の中にも「種のための進化」という間違った理解をしている人は多い。

引用文献

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26. 木村資生 (1988) 『生物進化を考える』岩波新書.

病気の進化に関する書籍

NHK「病の起源」取材班[編著] (2009)『病の起源』NHK出版
太田博樹・長谷川眞理子[編著] (2013)『ヒトは病気とともに進化した』勁草書房
井村裕夫(2013)『進化医学:人への進化が生んだ疾患』羊土社


進化的視点から人について考える
1. ヒトはいつ出現し、どう進化をたどってきたのか
2. 進化的視点からみる人間の「多様性の意味と尊重」
3. 食生活の変化による脂肪酸代謝の進化:植物性脂肪か動物性脂肪か
4. カリブ諸島のヒトと動物の移入・絶滅の歴史





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