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DEMILICH唯一のアルバムが30年で神格化された理由: ヘヴィ・メタルと神経多様性

スカンジナビア・メタルといえば、スウェーデンは特許取得済みのメロデス・リフからシュレッドにプログレッシブまで様々な分野のトップランナーで、ノルウェーには凍てつくようなブラックメタルの個性があります。フィンランドは、その両国と比べれば一歩下がった印象があるものの、それでもメタル世界に必要不可欠なものを生み出しています。(Bandcamp Daily の翻訳記事)

DEMILICH のギタリスト、ヴォーカリスト、ソングライターであるアンティ・ボーマンは、なぜフィンランドのバンドが近隣諸国と一線を画しているのかについて持論を展開しています。1990年頃、DEMILICH がヘルシンキの北約250マイルに位置するクオピオで結成されたとき、彼はスウェーデンのバンドの "クラッシュ" する天性の能力を羨ましく思っていました。

「フィンランドの音楽はクソ憂鬱なんだ。僕らは暗闇の中で生きる森の民だから。だからラブソングだって、最愛の人のことを歌っていても、その人が死んでしまったように聞こえるんだ。それは僕らにとって自然なことで、望むと望まざるとにかかわらず、いつも音楽に入ってくる」

ダンジョンズ&ドラゴンズに由来する DEMILICH というバンド名について、ボーマンは "デミリッチ"、"デミリック"、あるいは日によっては語尾をドイツ風の "デミリッヒ" として発音しているといいますが、彼らを際立たせているのは陰鬱な雰囲気だけではありません。

Demigod, Purtenance, Funebre, Convulse, Abhorrence といったフィンランドのバンドは、同国で不朽の名声を得たバンドのほんの一例に過ぎませんが、チャンキーで陰鬱で飾り気のないサウンドを確立していました。一方、DEMILICH は、墓場の彼方からのプログのような脳を苛むような複雑なリフ、宇宙的ホラーをテーマにした歌詞、そして喉の最も暗い奥底から発せられる、このジャンルでこれまでに聴かれたことのないような深く、得体の知れないボーカルなど、奇想天外な要素をが混沌とひしめき合っていました。

この30年間、ボーマンは自身のバンドの唯一のアルバム "Nespithe"(タイトルはボーマンの長年の暗号とパズル好きに従ってスクランブルされた "The Spine" "背骨、脊柱" のアナグラム)の評判が、ニッチな珍品から貴重なアンダーグラウンド・クラシックへと進化するのを見てきました。BLOOD INCATNTATION(2019年にリリースされた "Hidden History of the Human Race" では、ボーマンが言葉を発しないヴォーカルでカメオ出演している)、TOMB MOLD, CHTHE'ILIST(ボーマンが特に好きだと公言しているケベック出身の DEMILICH にインスパイアされたバンド)など、冒険的なデスメタルの新潮流にとって "Nespithe" は重要な試金石となりました。

結成当初は国外でのライヴは1回のみで、"Nespithe" がリリースされる前に解散したバンドが、2005年頃に始まった散発的な再結成活動の中で、アルバムからの曲と "Nespithe" 以前の4つのデモからの選りすぐりのカットを世界中で演奏し、今では大喝采を浴びているのです。
バンドとその少しの曲たちがいまだにファンから好意的に受け入れられていることについて、ボーマンは少し面映いようです。

「私はちょっと、"褒めすぎだよ" というような人間なんだけど、それでももちろんいい気分だよ。私が何をしたにせよ、それは完全に正直なものであり、人々がそれを賞賛するならば、彼らは私の正直さと私の内面を賞賛することになる。でも、フィンランド語のパートは、"ああ、くそっ、恥ずかしい。もうやめたほうがいい" って思うね(笑)」

2014年、フィンランドのスヴァルト・レコーズから "20th Adversary of Emptiness" というタイトルの "Nespithe" とデモ音源の決定的な拡張リマスターがリリースされました。そして、遂に今年は30周年。年月を経るごとに影響力が増す、そんな不思議な作品です。
30年経った今でも、ボーカル、曲名、歌詞、コンセプトなど、DEMILICH を他のデス・メタルと一線を画す要素はたくさんありますが、中でもこの作品のリフは他の誰のものとも違って聞こえます。

「90年代初頭には、他の人のリフを弾こうとしていたし、最初のデモでは、ある種のコピーをしていた。だから1年半でデモから "Nespithe" に変わったことになる。なぜそうなったか?私自身を音楽に投映したかったからだ。それ以外のことをするのはとても難しい。こんな単純なことはできないとか、こんなわかりやすいことはできないとか、音楽の法則に従ったことはできないとか。そうやって、今までとは異なる、何か間違ったことをしなければならなかったんだ。
なぜそうしたのか…そのことをずっと考えていたんだ。自分の脳についてね。特に、1年半前に ADHD の診断を受けてから、自閉スペクトラム症と診断された。でも、それで説明がついたようなものだ。人生で、私はいつも自分のやり方で物事を進めたかったから。靴ひもを結び始めたら、姉が "やり方を見せてあげる" って言うから、"嫌だ!"って。ニューロ・ダイバージェント (神経多様性における少数派) だと、いろいろと面倒なことが起こる。それは祝福でもあり、呪いでもある。でも私にとっては幸運なことに、おかげで人々の心に響くこの音楽を作り上げることができた」

興味深いことに、バーマンはしばしば、音階よりも指板上の視覚的なパターンからリフを生み出すことがあります。
「私はいつも、音楽におけるデザイナーのようなもので、"これはロックだ、グルーヴを保とう" みたいな感じではなかったんだ。私はそれよりも、いじくりまわして実験しようとする。ニューロ・ダイバージェントだから、とてもパターンや幾何学にこだわるというか、私の脳みそがそうだから、それが基礎になって、視覚的なリフ作りを始めたに違いない。そして、もしそれがあまりいい音でなかったら、そこから何か小さな別の道を見つけようとした。地図みたいなものだ。A地点から、未知のB地点を往復して、どうにかA地点に戻る」

もちろん、ボーマンのボーカルもリフと同様に、一度聴いたら忘れられないようなもの。
「最初は不安で、バンドのリーダーになりたくなかったことだけは覚えている。当時は、後ろでひっそりと弾く誰も知らないギターを持った男で、観客を見ながら、自分の音楽を愛してくれていることに浸るような男になりたかった。でもバンドには他に誰もいなかったから、私がやるしかなかった。私はグロウルを出したことがなかったし、マーティン・ヴァン・ドルネン(PESTILENCE)やLG・ペトロフ(ENTOMBED)のような声を出したかった。金切り声の悲鳴を上げるのは気分が良くなかったし、だからなぜか間違った方法で、どうにか音を出してそれに固執してしまった。
喉と耳の外科医の知り合いがいて、私たちのショーを見に来てくれたんだけど、私がどうやってあの声を出したのかわかるかもしれないって言われたんだ。声帯ではなく、喉の下の方にある部分が、空気を抜くことで共鳴させることができるんだ。だから、それが適切な喉の形と組み合わさっているのかもしれない。わからないけど...人に教えようとはしているんだ。ほとんどの人ができるんだけど、それほど強くなくて、長くはできないんだ」

アルバム・タイトルに見られるアナグラムと並んで、DEMILICH のトレードマークのひとつは、長くて凝った曲名です。"神性と不死を得るために肉を吸収していた惑星(望んだ肉で窒息した)" とか、"14個の14次元の16番目の6本歯の息子(まだ名前がない)" などとにかく個性的。
「若い頃は、主に小説をよく読んでいた。アイザック・アシモフからフィリップ・K・ディックまで、SFをね。ダン・シモンズもクールだった。ホラーもたくさん読んだよ。スティーブン・キングやクライヴ・バーカーとか。考えさせられたり、驚かされたりするようなものばかり。
それから、私には野性的な想像力があった。私はアイデアやストーリーを思いつくのが大好きなんだ。それらは、常に何かから始まり、何かで終わる物語で、たいていは陰鬱なものだ。しかし、それは音楽と同じだからね。
曲作りも、まず音楽が始まり、それからすべてを結びつけていく。だから歌詞やテーマについても同じだ。私はいつも最初にストーリーやアイデアを思いつき、それから曲名を考える。最後に歌詞で、これが一番大変だ。
"The Sixteenth Six-Tooth Son" は、ちょっと恥ずかしいんだけど、もちろん IRON MAIDEN の "Seventh Son" から取ったんだけど、もっと変なものにしたかったんだ。それから "The Planet" は、長い曲があったから、本当に長い名前をつけたかった(笑)」

ボーマンが描くスペース・ホラーのシナリオには、感情的な要素が多く含まれます。"The Planet" で彼は "孤独を宣告された静かで見捨てられた惑星" について歌います。
「"The Planet" は、もうすぐ大人になって、自分で自分の面倒を見なければならないと思い始めたから作ったんだ。
そして孤独を感じ始めた。自分の中に好きではないものがあることに気づき始めた。そういうことは以前から知っていたけれど、将来、自分にとってつらいことになることを受け入れたんだ。そして、自分のことを歌にしたんだ。
この惑星のように、ひとりぼっちで、すべてを手に入れたいと望み、そのために息苦しくなる。自分が何を望んでいるのか、本当に悩んだ。目標がなかった。私は将来何になるんだろう?
今でもそうだけど、あらゆることに興味があったし、自分の進むべき道を選ぶのが苦手だった。特に、デスメタル・シーンから脱落しそうになって、自分の興味がとても薄れていったときは、まるで自分が一人で宇宙の中にいるようだった」

その言葉通り、DEMILICH が解散したとき、ボーマンはシーンから完全に距離を置きました。"Nespithe" にカルト的なファン層ができ始めていることに気づいたのはいつだったのでしょうか?
「93年に活動を停止したとき、私はすべてを止めた。当時はまだインターネットが普及していなかったから、何が起こったのかわからなかった。だから、連絡先も何もかも捨てた。仕事、家族、住宅ローン、そして人々が期待する "クール" なものを手に入れようとね(笑)。そこではかなり苦労した。
そんなとき、オープンした地元のメタル・バーがあった。ある日、興味をそそられて行ってみると、そこには私より若い人たちがいて、私はもう年寄りだった。そしてバーの真上には、"Nespithe" のプロモ写真が飾ってあった。これは98年のものだった。それで、"なんだこれは?" とそこのオーナーと話したら、"ああ、君は DEMILICH の人だね!ここのキッズはよく君の曲を聴いているよ" って。そのときから気づき始めて、いろいろな評判を聞いたり追いかけたりするようになって、"そうか、実は忘れられているんじゃなくて、その逆なんだ" って思ったんだ。やっと何が起こっているのかを理解し始めていた」

近年、バンドに対する評価はますます高まっているようです。昨年のメリーランド・デス・フェストでセットの後、大勢の人がグッズや写真を求めて列を作っていました。
「特に今は、"Nespithe" をもっと誇りに思うことができる。というのも、このアルバムがリリースされたとき、私たちはすでにバンドをやめていて、私は DEMILICH の全てが恥ずかしかったんだ。ちょっと聴いただけで、"今の私だったらもっと違うやり方ができたのに" って。全然誇りに思えなかった。それから少しずつ、いい意味で誇りに思えるようになった。"よし、私たちはまだ人々に必要とされている" ってね。そして、その誇りは、2、3年ごとに "よし、また大きくなったぞ" と思えるようになり、ずっと高まってきた。
でもやっぱりまだ不安だよ。というのも、いつか人々が "Nespithe" がそれほどテクニカルでもなく、複雑でもないことに気づいて、"ああ、しまった、私たちは騙されていたんだ" と気づき、聴くのをやめてしまうかもしれないという予感がどこかにあるからね。でも、そうはならないだろう。もちろん、"OK、私たちは30年前のこのアルバムに便乗して、ギグをやって、世界中を旅しているんだ" という感じもある。そしてそれは、私が若い頃、他の大御所バンドについて嫌っていたことだから、今でも時々辛いことがあるんだよね。
まあでも、特に最近は、ライブの間中、みんなが笑顔でいるのを見ることがある。私たちを見てこんなに喜んでくれているのなら、自分も幸せになればいいんだとも思うよ」

ボーマンはよくステージから "唯一のアルバム" の曲を演奏するという冗談を言いますが、それはほとんど DEMILICH のトレードマークになっています。その冗談が使えなくなる日は来るのでしょうか?
「少なくとも今、新曲が4曲はあるだろうね。もう49歳になるんだ。でも、4曲の準備はできている。最終調整段階で、時間がかかっている。でも、今はそれに集中して、プランもリフもある。セカンド・アルバムのコンセプトは全部できている。まあ、何も約束はできないけどね」


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