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9月1日、19歳の回転

16歳。


人間のいちばんうつくしい年齢は16歳だ。これは方々で喚きちらかしているが、僕は、永遠に16歳でいたかった。


水晶玉にかぶさる半透明の衣のみたいな「あどけなさ」が外れた年齢。その中で、いちばん、オトナの雰囲気から遠い年齢。16歳。これより一歳でも歳をとると、オトナの汚れた空気が立ち込めてくる。


20歳。酒なんてもんを飲みやがる。19歳。いちばん微妙。あと一年でタバコを吸うし、ポルノを見られるようになって一年もたってる。18歳。選挙権がある。17歳。俺は高校生探偵工○新一。頭脳は大人。ダメだ。やっぱりダメ。やっぱり、16歳が、絶対防衛ライン。


その、いちばん微妙な年齢になってしまった。時の流れに無条件降伏をするしかなかった。さもなければ16歳のうちに自決していればよかったんだろう。夭逝とかいう美名で僕を偲んでくれる人がいるほど、当時の僕は文芸の成果を残せてはいなかったけど。

立命館といういちばん微妙な序列の大学に通い、19歳といういちばん微妙な青春期を送る僕の9月1日は、サークルに遅刻しそうな朝、創作アカウントで「先月19歳になりました」とツイートをすることから始まった。思っていた以上にお祝いのリプが来る。うれしい。今日のnote書き終わったら全部リプ返する。そう心に決めてスマホをポケットにしまい、玄関をはねとばして最寄り駅までダッシュを始めた。


低速制限のかかったような青春をぬけだして、焦りの中を必死に駆け抜けた高校時代。19歳になった今、完全に過去になったんだ。16歳の僕を不本意ながら毎日客観視している。


両親と妹が日本を離れ、祖母と暮らした前半期、感性の世代間格差というのを身をもって知った。自分も日本を離れた中間期、自分が人間関係に焦りすぎていたこと、逆に、自分がその身なりに焦っていなさすぎたことを知った。生徒会選挙で幾重にもおよぶ失敗をし、人に迷惑をかけた後半期、挫折と、形だけの実績を積み上げることの空虚さを知った。引きこもっていた部屋を飛び出して、青い青い春空を酸欠になりながら走り続けていたところ、足場だったはずの橋が実はただの虹だったことに今更気づいて、くうーーーと落ちていく感覚――そのまま夏休みに入り、16歳の僕は死んだ。


17歳を終えた時はどうだっけ。恋愛に関する将来の不安でも抱えながら終えたかな。では、18歳を終えた時は。先月は、僕は何をかかえていた? 乗り換えに間に合うよう梅田駅構内を走りまわりながら、ごく最近の僕を省みる。


野望だ。あたらしい形の文芸を開発するだの、自分でサークルを作るだの、演劇をするだの、政治家のそばで働くだののたまって、ぜんぶ実行する僕がいる。同時に大学生らしく、多く遅刻し、友人と心を慰めあって束の間、野望から逃げる僕もいる。アグレッシブと怠惰の両極の共存。僕はそういう人間で、あの頃と本質は変わっていない。北上する列車は、桂川との並走を始めた。


では変わったのは何か。16歳の僕と19歳の僕とで違うのは何か。僕が失ったものは何かないか。僕が、うつくしくなくなったという謂れは何処かにないか。オトナという空気の受動喫煙を僕は食らっていやしないか。車窓に流れる雨雲に、16歳の君の方が僕よりうつくしいよ――とつい想ってしまいそうになる夏は愚かか。あききることもなく愚かで聡明な、ときめく若さをとうのは停滞か。列車は進み続ける。天若のダム湖からはるばるやってきた四季の回転の蓄積が、絶えずして流れ去っていく……


花鳥風月の無常なんて知ったことか。僕はなんにも変わってないわ。そう鴨長明に中指を立てるのが僕の結論だった。強いていうなら、そうだな。16歳の一の位が180度、回転しただけだ。


鴨が川をくだるのに自分を重ねた入学式、誓った。よだかが鷹になってやろうと自殺するのが成長なら僕は一生成長しない。虫という虫をむしゃむしゃ食いながら能ある爪を研ぎまくり、よだかのままで大空をゆうゆうと飛び回ってやる。そういう結論にしか、僕はならないようだった。


烏丸を通り過ぎた。日常は変わらず回転し続ける。19歳になった少年。オトナの空気にメカクシして生きていくのが、最高に楽しい。楽しくて、10分遅刻した。

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