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はじめまして。お金持ち父さんプロデューサーの森 雅士です。

まだご覧になっていない方はぜひこちらの自己紹介ムービーをどうぞ!

https://youtu.be/dLKR4jEhXfY


私の自己紹介をさせていただきます。まずは簡単な自己紹介をし、詳しい経歴については後述致します。

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略歴


 1982年6月24日広島県広島市生まれ。修道高校卒。2007年、一橋大学卒業後、りそな銀行入社。計300億円以上の不動産融資やプライベートバンク業務に関わる。2016年、株式会社モダンアパートメント入社。投資用のアパート・マンションの仕入・開発・販売・賃貸管理・売買仲介に従事。4年弱で30棟300戸以上の開発に関わり、500戸の賃貸管理責任者を担う。2019年、株式会社エムアールイーパートナーズを設立し、代表取締役就任。2020年4月、独立。2020年7月、会員制オンラインサロン「お金持ち父さんの会」設立。現在会員50名。2022年12月よりTERASSに参画し、不動産エージェントとしての活動もスタート。2023年より、楽天証券とSBI証券のIFA(独立ファイナンシャルアドバイザー)、FP業務をスタート。銀行、建築、不動産の経験を元にした不動産コンサルティング、資産形成のアドバイス、離婚問題のコンサルティングを行っている。数々の失敗を重ねた経験から、失敗しない不動産投資や資産運用のアドバイスに強みがある。
 趣味はプロ野球観戦(カープファン)、音楽鑑賞(ミスチル、backnumber等)、映画鑑賞(レオン、ショーシャンク等)、読書(なんでも)、料理(パスタ中心)、ドライブ(やっぱり海が好き)。最近ゴルフを始めました。バツイチ。前の奥さん1人、今の奥さん1人、子どもは計3人の女の子。

初の著書「離婚する家の買い方~家選びに失敗しないために~」
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2冊目の著書「サラリーマンはワンルーム投資をしてはいけない~不動産投資に失敗しないために~」
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①少年時代


 おばあちゃん子でした。両親が共働きで、平日はともに暮らしていた父方の祖父母に面倒を見てもらっていました。祖母に甘やかされて、温室育ちです。泣き虫で、幼稚園では毎日泣いていました。ただし、祖母は文字を書くことに関してだけは超スパルタで指導されていた(今だったら虐待レベル)。おかげで、小学校の競書大会では6年連続の金賞という偉業(?)を達成。
 田舎のボンボンとして、母方の祖父母からも含め、あまりある愛情を受けて育ちました。
 生粋のカープファン。野球が好きで、小学校ではソフトボールをやるも下手すぎて挫折。一番記憶に残っているのは、引退試合が延長戦になり、サヨナラのチャンスで回ってきた打席で代打を送られたこと(代打がヒットを打ちチームはサヨナラ勝ち)。ちなみにその前の打席ではポテンヒットを打ったので、現役最終打席の公式記録はヒット。あの試合は3位決定戦だったので、勝利優先した結果だから仕方ないよな、、、、とは今だに思っていません。以降、野球は応援と野次専門。

②学生時代


 地元の公立中学校から、私立の進学校に進み、一橋大学商学部に進学しました。現役で合格しましたが、ヨット部の活動、体育会総務委員会という組織の活動、飲み会活動、麻雀活動に勤しみ、無事留年し、5年半の大学生活を送りました。大学に先に入ったのに、卒業は自分の方が後という高校の同級生もいました。9月に卒業しましたが、本来は留年ではなく留学した人向けです。笑。
 ヨットは、大学から始めて、470クラスに乗り、関東インカレ予選でたまにシングルで走れるくらいのレベルには達しました。
 体育会総務委員会では第50代という節目の年に幹事長というリーダー職を務め、体育会の改革をしようとしましたが、抵抗勢力に反対され、あえなく失敗し挫折しました。それでも良い経験になりました。
 
 入社までの半年間はバイトに麻雀に競馬にというフリーター生活を謳歌しました。ちなみに、競馬では独自の投資手法を編み出して、30万円ぐらいはプラスでしたが、毎週末夜中まで一人で競馬新聞とにらめっこするという孤独な戦いに疲れ、辞めました。全く楽しくなかったんですよね。
 大学の専攻はスポーツ産業論。卒論のテーマは「テニスサークルについて」。何故テニサーはこんなにたくさんあるのか?というのをテニスの歴史やその特徴と学生文化の変遷を絡めて論文にしました。個人的には、ガチガチの硬派な体育会も嫌いでしたが(幹事長なのにw)、軟派なテニサーも大嫌いでした。笑。

 就職活動はめちゃくちゃ苦労しました。世の中に必要とされていないのかと自暴自棄にもなりました。大学5年目も一応受けたので、合計30社は落ちたのではないでしょうか。時期的に就職氷河期の終わり頃でまだまだ厳しかったとは記憶してますが、学歴的には結構レアだと思います。唯一、内定もらったのはりそな銀行だけです。しかも5回も面接されました。普通の人は3回なのに。よほど、フラフラしてたのでしょうね。

③銀行員時代初期


 フリーター6ヶ月を経てりそな銀行に無事(?)入社。現役で大学に行ったのに、同級生から2年遅れ。笑。みんな若かった。同期は200人は居たかなと思いますが、仲の良い同期は少なかったです。大勢で集まるのとか苦手なんです。少数のちょっと斜に構えたような癖のある人と仲良かったです。笑。

1年目、東京中央支店という、八重洲にある大規模な支店に配属されて、揉まれました。上司には恵まれ、良い経験をたくさんできました。たくさんお客さんにも怒られましたし、初めて外回りをやって、仕事がって本当第へんだなーと実感した時期です。同じ支店の後輩と結婚しましたが、逆流性食道炎→適応障害→1ヶ月の休職→復帰して結婚式→即異動。夫婦では同じ支店にいられないので、だいたい夫が飛ばされます。長くなるので省略しますが、本当色々ありました・・・。異動のときは泣いてしまいました。笑。

④銀行員時代中盤


 7月半ばという極めて中途半端な時期だったので、支店ではなく一旦、本部に異動となりました。そこで、人生の転機となる、不動産融資に出会いました。この異動がなければ、今の自分は無いです。3ヶ月弱しか居なかったのですが、良き上司にも恵まれ、本当に良い経験でした。

 10月に渋谷支店に新規のプロジェクトチームが出来るということで異動。富裕層の個人取引を開拓するチームです。その名も「富裕層ソリューション推進室」。今はもう存在しないと思いますが、今だに噛みそうです。お客さんに渡す名刺に「富裕層」って書くのもどうなの?って思っていましたが、上が決めたことで、仕方ありません。

4年ほど支店にいました。その間には、子どもが生まれ、別居をし、係争が始まり、と怒涛のプライベートでした。プライベートは辛かったです。これに関しては別途記事にします。

 渋谷支店での仕事に関しては、最初は取引先0からのスタートで、1年弱くらいは鳴かず飛ばず。私含めて3名のチームでしたが、本部の会議資料では、「細々とアパートローンをやっているチーム」で期待外れだったと書かれてました。悔しかったですね。現場の意見としては、富裕層の取引が増えれば何やっても構わないという、何をやるのか定まっていないこともうまくいかない一因だったと思います。そんななか、私は独断で(いつもだいたいそうですが。笑)、銀行なんだから、お金貸してなんぼ!と思い、不動産融資を増やすべく、とにかく、不動産会社や税理士事務所を営業しました。その結果、2年目には、かなりの数字が挙げられるようになりました。私が、渋谷支店に異動した最初のアパートローンの目標は3億円ほどで全支店見渡しても最下位に近い目標でしたが、最後に異動するときの目標は100億円を超えてました。100以上はある全支店で最も目標が高かったです。やればやるほど目標が上がるのが銀行です。最後は正直、どうやって達成するの?と思うぐらいのレベルでした。私ひとりがやったわけでなく、支店の営業全体で努力した結果です。レベルの高い方々に囲まれて、本当に感謝です。ただ、私の後任の方々は大変だったろうなと思います。期待されていないところで、頑張って数字を上げれば、けっこう簡単に評価されますが、すでにありえない高い目標になっているところに来て、目標が達成できなかったらただマイナス評価ですからね。異動の多い銀行の厳しいところです。

⑤銀行員時代末期


 同じ支店に続けて4年以上は居られないので、異動となりました。武蔵村山市にある、村山支店です。東京です。ご存知ない方も多いかも知れません。立川市の北西、多摩の奥地、埼玉県との境にあります。駅の無い市です。立川駅からバスで40分。毎日遠かった・・・。東京に出てきて、15年も経ち、立川市の隣の国立市(くにたちし)にも住んでいたのに知りませんでした。それくらいのマイナーな場所です(武蔵村山市の方々すみません)。都心の支店、本部の経験しかない自分にとっては、カルチャーショックでしたね。左遷でしょうね。プライベートはゴタゴタしてましたし。ただ、普通は、若手の頃は、小規模な支店と大規模な支店を交互に異動したりするので、本来はあり得る話です。私の場合、色々あってイレギュラーな異動をしたため、こうなったのだと、自分を納得させてました。小規模な支店の方が数自体は多いですから、それまでが普通でなかったんだと思うようにしました。お客さんには、何かやらかしたのか?とよく言われましたが。笑。

 仕事はというと、村山支店は色んな意味で地獄でした。最初は暇過ぎて地獄、後半は数字上がらないのに業務過多で地獄。結果、異動して1年半で退職しました。最後の上司は良い人で、その方は転職でりそな銀行に入った方なんですが「転職、頑張ってください!」と応援してくれました。笑。今思えば、あの支店でなければ、辞める決断が出来なかったので、その他の色々あった上司の方々にも感謝しています。
 渋谷支店では多くの先輩方に助けてもらい、励ましてもらい、感謝してもしきれないです。なんとかこの恩を返したいと思い、りそな銀行に骨を埋める覚悟をしたのですが、無理でした。笑。今は、銀行の外に出ても、お世話になった方々に貢献できることはありましたし、辞める決断は間違いではなかったです。

 辞める前から転職活動をしてましたが、なんせ都心が遠く、仕事抜け出して面接を受けるというのが出来ませんでした。有給は、裁判所で消化してしまってましたし。笑。土日に面接を受けた会社等で行けるという感覚は持てました。銀行での地獄の業務量の話をしていたら、他の銀行の方々は、みなさん絶句してました。「うちだったら、もう少し業務少なくて、給料良いと思うよ」と複数の方に言われました。他の会社のことなんて全然知らないですからね。ひとつの会社にずっと居ると、視野は狭くなります。今、勤めている会社が辛い人も外に目を向けてほしいです。きっとより良い環境は有るはずです。

 住宅ローンや養育費も払っていましたが、それ以上に仕事が嫌だったんですよね。とにかく、辞めてから、転職先探しをしました。当時は起業なんて全く頭にありませんでした。やりたいこともないですし、色々あってお金もないですし。笑。

⑥再度のニートからベンチャーへ


 3月に辞めてからは、人生二度目のニートです。毎月給料が入ってこないと、こんなに預金は減っていくのだと実感しました。9年しか働いていないので退職金も大したことなかったですし、計算したら、8月に資金ショートする!となりました。めちゃくちゃ焦りました。なんとか、渋谷支店時代のビジネスパートナーだった会社の社長に拾われました。裁判所へいつ行ってもいい、住むとこ確保してもらえるという破格の条件でした。本当に感謝です。入社は7月21日。ギリギリセーフ。笑。

 入社したのは10名くらいのベンチャー企業でしたが、大阪に本社があり、東京に支店があり、2拠点で業務をしていました。主な事業は、投資用のアパート・マンションの開発、販売、賃貸管理です。人数に対して、やっている業務はめちゃくちゃ幅広くて、正直、奇跡的な会社だと思います。全員がそれぞれの分野でプロでないとなかなか成り立たないと思います。私は、東京で営業という立場で入社しました。

 主な業務は土地の仕入ですね。仕入から販売までを担っていましたが、仕入をしないことには何も始まりません。最初は、ずっとレインズという、不動産業者だけが見れる不動産売買の情報が載っているポータルサイトを毎日見てました。一番最初に仕入れた土地は、5,000万円の土地でしたが、買ってみたら、思った通りのプランが成り立たないと分かり、仕方ないから、そのまま売ってしまおうかという話になりました。尚、銀行融資受けた物件で、これをやると銀行に怒られます。この物件はそうではなかったので、買ってそのままレインズに載せて転売しました。するとなんと1ヶ月も経たず6,500万円で売れました。これもビギナーズラックですね。本当、自分はラッキーだなと思いますね。笑。周りには「こんなことはありえない!」と、めちゃくちゃ言われました。笑。今ではそれはよくわかりますが、当時不動産営業マンとしては完全に素人の私としては、不動産って儲かるなあって思いました。

 そんなこともありながら、たくさんのアパート用地を仕入たり、お客さんに販売したり、充実した日々でした。本当に楽しかったですね。ものづくりの良さを感じてました。銀行の不動産融資業務も好きでしたが、やはり実際に建てる側になると、思いも変わります。何もない土地から、きれいなアパートやマンションが出来、そこに人が住み、という一連の流れは短くても1年くらいはかかるので、色々なことがあって、大変なんですが、その分やりがいも大きかったですね。

 4年弱お世話になったのですが、最終的は、東京支店の責任者も任せてもらいました。マネジメントって大変だなと痛感しました。ベンチャー起業なので、ゼロから採用活動もやりました。部下を採用するのに恥ずかしい写真も撮られました。しかも採用うまく行かず、で単なる黒歴史です。笑。会社の問題は、ほとんど人の問題だなと思いました。世間一般もそうなのかもしれませんが。色々なトラブルにも巻き込まれたり・・・。そんななか独立を決意しました。それに関しては別途記載しています。今でも同社の社長とはビジネスパートナーですし、今でもかなり助けてもらってます。本当に感謝ですね。

⑦独立してから現在まで


 2020年4月1日(東京都の緊急事態宣言前日)に、不動産コンサルタントとして独立しました。7月にはオンラインサロン「お金持ち父さんの会」を設立しました。なかなか直接コンタクトを取ることが難しいことと、動画を録画して、見て頂ければ、いつでもどこでも参加できるので、非常に利便性が高いと思います。私の経験を踏まえて、「不動産投資を成功に導き、経時的自由を獲得してもらう」というのがミッションです。不動産投資だけでなく、副業や投資の話にも広がりを見せています。不動産投資は向き不向きがありますし、良い物件がなければ投資すべきではないです。一方で、金融商品等への投資については、長期分散投資が非常に大事で、いつでも始められるのが良い点です。
 2022年12月より、より初心者から参加可能なオンラインサロン「小金持ちパパへの道」もスタート。同時期に、TERASSの理念に共感し、不動産エージェントとして参画。より業務の幅を広げて、不動産コンサルタントとして活動中。
 
 お金と不動産に関する有益な情報をご提供することを生業としています。不動産業界の変革を通して、最終的な目標は、日本経済の復活です。草の根から取り組んでいきたいと考えています。よろしくお願いします。

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