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【エッセイ】独身男性は、姉の結婚式で霧に見舞われた。

花は名前がわからなくても、美しさや香りは伝わってくる。

花が咲いているような明るい家庭は、きっと心地い良いと思う。
鮮やかな色が散りばめられ、いいにおいが広がっている。

それとは対照的に、舗装もされていない土の上でテーブルを囲む家。
粗野な風景は、心の表れか。

我が家に花はあったのだろうか。

母は根は優しいが、口うるさく、特に家の外で間違えることを恥ずかしがる。
本人に自覚はないというが、誤りを指摘する声は甲高く耳障りだ。
父親は口数が少なく口下手で、普段はあまり怒ることはない。
しかし、怒ると無口でそれを表現する。
そして突然、普段の鬱憤を晴らすように大きく怒ることがある。
姉は自分の欲求にまっすぐで、怒りはためらわない。
やりたいことはやろうとして、親しい関係の間ではぶつかることをあまり恐れない。
私は口数が少なく怒ることはあまりない。間違えることを怖がり周囲の状況を観察する。怒りを見せることはないにしても、自分の立てた予定を急に崩されると苛立ちを覚える。

父と母は喧嘩をすることがあった。
口うるさい母が父に怒り、父は無言で何も答えない。
ピリついた雰囲気が家に漂う。
たまに、父が怒りを爆発させて母に怒鳴ると、
母は見えないところに行って泣く。
父は私に母の様子を見に行かせる。
母をかわいそうに思う私は、言われた通りにどうしたの、と慰めに行く。

父が単身赴任になった直後から、
思春期を迎えた姉は毎日のように母と衝突していた。
何が原因かは覚えていない、どちらが悪いのかも覚えていない。

覚えているのは、私は毎度喧嘩が始まる夕食の時は早く食事を終えて、
2階にある自分の部屋に帰っていたこと。
喧嘩が終われば、姉は隣にある自分の部屋に戻ってくる。
そんな時に私が物音を立てれば、隣から壁を思いっきり叩く音が聞こえてくる。
私は音をひそめていた。

私は周囲から消えるようにして、家の調和を保とうとしていた。
家から離れ、自分には関係のないものとして距離をとる。
その前向きではない方策に、効果があったのかはわからない。
今でも父と母は喧嘩をすることはあるが、昔ほどの勢いはない。
そして結局、母と一番仲がいいのは姉だ。

おもしろい物語は好きと言えるが、
家族のことを好きと思ったことはない。

両親が嫌いかもしれない。
姉のことが嫌いかもしれない。
けれど家族に対してそんな感情を持っていることを認めていいのか。
いくらかの葛藤の末、その感情に名前を付けないで放置していた。

しかしある時、
家族への気持ちに折り合いをつけた方がいいのでは、と思い始めた。
何故そう思ったのか、理由は覚えていない。
家族との関係を描いたヒューマンドラマを見たからかもしれない。
家族と仲の良い友達の話を聞いたからかもしれない。
動機は覚えていないが、そう思い始めたのは確かだった。


そんな時に、姉の結婚が決まったと家族LINEに報告があった。
それは別にいい。
ただ出席すればいいだけだ。
だが、翌日に姉から個別でLINEが来た。

式で乾杯の挨拶をやってほしいと。



私に感情が欠如しているわけではない。
友達が結婚すれば、うれしい気持ちが自然とわいてくる。
必ず結婚式に出席したいし、仲間で集まる披露宴も楽しみだ。
結婚の知らせを聞いた日は、いい気分で過ごせるだろう。

しかし、姉の結婚の報告を聞いたときの感情は覚えていない。
何を感じたのか、何を思ったのか。
親にはよかったねと、言った記憶はある。

小さい頃、姉とはよく遊んでいたし、泣かされていたこともある。
思春期前になると、次第に遊ぶことは減っていった。
これらは平凡な記憶かもしれない。

だが、母と衝突する姉の記憶が自分の中に強烈に残っている。
私は消え入るような存在だったのに対して、
姉は己を正面から主張していた。

私は、自分の気持ちに整理をつけたかった。
いま抱いている感情をどう受け入れるのか。
なんという名前なのか。
もう自分は物事を客観的に合理的に考えられる年齢のはずだ。

私は悩むときに首の後ろを触る癖がある。
伸びてきた襟足を触ると、美容院の予約のことが頭をよぎった。
式の前にはさすがに髪を切らないといけない。
スーツもクリーニングに出さないといけない。
お祝い事に履いていけるような、綺麗な靴はあっただろうか。
やることが急に湧いて出てきた。

ここで当初の目的を思い出す。
姉に返事をしなければ。
乾杯の音頭は最初に1分ほど挨拶して、最後に乾杯と言うだけ。
スピーチが苦手ではない私は、それをやること自体にそこまで懸念はなかった。
返事は決まっていた。
しかし、なかなか送信ボタンを押せなかった。
何が気がかりなのか。

結局十分ほど悩んで、私は姉に返信をした。
是非やりますと。



当日は結婚式と写真撮影、そして披露宴。
式自体は大きなものではなく、限られた親族だけで執り行われた。
比較的カジュアルな雰囲気で、式の後は自由に衣装のまま写真を撮っていた。

新郎の家族の印象は、仲がいい、だった。

仲がいい家族を見るのは、生で芸能人を見ている感覚に似ている。
テレビの中だけではなく、実際に存在していることを実感する。
私は、ステレオタイプな家族との温かい絆に憧れている。
自然なふれあいと家族とのつながりを心底喜ぶ笑顔。
ぬくもりが家の中にあって、家そのものが安心感に包まれたものだなんて、想像はできるけど、どんなものかはわからない。
憧れとは、知らないものを知りたい、という欲求でもあると思う。

姉への気持ちがここまで中心ではあったが、
私は両親への気持ちにも整理をつけたかった。

喧嘩をする両親を見ていると、なぜそこまで喧嘩ができるのだろうかと思ってしまう。
喧嘩の原因はわからない。
長年の積み重ねで、ニワトリと卵問題のようなものになっていると思う。
どちらかが歩み寄って、相手を理解しようとすれば済む話だけなのにと思う。

そんな二人を私は嫌いなのだろうか。好きなのだろうか。
親を嫌う。
直接殴られたことがあるわけではない。
そんな親を嫌っていいのか。
かといって好きではない。
結局は、その感情にも名前を付けないで放置してしまっていた。


だが、その不安はすぐになくなった。

小言の癇癪持ちの母は姉の花嫁衣裳姿を見て、ただしきりに褒めていた。
そして、笑顔で新調したスマホのカメラでひたすらシャッターを押す。
感情表現が乏しい父は姉の隣に立ち、普段見せない笑顔で姉を見つめている。口下手は変わらないが、ここ最近の一番の笑顔であることは間違いない。

嫌いな人が喜んでいても、何も思わない。
何かいいことあったんだろうな、とかその程度。
けれど友達が喜んでいると、どうしたのと、こちらも笑顔で聞いてしまう。

私は両親の笑顔を見て喜びを感じた。
喜んでいる姿がうれしかった。
自然と私の表情も笑顔になり、涙がこぼれそうになる。
胸は熱くなり、周りの人たちの笑顔を写真に撮る。

この気持ちは、両親が感じる喜びへの共感か。
それとも、私の長年の気持ちの一部に整理がついたことへのカタルシスなのか。
胸にじんわりと広がる何かを感じる。
笑顔があふれるその場所は心地よい。
私は特定の人ではなく、その心地よい空間そのものを写真に収めようと、
全体を撮るようにシャッターを押し続けた。


冒頭にあったように、披露宴での乾杯の挨拶は大したものではなかった。
式にそれほど人はいなかったので、披露宴にも人は多くない。
自分が話す尺がそれほどあるわけでもない。
大成功と言うわけでもなかったが、可もなく不可もなくといったところだった。

披露宴も中盤になって、新郎新婦から両親へ感謝の花を渡す。
両親は感激する。
母は涙を流し、父は自然と最高の笑顔になる。
その光景を見ていると、さきほど写真撮影の時に感じた、
暖かな気持ちが再度胸の中に広がった。

両親の心は、喜びや愛といった幸せでいっぱいなのだろう。
苦労しながら育ててきた娘がここまで成長した。
まだ子供のいない私には理解できないかもしれないが、
両親の表情からどんなものかは想像できた。
本当に良かったと、心の底から思っていた。

そして私は次に、姉のことを見た。




モザイク。
感情が止まる。
感情がない。
いや、何かはあるはず。
この感情の名前がわからない。

ぼんやりと姉を見る。

この場で感じるべき感情はわかっている。
喜び、愛、信頼……
それなのに湧いてこない。
だったら感情を借りてこないといけない。

私は写真を撮り始めた。
その感情を持っている人たちを探す。
やさしい笑顔、明るい笑顔、泣きながらの笑顔。
この場では、必要な感情を探すのには事欠かなかった。

私は優しい気持ちになった。
喜びや愛を感じた。

しかし、再度姉を見ると、
心には霧がかかり、何も映してくれない。

私は気づいてしまった、姉に対して持つ感情に。
そして、なぜ、空間そのものを写真に収めていたのか。
なぜ、私が周囲の人たちの写真ばかり撮っていたのか。

私は結婚式という場でも、自分という存在を消して調和を保とうとしていた。
今まで私が家の中でやってきたことと同じで、
この空間を、自分が関わるものではないと無意識に考えていた。

少し違うのは、その空間の調和が保たれていることに安心したくて、
笑顔がある空間そのものを写真に収めていたこと。
そして、感じることができない感情を他者から借りて、
この結婚式で持つべき感情として心に貼り付けていた。
周囲に溶け込むための感情を、自前で用意できなかったのだ。

家族と距離があるのはわかっていた。
それは私が作った距離だとは思う。
しかし、その距離が家の中だけではなく、
家族、それら全てに関わる物に対してあるとは思っていなかった。

けれど、父と母に対して抱いた気持ちは本物だ。
それは確信できる。
両親の笑顔を見て感じた、胸のぬくもりは忘れられない。
心から、娘の成長と幸せを喜ぶ姿を見て、私もうれしかった。


残るは姉への感情。

姉の笑顔を見ても、いまだ心に何も映らない。
気のせいか、姉の顔もよく見えない。
よく見えるのは、姉の手にある名前のわからない黄色い花。
やたらに鮮やかな、その花の美しさが目を引く。

あの花の名前はなんだろうか。

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