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【エッセイ】第三項として生きる。_完成された世界のなかで、私は如何にして政策科学をするのか。

エッセイです。

誕生日ってわけでもないのに、ふと書きたくなったので書きます。

  1. 僕の個人的なメンタルの話をしたうえで、

  2. そこにある疑問を提示し、

  3. 関係する人類の一般理論を示して、

  4. 僕の人生にこれを適用し、

  5. 演繹して疑問に説明をつけます。

  6. そこでいきなり「政策科学」についての考察を示して、

  7. 僕が如何にして政策科学するのかを説明します。

ちょっとしたオートエスノグラフィの取り組みなのかもしれません。

くそ長いですがぜひ最後まで読んでみてください。
どんでん返しもあるかも?


|1. ぼんやりとした不安


このまえネトフリで「太宰治と3人の女たち」を観まして。

そりゃ、もちろん、あくまでフィクションだなあ、という感想ではあるのですが、フィクションはフィクションとしてやはり面白くてですね。なかでも僕が気に入ったのは、青年三島由紀夫が太宰に迫るシーンでした。

「やたらと死を匂わせる弱々しい文学」
「あなたは文学を見世物小屋の興行にしてしまった」
「皆あなたがどうくたばるかにしか興味をもちません」
「何を書いたって誰も本当には理解しない。それがわかってて、何のために書くんですか」

史実(?)では基本的にこのエピソードは太宰に三島が「笑ってたしなめられた」というふうなたてつけで語られがちですけれども、このシーンでは、太宰の置かれている構造の歪さを浮き彫りにするクリティカルな衝撃として利用されているわけです。

さて、ひるがえって僕はどうなんだろうと。

去年の秋、僕は「走れオレ」という私小説を投稿しましたね。

ありがたいことに大変好評で、一端の大学の文芸サークルのnoteとしては多い「スキ」数を稼いでいます。20ですよ、20。えぐい。

しかしこれも、あるいはこれ以外の僕のエッセイはほぼ全て、また、三島が(映画の中の演出ですが)指摘したような「やたらと死を匂わせる」ような演出をしているなあ、と省みるところ大なんです。これまで僕が書いてきたエッセイをならべて構成を分析すると、こんなふうになります。

9月1日、19歳の回転
1. 年齢論を語って、生に抵抗するようなそぶり
 ▶︎「死を匂わせ」ている!
 デスポイント50点!
2. 16歳の自分と19歳の自分とを露骨に比較
3. 「野心」が共通していることを強調
4. 「ふっきれた」ふうな語りくちで終了

#カンザキイオリ非公式誕生祭 をふりかえって
 
▶︎そもそもカンザキイオリの話してる!
 デスポイント100点!
1. 身体的な疲れと、ふとした邂逅による悩み
2. 演出された「自然」との鮮烈な出会い
3. それに触発されて、悩みが解消される

19歳の終点
1. 遺書からの抜粋
 ▶︎遺書!?
 デスポイント500点満点!!!
2. 高野悦子を読んだって話
 ▶︎高野悦子!?!?
 デスポイント500点満点!!!
3. 19歳でやってきたことの総括
4. 高野悦子とは違う20歳を生きると決意
5. 20歳になる直前、屋上に出て、生を「選択」する。
 ▶︎「生」以外の選択肢って何なんすかねえ?
 デスポイント50点。

|合計
 50+100+500+500+50
 =デスポイント1200点!!!

あかんこいつメンヘラすぎる。

いやはや、じゅうぶんに「やたらと死を匂わせて」いると言えるのではないでしょうか。流石に20歳になりたくなさすぎたっすねえ。

じゃあ、みんな僕がどうくたばるのかにしか興味がないのかなあ。

なんてことを考えるわけです。そんな不服なことはないです。

|2. 鈍色の研究


僕は詐欺師なんじゃないか、っていう感覚が2年くらい前からずっとあります。

僕には強い意志があります。なにかを見て、なにかをやりたいと思ってしまうと、もうそれをやってしまいたくてたまらなくなります。そして、実際にやります。ひとりでやれることだったらやるし、誰かと一緒にやらなきゃいけなかったら、なにがしか、ていのいいキッカケを見つけて、声をかけます。とびきり作り込んだ企画書を書いてぶん投げます。

そして、たぶん僕には演出力があります。僕の偏りきった能力の、いいところだけを切り取って、慎重に組み立てたナラティブを添えて、相手に突きつけます。すると、ひとまず「なんだか凄いやつだ」という認知は獲得することができます。それを踏み台にして協力をとりつけます。僕は人から何らかの投資を受けることができます。僕の「やりたい」に、他人様を巻き込んでしまうのです。

しかし、僕はそれで、成功したり失敗したりします。

成功するときは、それは快感です。身近な人々から称賛されて、承認されて、もっと、もっと凄いことをしたい、ってなります。

いっぽう僕は、同じだけか、それ以上に失敗もします。それは大抵、しょうもない理由です。僕は肉体もメンタルも弱いんですね。遅刻してしまったり、体調を崩して欠席したくない用事に欠席してしまったりします。提出期限が、あまり守れません。一日中、何もできなくて、ずるずると沈んでいってしまう日があります。単位が取れません。そのくせ、「弱いから仕方ないよね」というふうに開き直ったり、受け入れてくれない周りに責任転嫁をすることもできません。だって僕が背負っている責任の大半は、僕が「やりたい」っつって自ら背負ったことなんですから。僕の失敗の責任は僕がとるしかありません。

そうして小さな失敗をするたびに、僕に裏切られたひとびとが、僕を見限って行くのを想像します。きっとそれは単なる想像ではなくて、やはり端的な事実でもあるのでしょう。みんな優しいから、直接は言ってこないだけなんです。本当はみんな、あいつ、口先だけ大仰なことを言いやがって、って内心思っているに決まっているんです。

突き抜けて優しいひとは、そうなってしまいそうだという状況そのものをメタ認知して、きちんと僕に忠告してくれたりなんかもします。しかしそれは、そういうひとが、その優しさの実行を裏打ちできるほどのべらぼうな実力を持っているからこそです。みんなにみんなそんな優しさを期待するのは高望みです。ふつう、ディスコミュニケーションによる停滞的平穏を選択するのが当然なんです。斯くしてこの世界は、言語化されない暗黙の裏切りと憎しみによって、水面下を満たされています。ある瞬間には、僕は、その水面下の裏切りと憎しみだけが燦々と視野に広がる夜の絶海の薄氷に取り残されて、たった独りでいるかの如き気持ちになります。ええ、視野が狭いんですね。

僕は詐欺師なんじゃないか、という感覚がずっとあります。夜、そんな薄氷の上にうずくまって頭を冷ましていると、そう思わされるんです。僕には「成功させる実力」があるが、同時に「失敗する弱さ」もある——それはつまり、実行力が結局は不完全、ということじゃないですか。なのに、僕は必死に自分を演出して、自分がやりたいことのために他人様から投資を募って、実際に投資されて、あげく失敗してしまったりする。そんなの端的な詐欺じゃないですか。もう嫌だ、破滅させてくれ! と薄氷を殴っても、非力な僕の腕力では割れてくれないし、助けてくれ! と海に叫んでも、海上保安庁の船は現れません。じゃあいっそ逮捕してくれよ! と夜空に叫んでも、取り締まってくれるはずのお天道様はそこには居ないんですね。

しかし、同時に僕にはどうしようもなく前向きなところもあって、なんだかんだ、生きたがるんです。僕はようよう、薄氷のうえを歩き出します。内心、しめしめ、なんて思いながら。

ここ3ヶ月ほど、自分が如何に変な人間なのかということを急速に自覚していっています。

それまで僕はなんとなく、「僕は人とは違うんだよね〜」みたいな語りくちにはなんだか、自虐に見せかけた自画自賛というか、「個性アピール」というか、そんなきらいを感じていたから、斯くも自分を掲揚したくはないなと思って、あまり自分のことを変人だと公言したり、自認したりすることにはブレーキをかけていました。しかし最近、どうやら変人であるということは、個性アピールがどうだとかっていう以前にふつうにマイナスポイントなのではないか、ということがわかってきてしまって、ほな、自分の欠点は素直に認めるほかないなあ、という気持ちになっています。そうなったが最後。どんどん、僕の変なところが高解像度で見えてきて、メタ認知が進んで、こいつ、すぎる、となります。顔が変服が変頭が変体が変声が変心が変思想が変視野が変行動が変恋の仕方が変喧嘩の仕方が変会話の仕方が変文章が変環境が変で、で、変づくしで、僕には最早ニンゲンと同じ部分なんて細胞のひとつも無いんじゃないかという感覚になります。

なんなんでしょうねこいつは。ミステリーですよこれは。

どうしてこんなに歪な人間が出来上がってしまったんでしょうね。親に愛され、経済的にも恵まれ、文化資本に囲まれて育って……。こんなにも恵まれた環境にいるというのに、ひとりで僕が身勝手に歪んでいます。僕は釈明を迫られています。「おまえは、どうしてそんなふうになってしまったんだ」と。僕という存在は、それそのものが、過去数多の他人様から莫大な投資を受けてきた大資本です。だから、説明責任を問われます。僕は、僕の鈍色のナラティブを、紐解き、示さなければなりません。

|3. 第三項はみんなに嫌われている。


そもそも「変」ってのはどういうことなんでしょう。
「変」とは何か、を考えるなら、変じゃない存在、つまり人類一般のことを考えりゃいいわけですね。

いちいちがっつり説明していたらえらい長さになってしまいますから、ここから先はめっちゃ端折って書いていきます。思想フルスロットルです。誰もついてこなくていいです。

生命とはエントロピーを増大させゆく(不均衡を均衡に限りなく近づけていく)宇宙の原理にささやかに抵抗するエントロピー的な小島(「不均衡さ」のはかなげなアジール)をいうのであって、その維持のために私たちはエネルギーの交換という営みを続けているわけですが、そうした生命の多様な種なかで人類が特殊なのは、そのエネルギーを仮想のものにした状態で交換できることです。集団幻想によって存在させられる、社会的価値という仮想のエネルギーをやりくりすることで、エネルギーをかしこく活用しています。なおそんな仮想エネルギーをある所(capital)に集積して発散することにまつわる営みを政治といいます。

そんな人類さん、集団を形成していらっしゃいます。人類の個体は、集団によって、自分が秘めている社会的価値について高く評価されている必要があります。そうでなければ社会的価値の交換に参加できず、エネルギーにありつけないからです。承認欲求と自己顕示欲は人類の当然の本能です。その本能は、「私はこの共同体に所属している」と判定された共同体そのものに対して発揮されます。その共同体は、家族だったり、集落だったり、学校だったりします。近代以降は国家だったり、現代以降は人類全体だったりするし、ある場合には、ある2人が2人きりで形成する世界だったりします。

集団幻想によって集団を形成したり社会的価値を捏造したりするためには、ある個別具体的な事例から一般理論をひねり出して、説得力あるものにして、次の行動を示唆するような体系を作らなければいけません。これは近代以降は科学およびイデオロギーの領分で、再現性とかそういう方法に依存していたわけですが、それ以前から現在に至るまで、主にその役割を担っているのはナラティブです。ナラティブとは、ある主体「S」があるイベントによって「S'」に変化した、という物語のことです。これは「本当にその変化はそのイベントによるものだったのか?」とかそういうヤボな疑問を乱暴に切り捨てて、複雑で偶然で無意味な現実をスパッと整理し、理解を容易くしてしまえる、非常に強力な事情説明テンプレートです。そして「Sがイベント「E」によってS'になったのなら、OEによってO'になるのではないか?」という一般化を引き起こします。「SS'になってしまったのはEのせいなのだから、私たちAA'になってしまわないようにEの逆をしよう」という教訓をはらみます[注1]。神話だったり、寓話だったり、そういったものはこのカラクリで私たちの文化を形成してきたし、現代のエンタメも、このカラクリによって私たちに楽しさをもたらしています。

そんなナラティブによって人類は集団を形成します。今、世界にはさまざまな集団が存在しているわけですが、その集団を形成しているナラティブに共通することは何でしょう? それは「ある共通敵を排除したという記憶」である、という学説があります[注2]。つまり、「わたしたちは、ある敵をともに排除した同胞である」というナラティブであり、「わたしたちは、わたしたちが排除したあの敵が、わたしたちに復讐しに来るのに備えなければいけない」という意味付けです。そうしたナラティブがさまざまな形で浮き出て現れるのが建国神話だといいます。たとえばインドネシアは、言語や血縁や宗教はあまりにも多様であるにも関わらず、インドネシア人というひとつの民族を形成したと主張し、インドネシアというひとつの国家を運営しています。それは、彼らが「植民地支配をしていたオランダ」という共通敵を「われわれの手で排除した」というナラティブを共有していて、それに基づくナショナリズム——現代の「建国神話」——を抱えているからです。

私たちの共同体の根底にあるのがそんなナラティブであるから、私たちの共同体のなかで流行するほとんどの物語にはその影響が現れます。わたしたちは、たとえナショナリズムから距離を置いていたとしても、集団生活をしている以上は、知らず知らずのうちに「わたしたちは共通敵を撃ち倒すことで団結するのだ[注3]というナラティブを共有してしまいます。だから、いじめが発生します。

学説では、そんな共通敵のことを「第三項」といいます。

第三項は、みんなに嫌われているんです。

タイトル回収!

|4. 第三項として生きる。


僕は物心ついた時からずっと、自分自身のことを第三項だと考えて生きてきたのだと思います。

僕は日本は東京の、国立のあたりで生まれたんですが、1歳から3歳まで親の都合でイギリスに住んでて、記憶はもうないんですけど、ほとんど英語を喋ってたらしいんですよね。僕の記憶が始まるのは、幼稚園の年少さんだった頃からです。その頃の僕は既に日本語を喋っていたんですが、なぜか、あるひとりのハーフの女の子と妙に仲がよく、かつ、場面緘黙症でした。当時はその理由など考えもしませんでしたが、今では見当がつきます。さしずめ、その子とだけ、英語で会話できたんでしょう。そのほかの奴らとはそもそも言語が違うせいで会話ができなかったはずです。マジで覚えてないですけど、当時の僕が被っていた疎外感って、どれほど大きかったんでしょうね。

年中になると一気におしゃべりになりました。うざったいほどに。これは今の僕もよく覚えています。僕はなにか大きな変更をするとき、必ず、そのための「きっかけ」をこじつけたがるんです。「年中に上がったらみんなとおしゃべりする」というふうに大人たちと約束をとりつけて、実際に、年中になるとケロッと話すようになりました。こうすれば、どうしてそれまで喋っていなかったのかとか、どうして今更しゃべるようになったのかとか、そういうことをいちいち説明させられる(理不尽な)責任から逃れられるわけです。これ、典型的なナラティブですよね。ある主体、「場面緘黙である僕」という「S」が、進級するというイベントによって、「おしゃべりである僕」という「S'」に変化したというナラティブです。それが非常に有用なのだと、当時の僕は、当時の僕なりに理解して強かに利用していたわけです。

その頃から僕は周りの大人たちから、賢いだとかなんだとかと囃し立てられるようになりました。恐竜にまつわるコンテンツを掠れるほど観たり、雑誌「子供の科学」を購読し始めたり、落語を覚えて実際に披露したりと、いろいろとやっているうちに、変な知識だけなんかたくさんある人間になりました。すると、自分が仕入れた知識が自分以外の人間によって先に披露されてしまうという状況が我慢ならなくなってくるんですね。なぜならそれは「本来なら共同体のなかで発揮されるはずだった僕自身の社会的価値が、発揮できなくなってしまう瞬間」だからです。すると僕は、他人に先を越されまいと、仕入れた知識をすぐさま披露してまわる、非常にうざったらしい、ゲロきしょウンチクくそ野郎と化しました。「ひょっこりひょうたん島」の「ハカセ」に喩えられるような感じ(もちろん皮肉)でした。ダーウィンが来たを見て、地球ドラマチックを見て、すいえんさーを見て、大科学実験を見て、翌日には小学校の同級生にその話をべらべらと語るわけです。うっすら「ぼくはかしこい」という内心が見え隠れする顔で。うざったらしいったらありゃしないですね。

それ以外にも、生来、僕には周りと違う部分がいくつかありました。離乳食のころから極度の偏食で——きっとそのせいで消化のために必要な何かが十分に発達しなかったのでしょう——、極端にやせていて、なんか知らんけど目が悪くて、ナラティブや共同体の社会構造に過度に敏感で、そのせいか、自分を守るために極端に意固地になることが多くて……などなど。そうすると、給食はいつまでも残すし、体育はろくなことにならんし、メガネだとかいうクソださナンセンス変てこアイテムが手放せないし、何か納得できないことがあると、周りに合わせてテキトーこくこともできず、しかし声を上げる勇気もないから治ったはずの緘黙が復活するし、自分を適度に曲げて、かしこく人生をやりすごすことなんか到底できそうになくて絶望するし……と、そんなぐあいの状態で今日までよろしくやっています。

小4のころ大阪に引っ越したんですが、このとき、強烈な抵抗感を覚えていました。これは東京の国分寺の実家に異常なまでの愛着を持っていたからだと記憶していますが、それはつまり、これまで所属していた共同体が破壊され、あたらしい共同体に所属しなければならなくなることに対する恐れだったのでしょう。自分が如何に現状に依存しているのかをよくわかっていたわけです。実際、その感覚は正しくて、小4のときに新しくできた友人関係は小5で破滅し、いじめの構造をもって、小6で僕は不登校になりました。ある日、その集団のリーダー格の子が僕の家に尋ねてきました。父はどういうわけかその子を家にあげ、僕と対話させました。その子は、要するに「どっちもどっちだったろ」というふうに言って、形上「ごめんなさい」して、僕にも謝罪を要求して居座りました。そのあとどうしたのかは正直覚えてないです[注4]。けっこう本気で僕以外の全部が怖くなっちゃいました。ぶっちゃけ、世界を憎みました。

僕以外の全部にとって、僕とは、いうことをきかない面倒な存在なのだ。

僕以外の全部にとって、僕とは、邪魔者なのだ。

僕以外の全部にとって、僕とは、話の通じないKYなのだ。

僕以外の全部にとって、僕とは、共通の敵なのだ。

僕は第三項だ、という意識を、この頃にもなると僕は強烈に内在化していたと思います。積み重ねられた疎外感によってです。僕は周りとなんだか違っていて、僕は、僕がただそこに存在していること、それのみによって、みんなに迷惑がられているじゃないか、という気づきの連続によってです。その気づきは、静かな気づきだったり、激しいわからせだったりして、僕にとって最も激しかったのが、そのいじめの体験だった、というだけのこと。僕の人生は、徹頭徹尾、第三項である僕を自覚することの積み重ねでした。

|5. 走るオレ


その後の僕の人生は、だいたい、私小説の「走れオレ」に書いたような感じです。

そんな人生が僕に与えた影響は、なにも「自分は第三項である」という意識だけではありません。

常に共同体からの疎外感を感じている僕は、常に人類としての危険信号を鳴らされ続けている状態だったわけです。だから、僕の承認欲求は極端なまでに増大化しました。僕の共同体にしがみついていたいという欲求は強化されて、共同体の恐ろしさから離れたいという欲求とアンビバレントな均衡を形成しました。だからこそ、僕はTwitter依存の典型例になったし、「表現」に昔から強い関心を抱いてきたし、「自分をよくみせる」技術も鍛え続けてきたし、人対人のコミュニケーションの僕なりのやりかたを洗練させてきたつもりです。

そんな僕を前にして、周りの大人たちは口々に「すごいね」と言いました。たとえば小3のあるとき近所のスーパーで「このかぼちゃの重さをあてられたらお菓子をプレゼント」という企画をやっていました。僕はそのかぼちゃの直径を測り、似たようなかぼちゃの切り身の商品を購入して、切り身の重量を計りました。切り身の体積で切り身の重量を割って、かぼちゃ1立方センチメートルあたりの重量を計算し、その数値をお題のかぼちゃの体積で掛けると10kgと出ました。記憶はそこまでで、そのあとどうなったかは覚えていません。特にどうもならなかったはずなので、たぶん不正解だったんでしょう。しかしそのエピソードを知ると、大人たちは僕を褒めます。

なぜでしょう。やっていることそのものは大したことはなくて、大人たちが普段やっていることの足元にも及ばないはずです。なのになぜ大人たちは僕を褒めてしまうのか。それは僕が子供だからですよね。ではなぜ子供がやった些細なことは大人から褒められるのか。それは、「その年齢の時点でここまでのことができるということは、大人になったらもっとすごいことができるはずだ」という目算があるからです。大人たちは、その時の子供の行いに直接価値を支払っているのではなく、将来発生するであろう価値ある行動のために投資をしているのです。すると、それって、僕が順当に成長し続けることが前提じゃないですか。だから、僕が賞賛を裏切らないためには、僕が成長を続けなければいけないんだ……ということにずっと気づいていたと思います。

そんな世界観を明確に言語化できたのは中3くらいの話です。その頃、僕は不登校から脱却し、ふたたび人生を進めていこうとしていました。だから、僕は常に行動し続けました。僕は僕自身の怠惰さも知っていたから、僕が何かをするためには、その「やりたいこと」を「事業」化する必要があるということも、この頃になるといい加減に自覚していました。すると、僕という個人とはさながら法人であり企業です。僕という資本体系を成長させ続けなければならないという感覚は、僕をとりまく社会的価値によって形成される仮想的資本主義の構造によって後押しされて、とめどなくなっていきました。

それが顕著に現れるのが、僕が共同体のなかで価値を発揮しようとしている瞬間であるのはいうまでもありません。第三項として、常にうっすらと疎外感を感じ続けていて、自分の価値を承認されたいと思い続けているわけですから、その価値を証明できる機会とあれば飛びついてしまいます。そんな意欲を最も強烈に発揮できるのは、自分で新しく共同体を作るときです。僕は第三項ですから、すでに存在する共同体のなかでは必要とされないどころかむしろ排除されていきます。だったら自分の存在がはなから必要な共同体に所属すればよくて、それを実現するもっとも急進的な手段が、自分で新しく共同体を作り出すことでした[注5]。底なしで終わりのない寂しさを唯一紛らわせる方法がそれだというわけです。そうして僕が作ったサークルである、総合表現サークル“P.Name”は、しめしめ、今や大成功を納めております。

走り続けるオレの爆誕です。

さて。この文章は「なぜ僕がこんな人間——詐欺師のような生活様式の人間——になってしまったのか」という問いからはじまりました。ここでいう「詐欺師」とは、

  1. 異常なまでの「やりたいこと」の強さ

  2. それに投資させてしまう表現力

  3. しかし失敗しがちな弱さ

の3つが同時に強烈に存在していることによる矛盾のたとえでした。その全てが、ここまでに書いてきた文章によってわかります。「やりたいこと」が異常に強いのも、投資を誘う説得力に長けているのも、しょうもない失敗をしてしまうほど心身ともに脆弱なのも、元を辿ればすべて、僕が第三項だったからであるということができます。第三項であるということは、1)自己および環境を形成したいという意欲を強迫観念じみたものにし、2)承認欲求を死活問題にし、3)メンタルとフィジカルを破壊した……

というのが、僕が「詐欺師」などというような自意識を持つに至った所以である、と、本稿では主張します。

|6. 完成された世界のなかで、


この共同体って実は僕なんか居ない方が完成されていて、僕という異物が混じり込むことで、完成されるはずだった共同体を不完全なものにしてしまっているんじゃないか」

「この共同体にとって、僕は邪魔で無意味で存在価値が無いんじゃないか

などと思わされる出来事が、ここ半年くらいで頻発しておりまして。

疎外感は物心ついてからずっと感じ続けていたわけですが、明確に、共同体にとって僕は敵なのではないか、だなんてことを思ったのはなかなか久しぶりでした。共同体にとっての共通敵であり、その敵が存在しないことによってその共同体は完成される——そう、第三項ですね。最近とっている「メディアと現代文化」という授業で第三項排除論を聞かされたとき、これだ! と、ビビッときてしまったわけです。

実はちょっとそれ以外にも、大学とかと全然関係ないプライベートの人間関係のほうで最近一個やらかしがあって、そのせいで、もはや僕は本当に、一般的な人間には戻れなくなってしまった、完全に別種の存在になってしまったのだなあ、なんていう絶望を感じていました。それも相まって、ここまでこのnoteで書いているような理論が頭の中で急速にまとまってしまったから居ても立ってもおられずこれを執筆しています。

話、変わるんですけど。

政策科学って何でしょう

僕は立命館大学の政策科学部という学部に通っているんですが、この政策科学とやら、なかなか実態が掴みづらい学問です。

政策科学部が設立されたのは、バブル崩壊後、全国的に政策系学部の新設がブームになった時だそうで。やはり本学はミーハーを極めた自由清新の矜持栄える大学だなあ、などと思うのですが、そのブームの本旨を語らせると大学は「ただ経済的成長を追求していればよかった時代が終焉し、社会の目標があやふやになった時世、次世代の政策立案を担う人材が求められていた」といいます。

それってつまりは、
S:日本社会は、富めばそれでよかった
E:バブルがはじけた
S':日本社会は、目的を見失い、未完成状態になった
というS→S'のナラティブが、社会全体で共有されていたわけじゃないですか。

しかし今はどうですか。今の社会って、けっこう完成されていませんか?

別の言い方をします。今の社会がどのように未完成であるのかということについてのナラティブは、はたして当時ほど広く共有されていますか?

いませんよね。

実際のところ、社会は未完成で、さまざまな課題を抱えています。しかし、さまざまな課題なのです。なにかわかりやすい大きな一つのイベントによって多くの問題が発生しているというナラティブが共有されているわけではなく、さまざまに解決するべき課題がとっ散らかっていて、だから、広く同じ課題認識を共有することが難しい状況なのです。

社会が政治に高い関心を抱いた時代というのは、なべて、ある社会全体を巻き込んだ大イベントに起因していると思いませんか?

——1950年代
S:敗戦国日本人の社会的・政治的没落
E:朝鮮戦争
S':旧左翼系学生運動(学生服着て戦うタイプ)

——1960年代
S:高度経済成長にいる日本人
E1:安保改定
E2:北爆(ベトナム戦争へのアメリカ本格参戦)
S':新左翼系学生運動(私服でバリケード作るタイプ)

その後、しばらく政治運動は下火になり、
(もちろんさまざまに論壇は盛り上がっていたわけですが、学生運動の時代ほどの苛烈さは持たなかったでしょう)

——1990年代
S:成長さえすればいい日本人(モーレツ)
E:バブル崩壊
S':現実に向き合い始めた日本人政策系学部新設ブーム

と続きます。

その後、これらに似た盛り上がりが最後にあったのは2015年のSEALsでしょうが、そのきっかけにあたる「イベント」は「特定秘密保護法の成立」で、隣国の戦争や経済危機と比べれば、さして社会全体に共有されたイベントというわけでもなかったから、かつてほどの勢いには至らず、激しいバックラッシュに見舞われた、というふうに言えるでしょう。

そんな「大きなイベントではあったけれども、流石に戦争や経済危機レベルではなかったから同じレベルの政治的潮流を誘うには至らなかった」というような出来事は多々ありますよね。酒鬼薔薇事件とか、キレる17歳とか。

1970年代〜1980年代の「空白期間」には新自由主義の台頭などがあるわけですが、これは確かに社会全体を巻き込むイベントではあるものの、当時からしてわかりやすくイベントだというよりは「後世から歴史を振り返るとイベントであるように見える」という代物ですから、長く、しかし細く現在にまで影響するに留まっていて、爆発的な力にはなりません。

グローバルな視点では、9.11というバッドイベントと、テロとの戦争の激化がやはり大きいわけですが、日本社会というミクロのナラティブにはなり切っていない印象です。

似た例だと、最近、アメリカでは、ガザに連帯する学生たちの運動が活発になっていますよね。1968年の再来だなんてまことしやかに言われます。あれは、政治活動家の外山恒一が「もはや世界は全部アメリカなのだ」と皮肉ったとおり、アメリカの学生たちにとって、パレスチナで起きている惨事は、アメリカ社会にもまた共有された「イベント」だから、1968年の再来たり得ているのだと思います。日本の学生にとって、朝鮮戦争やベトナム戦争は、経済的に深い繋がりがある地域の、地理的に隣国レベルの地域の、自分たちの社会と関係があり、自分たちの社会に責任があるイベントでした。それと同様に、アメリカの学生にとってパレスチナの人道危機は、政治的に深い繋がりがある国家であり、実質的に隣国レベルの地域の、自分たちの社会と関係があり、自分たちの社会に責任があるイベントなのです。しかし今日のパレスチナの状況は、日本にとってはそうではない、または、そうであることに多くの日本人は自覚的ではない。だから日本ではアメリカほどには、ガザに連帯するような動きが広まりません。勿論これはもっと複雑な話ですから一概には言えませんけれども、大筋はそういうことだと思っています。

今日、政策科学部に通っていると、この「イベント」の代替たることにリーチをかけているように感じるのは環境問題です。SDGs関連クリシェは社会に大流行していますね。けれども、環境問題に対して私たちが抱いている意識は、はたして「イベント」的かというと、必ずしもそうではありません。環境問題は、実感しづらく、象徴的かつ瞬発的なきっかけを持たず(それは産業革命でしょうが、産業革命を私たちはリアルタイムで体感できません)、じわじわと差し迫る危機です。要は「我々の社会って実は持続不可能なんじゃないか、って最近気づき始めたんだよね〜」とふれ回っているに過ぎないわけですから、「大きな課題なのはわかるけど、「イベント」としては印象が弱い」という受け止めになるのは道理です。だから微弱な改善主義に回収されて、政治的潮流にはなり切りません。だから環境問題って、あんまり政治っぽくないんです。むしろ環境問題の諸運動に対するバックラッシュの方がより政治的ですよね。

今日、戦争や経済危機に替わってこの「イベント」の役割を担い得るのは、間違いなくコロナ禍でしょう。しかしコロナ禍は、コミュニティの崩壊という、参画意識への楔もまた打ち込みました。結果、今の日本では、たとえば60秒民主主義だとか、「思想強い」という言葉の台頭だとか、だめライフ愛好会の広まりだとか、そういうものが現れてはいるものの、それら全てに「社会のスタンダード/リアルからは離れたところに政治意識がある」という点が共通しているわけです(このジレンマは、僕が今日の学生自治について抱く課題意識の正体でもあります)。

今日は、政策科学部が設立された頃とは大きく違います。政策を科学する目的や必要性が、社会的に共有されておらず、スタンダード/リアルから離れた部分に散在して認知されているのです。

今の社会って、けっこう完成されていませんか?

と問われて、スパッと答えることができないのが、今のリアルなのです。

ある程度同じ目的・ある程度同じ必要性が、社会的に共有されていれば、政策科学を担う者、というのは、社会のスタンダードに生きる者であるはずです。しかし今はそうではない。

今、政策科学を担えるのは、社会のスタンダード/リアルからは少し離れた場所にいる者だけです。

それって「第三項」でしょ。

|7. 私は如何にして政策科学をするのか。


なら、世界を「詐欺」にかけるしかないんですよ。

今、この社会に生きていて、僕のような第三項の多くが選択する道は、大きく分けて3つあるのだと思います。

1つ目は、全てを見限り、課題意識そのものを冷笑し、共同体の隅に埋もれてささやかな幸福とともに余生を消化することです。いますよねそういう人。みんなに嫌われてます。僕も苦手です。それもまた、生活のリアルなんだと思いますから、尊厳は認めるところですけど。

2つ目は、ひたすら「未発見の課題」を共有するべくアピール活動を行って、その先に「革命」というイベントを企図することです。最近、新左翼っぽい学生が活発に動いているのはこういうことだと思います。僕はそういう人たち好きなんですよね。彼らの方は僕みたいな「リベラル」は大嫌いですが。

3つ目は、そもそも社会をまず一旦崩壊させてしまい、無理矢理に課題意識が社会に共有されている状態を作り出すことです。加速主義者とか、Xで公然と「ファシスト」を名乗っているタイプの人とかはこうでしょう。しかし僕は、それができるほど、多くを捨てられるような強さは持っていません。

このエッセイの問いは「私は如何にして政策科学をするのか」です。

そうです。
僕は、この3つのうちどれか、なんていうふうに縛られたくはありません。

僕は、最強の政策科学部生たることを目指すのです。

今日の、私たちの共同体は、もはや「世界は既に完成されていて、停滞する運命にある」というナラティブによって支配されているから、離れたところにいる第三項にしか、「世界は実は未完成で、まだまだ前進できる」ということを大っぴらに主張できません。第三項でいるということは、疎外というデメリットであると同時に、発言の自由と実践の可能性を担保される特権性でもあるのです。さっき、政治意識がなんだかんだと語りましたけど、要は、そんな停滞したナラティブが共有されている共同体では、全く別のナラティブを語るなどということは、共同体のなかで「第三項」になってしまうリスクを負うのと同義なんです。そんなことは普通できません。みんな生活というリアルがあります。今の私たちのマジョリティにとって「政治的な話」なんていうのは、もはや「私たちの共同体を脅かす外的な異物」に過ぎないんですよ。そんな由々しき危険物に易々と手をかけてしまう、僕らのような「第三項」は、彼らの負うリスクを無視できてしまっているという時点で、非常に暴力的な特権性[注6]を持っているんです。その特権をふりかざしてはいけない。しかし、口をつぐむわけにもいきません。ですから僕らは特権を非暴力的に行使する技能=良識[注7]を身につけながら、この閉塞的なナラティブを、私たちの共同体から放逐せねばなりません

ナラティブは、新たなナラティブをもって打倒するしかないのです。

それができるのは、高度な語り手としての側面をまたもつ第三項です。

未発見の課題を発見あるいは発見されているものの共有されていない課題をめざとく見つけ、その存在を大っぴらに主張し、多くを納得せしめて、「社会全体に共有された課題」に昇華させる。そのために必要なナラティブを練り上げる。

そんなことができる人間こそが、政策科学をできるのです。

こうして私は政策科学をします。

だからここ僕は「思想強い」のです。
だからこそ僕は「だめ」なのです。
だからこそ僕は、頑固に表現者を続けます。

だからこそ僕は、最強の政策科学部生になれます。

そのためには決して独よがりじゃいけないんですよね。

「詐欺」をするだなんてセンセーショナルな書き方をしましたけど、いやいや、本質的にはそれは詐欺ではいけないわけです。確かに存在するリアルな課題を、リアルなままに浮き彫りにする表現力が求められるということです。だから、その「確かに存在するリアルな課題」にきちんと手をかけなければいけなくて、そうすれば自ずと/そのためには必ず、独りよがりであってはいけないわけです。そうして、本当に、課題を解決して見せなければなりません。

そうです。僕は、僕が第三項であったということを出発点に、意欲と行動力と実力を獲得し、同時に、ハンデも獲得して、その正と負のアンビバレントな関係が、僕の第三項らしさを加速させてきた人間です。このアンビバレントは僕の宿命です。きっと、全てを諦めて、考えることをやめて、静かに生きていたって、苛まれ続けるに決まっているんです。だったら、その苦しみを受け入れて、より僕の目的が達成される生き方をするしかありません。そんなことには、僕は、中学生の頃にはもう気づいていました。だから、僕は前進し続けるしかないんです。だから、僕は、最強になるしかないんです。行動して、努力して、結果を出して、成長して、幸せも苦しみも人の100倍体験して、その先で、いつか、最強に成り果てた僕が、ゴリ押しで、力技で、アンビバレントを脱出できるその日まで、生き続けるしかないんです。

ここまでのエッセイは、これまで僕が僕の人生の中で、それこそ物心ついた頃からずっと感じ取り、確信し、行動してきた理由——言語化されていないもの——を、ここ最近僕が学んだ知識をもとに新たな形で言語化したものに過ぎないのだと思います。僕はこれまで、ずっとこんなふうにして生きてきて、試行錯誤を繰り返してきました。その意味で、僕の人生はずっと、アクション・リサーチだったのだとさえ思います[注8]。

僕の目の前にある2人がいて、その2人が喧嘩をします。しかし僕は、その2人がそれぞれに抱えている事情を知っていて、すれ違いを解消さえすれば、その喧嘩はまったく必要がないものになるであろうということも知っています。すると、僕はその喧嘩を看過することに耐えられなくなります。僕が介入できるほど身近な人物なら、すれ違いが解消されるように動くし、僕が介入できないほど遠くなら、もどかしさに頭を抱え、枕に顔を埋めてうんうん唸りながら寝ます。僕はずっとそんなです。

上の例は、2人という社会の最小単位における政策科学なんだと思います。去年度定年退職された、元政策科学部学部長(2013〜2018)の重森臣広教授は、政策科学のことを「社会のお医者さん」と表現しています。その意味で僕はきっと、生来の政策科学部生なのでしょう。

僕は僕の特性を省察し続け、それをそのままに、最も発揮できる道を常に模索し続けます。僕は成長し続けることによって、僕が僕のままで活躍できるように全てを工作します。そうして僕は、最強になります。最強になって、生来の政策科学部生としての力を遺憾なく発揮します。それに偶然、大学の「政策科学部」という枠組みが合致している、というだけの話です。僕は、僕が、僕のままで、最強になります。

だから、これからも僕は表現者であり続けるし、第三項であり続けるし、思想強い奴であり続けるし、政策科学部生であり続けます。

新次元大学」? 「TRY FIELD」?

大学がTRY FIELDなんじゃなく、僕がTRY STUDENTなんです。

大学が「新次元」なんじゃありません。

そんなことに甘んじるつもりはありません。

僕が、新次元大学“生”なんです

それが「私は如何にして政策科学をするのか。」の答えです。

本当に?

ただ、ただね。

そんな生き方は、寂しいんですよ。

そんな生き方をして、成功したり、失敗したりして、マージナルマンである僕は、きっとこれからも、様々な共同体を渡り歩くでしょう。

そこで僕が、成功したにせよ失敗したにせよ、きっと僕の人生のリアルは、「なんかヤバい奴が居たよね」というナラティブに回収されて、切り取られて、距離を取られて、共有されないでしょう。「ぼくらとはどこか違う存在だったよね」と、ポジティブにせよネガティブにせよなるでしょう。

僕のリアルは、リアルだということにはならないでしょう。僕という存在は、あなたがたにとって、フィクションになってしまうでしょう。

きっと、そんな悩みは、こんなダダ長いエッセイで示したような、複雑で、衒学的な人間のみならず、今を生きる若者に広く共有されている悩みであるはずです。あなたは生きているのに、あなたが生きていたというリアルは、フィクションにされ、消えていく。

どうせフィクションになるなら、僕はせめて、マシなフィクションを、マシなナラティブを、マシな物語を、我が手で残したいんです。

「僕は、第三項だったかもしれないけど。でも、本当は、本当の本当はね、第三項なんかじゃなく、みんなと同じ人間だったんだよ」

っていう物語を、書き残してからじゃなきゃ、死ねません。

タイトル詐欺かもですけれど。

僕が物書きになろうと思ったのはそんなわけでもあります。

しゃらくせえ。

何が「人間じゃない」だ。


今回のエッセイでは、私小説的なアプローチで、僕の面から裏までいろいろと暴露してみました。これを執筆したのは、もちろん本文中に書いた通り、一気にこれらの言語化が整った興奮そのままに、という側面が強いですが、同時に、節目の整理にという側面もやはりあります。

3回生になって、ゼミに入って、研究活動らしいものにようやくしっかりと足を突っ込み始めました。自主ゼミも、そろそろ再起できそうです。僕が作ったサークルも、新歓活動が成功して、これからどうなるか楽しみというところです。

これは、これまで僕の活躍を阻んできた、社会の構造そのものの圧みたいなものに対する宣戦布告です。

それは人間ではありません。人間の相関関係によって、人格の外側に形成される、「場」そのものの膠着性という、無人の構造物を相手に僕はこれまでずっと戦ってきたし、これからも戦い続けます。その闘争が今度こそ本格化しそうだから、これを書くのです。

1万8000字のアジテーションを、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

紀まどい先生の次回作にご期待ください

注釈


注1:一応示しておくと、ここでは
 ・Subject(主体):S
 ・Event(出来事):E
 ・Object(対象):O
 ・Audience(聞き手):A
というふうにアルファベットをふっています。

注2:主には今村仁司の説のことを言っています。いうて授業でさらっと触れられたものに勝手に納得して勝手に使っているミーハー的な態度に過ぎないんですが、大筋は間違ってないだろうと思っています。ぶっちゃけ「スケープゴートがいると集団がまとまるよね〜。『共通的によって団結するッ』(キリッ)」みたいな態度はあんま好きじゃないんですけど、第三項排除論に僕がピンと来たのは、この第三項が、あらゆる建国の祖の由来でもあるとする点です。

注3:たとえば「アンパンマン」とかそうじゃないですか? 授業では桃太郎の例が取り沙汰されましたけど、僕らの意識に幼少期から刷り込まれていく物語のうち、「外敵が現れ、対応し、それによって団結し、排除する」というテンプレートを無限に反復するという点では、このエッセイのこの部分で言っていることの最も適切な例は「アンパンマン」だろうと思います。

注4:父は結構、あらゆることを自由にやらせてくれるタイプで、触れさせてくれるタイプです。僕がいま、体の一部が如くインターネットを使いこなせているのは、父の教育方針です。このエピソードは、そんな方針のデメリットの側面なんでしょうね。

注5:注1であんなふうに書いたのはつまりこういうことです。僕は授業で紹介された今村仁司の説に肌で納得しました。もちろん授業で紹介されたっていう程度の話に過ぎないんだから、鬼の首をとったようなことは言えないけど。

注6:そしてこれは、気をつけて行使するべき特権であると同時に、本来、特権であってはならない特権です。だから、特権「階級」であることにアイデンティティを拗らせちゃいけなくて、その特権が、いつか、特権ではなくなる日のために行動し続けなくてはいけません。

注7:こういう考え方ですから、「思想が強い私たちは、『思想強い道』を体得するべきだ」というふうに僕はかねがね主張しています。横文字で換言するなら「ポリティカル・アーツ」とでも言うべき考え方です。いつかまとめたい。

注8:アクション・リサーチとは、ここでは、社会心理学者のK. レヴィンが提唱して今日まで発展してきた学際的に実践されている研究手法を指しています。実践者と研究者が協力し、ないし、実践者が研究者を、あるいは研究者が実践者を兼ねて、計画→実践→省察→修正→実践……というサイクルを繰り返すことで、実践の社会的効果と研究の科学的蓄積を相乗させるものです。

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