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#カンザキイオリ非公式誕生祭 をふりかえって 〜僕は焼肉定食を布告した〜

まず、参加者の皆様に感謝を。次に、共同主催としてすばらしい働きをみせたゆうさくさくさんに最大の感謝を。そして、カンザキイオリおよびそのプロデュースに携わる人々へ、私たちの勝手な行いを見逃してくださったことに形容不可の感謝を。

P.S. 冒頭に追伸を書くとかいうアホなことを少しやるのですが、何かっていうと、今、神椿フェス帰りで最終推敲をしているんです。

手短に。

さようなら2022年度。
さようなら花譜。
さようなら神椿スタジオ。

さようなら、観測者としての僕。

おかえり、「僕」。

はじめに

このnoteでは、私が提案者となり、ゆうさくさくさんを発起人として共同で主催した #カンザキイオリ非公式誕生祭 という企画についてふりかえります。

前半では企画主催者として、この企画全体についてのお話をします。研究報告書みたいなノリで。後半では、いち参加者、いちファンとして、私の動きに込められていた想いについてお話します。個人ブログのノリで。馬鹿みたいに長いので、章題にもう文字数を書いておきました。覚悟してお読みください。

これと同じようなことは、カンザキイオリ本人あてのレターメッセージという形で企画特設ウェブサイトに掲載されています。完全にカンザキイオリ本人あてに書かれたものです。もしご興味があればぜひこちらのリンクから。

企画主催者として 〜4994字〜

なぜ6月から始めたのか

この企画は、6月11日、私の個人ツイキャス配信 #コーヒーハウスまどい にて、ゆうさくさくさんと共に行った企画開始宣言によって始動しました。

6月11日から3月11日。本企画は、きっちり9ヶ月動き続けたことになります。ずば抜けて長い開催期間となりました。人によっては異常に見えたかもしれません。

理由を端的に、私の中で「気持ちの」強い順に挙げます。
①当時、今すぐにでも企画を始めたくなる出来事があった
②誰にも先を越されたくなかった
③参加の意志を汲む期間が必要だった


①の詳細について公に語る日はおそらく一生来ません。一生来ないとする以外に、今の私にとって正しいスタンスはありません。ふわふわしたことしか言えず、また著しく個人的ですので、興味がなければ下の2つの段落を飛ばしてください。

表現系活動者としての私は、かつて「身内」の存在に甘えて、やりたいことのための基盤を自ら形成することから逃げていました。それを自覚させられる出来事が6月の頭にありました。私のやりたいことを一緒にやってくれる人間や、私のやっていることを見てくれる人間は、これから私が自ら誂えなければならない。「箱」の存在にいつまでも甘えてはいられなかった。

その「やりたいこと」の中に「追っかけ二次創作」も含まれていました。発表時期が6月11日になった「最終的なきっかけ」は①の出来事です。


しかしそんな事情は「私の思いとして強い」以上に意味はありません。それ以前にも「誰にも先を越されたくない」という焦燥と「参加者の意志を汲む期間が必要だ」という所感とが私にはありました。

②私の表現活動は常に二次創作と共にありました。

高校1、2年生の頃、表現者・活動者としての黎明にあった私は花譜を素直に観測し、その周年企画に参加して小説を書いていました。そんな私がみてきた「あこがれの活動」のひとつが、周年企画の主催・運営でした。

なんでしょう。なんであこがれちゃったんでしょうねこんなものに。うまく言語化できないです。ただ、純粋に企画を回している方々がかっこよくて、企画に参加するのが楽しくて、それが創作そのものの持つ楽しさと相まってなにかこう、きらきらしていたのだけを確かに覚えています。

いつかカンザキイオリ個人あてで似たような企画が立ち上がるなら、絶対に僕が主催をやってやる。

そんな気持ちが無自覚に、連続的に、指数関数的に湧き出していました。ふつふつと時を経れば経るほど、それは焦燥に変わります。

カンザキイオリというコンテンツは今なお成長中。今後も加速度的に大きくなっていくはず。そうあれと願っている。それじゃあ、僕がうだうだしていちゃあ、一番乗りを誰かにとられちまう。

私の知る限り当時「カンザキイオリ二次創作の界隈」のようなものは形成途上にあったように思います。きっとそういうようなものは今後ぐんぐん構築されていくはずだと感じていました。ならば、私と同じことを考えている人間が「企画主催」に手をかけるのは時間の問題。「一番乗りをやりたい」という思いが少なからずあるというのに、その思いを見捨てて一生後悔しては、カンザキイオリを強く意識した活動者としてキャリアを歩む上での見過ごせない欠落になるに違いない。その頃の私はちょうど、焦りで動かきがちな時期だったのです。

いわゆる「カンザキイオリ界隈」が形成される兆候の最たる例が、ゆうさくさくさんの人間的カリスマに集ったクラスタでした。2021年度の3月11日の直前ごろ、ゆうさくさくさんのスペースに参加したことがあります。FF外の方も一緒に、熱くカンザキイオリについて語り合いました。そして僕と似た意欲をもつ方も何人かいらっしゃって、そのうちの一人がゆうさくさくさんでした。

ああ、これ急がないと、マジで誰かにとられるな。

なんとなくの印象が確信に変わったのはその時でした。


③参加者の意志を汲む期間が必要だ、というのはもっと単純な話です。ひとつ、カンザキイオリのファンの界隈というようなものが十分に形成されておらず、カンザキイオリファンの方々に共有される精神性の潮流がよくわからなかった。ふたつ、私がそもそもいわゆる「観測者界隈」のようなものと当時距離をおいていて、皆さんのことをほとんど知らなかった。

ならば、私がひとりで考えただけの枠組みをぽんと投げて参加者を募るより、寄り合い大所帯をまず作って、そこでやいのやいのとアイデアを出してもらった方がいい。企画の枠組みを作っていく段階のための話し合いを設ける必要があると考えました。そして「意志を汲む」にはそもそも十分な参加者数が不可欠。「長い期間存在し続けて参加者を募り続けることで、そもそもの参加人数を確保」する必要もありました。

要するに「自分の能力に自信がないので開催期間を長くすることでカバーしてやろう」というわけです。これが、好きなアーティストへの憧れをこじらせ、身の丈に合わない事業を成功させようと企んだ大学一年生の最適解だったのです。

この企画の独自性とその功罪

まず、共同主催という体制についてお話ししなくてはなりません。

企画始動当時、やはり私以外にもこういう企画をやりたいと言っているカンザキイオリリスナーは多くいたらしいとあとから聞きました。しかし、みな何かしら企画運営に必要な条件に不足があったそうです。リアルの生活に余裕がなかったり、人とのやりとりが苦手だったり、自身は創作のようなものをやっていなかったり。そこで一歩を踏み出せないでいる方がどうやら多くいたのだとか。

本来、私もその一人だったはずなのです。

リアルの生活の余裕は作ろうと思えば作れる。人とのやりとりの苦手は克服した。自身で創作活動もやっている。企画・団体運営のノウハウは高校で学み、踏み出す蛮勇は天性のKYよって補完されている。

しかし私には圧倒的に足りないものが一つあって、それが致命的でした。

私には、人間的カリスマがなかったのです。

私が一人で声をあげたところで、大した人数は集まらないのが目に見えていました。観測者界隈から距離をおいていて、カンザキイオリリスナーとの繋がりも薄い。そして何より「あいつが言うならしゃーねーな」と人がついてきてくれるような人間くさい求心力が私にはない。

私についてきてくれる人ってだいたい「なんかよくわかんないけどすげーことやってる」とか「なんか事務処理能力とか文章力とかやべー」とかなんです。大学でサークルを作ったときにはそれでどうにかなりました。しかしそれは「学内」という共同体の意識におんぶにだっこの結実です。呼び込みたいのは「界隈発展途上」のカンザキイオリリスナー。その界隈でまだ無名の私には「実力で殴る」機会すらない。

それに、本当の意味で仲間として結びついてもらうためには「なんかすげーやつだから着いていく」では不足なんです。それは私程度じゃ必ずボロが出る。「こいつはすごいところもあるけど、けっきょく自分と同程度の同類だから助けてやらなきゃいかん(けっきょく知り合っちまえば全人類そうだと思うんですが)」という友情めいた思いを第一印象で抱かせる力がきっと不可欠。しかし、低い自己肯定感と高い自己効力感にゆがんだ自意識を持ち、長所ばかりを喧伝するのに甘えてきた私にそれはありません。

なら、私のことをよく(とまでは言わずとも)知っていて、かつ「そういう人間的カリスマ性」のある人間と一緒に主催すればいい。それも、僕と円滑にコミュニケーションがとれて信頼のおける人と。僕以上に「華」があって、僕と同程度にやる気のある人と。誰だろう。誰かいないかな。そういうカリスマ性のある人。

白羽の矢が5000兆本ほどゆうさくさくさんに突き刺さりました。壮麗なタンポポの綿毛と化した彼にやさしく「一緒にやりませんか」と息を吹きかけると「なるほどそれなら是非やらせていただきたいですね!」とDMに希望の種が舞いました。折をみて通話をし、「提案者きのまどい、発起人ゆうさくさく、2名共同主催」という体制で話がまとまりました。それが共同主催体制の成り立ちです。

つまりこれも先の章に述べた「憧れをこじらせて身の丈にあっていない企画を成功させようと目論んだ大学一年生の最適解」なのです。

結果として、企画は成功を収めることができたと私は思っています。成功との基準などありませんから何とも断言はできませんが、少なくとも、共同主催体制は狙った通りにうまく機能したなというのが今の私の所感です。


この企画の独自性としてもう1つ挙げなければならないものがあります。

この「八時のイオリファンラジオ」という企画は、参加者の禱さんから提案され、彼女が主体となって進めてくれたものです。

企画概要をざっくりまとめると「毎月、動画配信日までに集まった進捗情報を公開する」というもの。その視聴者向きの目的は、企画集団のブラックボックス化の回避と新規参加者の募集。参加者向きの目的は、制作を進めようという意欲の向上。そして僕が期待した副次的効果が、企画集団内部の活動実態の維持です。

結果として、まず企画集団のブラックボックス化回避は「やらないより圧倒的によかった」という意味で一定の成功をしたと思っています。新規参加者の募集に関してもある程度の効果を発揮しました。実際、フレーム素材やコンセプトアートなどで今回大活躍をされた愛生華さんなどはこのラジオを見て参加された方です。そもそもラジオから入ったかどうか以前に「活動の継続によるTL上での存在感の維持」そのものが、人づてで参加者を呼ぶ際の成功率を大きく底上げしたはずです。それこそ広報の本懐なのではないでしょうか。

しかし「制作を進めようという意欲の向上」にはあまり大きな効果は発揮しませんでした。

これは企画の開催期間と相性が悪かった。制作物ひとつふたつに9ヶ月もかける人など正直ほとんどいません。毎月紹介できるほどの進捗がムラなくあがってくるのを期待するべきではありませんでした。そこはひとつ反省点です。加えて、企画として少々凝りすぎたかもしれません。次に似たようなことをするなら、タスク量をもう少し抑えるよう練り直す必要がありそうだ、ということで既に話がまとまっています。

ただ最後にもう一点、このラジオ企画のもう1つの大きな功績を取り上げておかなければなりません。「内部の活動実態の維持」です。こちらは大成功でした。

話し合いが進み、およそ企画の骨格が固まって微修正や肉付けの段階に入ると、誕生祭当日へ向けた活動はどうしても希薄化します。活動実態が空洞化していては、企画の存在感を外部にも参加者にも示せない。新規参加者がいらっしゃっても「本当にこの人たちは当日やりきれるのかな」という不安だけ抱かせて放置することになってしまう。正直、やはり諸般の事情を鑑みても9ヶ月は長すぎたのかもしれません。だってそうしなきゃ一番のりを誰かに取られてたかもしらんし……とは思ってしまいますが

そんな時、この企画の「活動実態」の支えとして「ラジオ企画の進行」は大きく機能していました。

禱さんに自由にやってもらって正解でした。あとから聞いた話、ラジオ企画のようなものは提案者の「夢」だったそうです。こういう企画って、「自分のやりたいと周囲のやりたいとの利害の一致を見出し、自分のやりたいをつらぬく」ためのもんだ私は思うんですよね。

企画としての成功とか失敗とかそんなことより、参加者の夢を叶える一助になれたらしいことが、企画者としては大成功です。

そのほか少し書いておくならば「本来、役職としては『主催』と『参加者』しかいなかったはずなのに、いつのまにか自然と『執行部』のようなものが形成されていて、はたからは『身内ノリ』のように見えるようになってしまった」ことなどが挙げられます。必要に応じて生じたものだと思います。早々に執行部のシステムを作ってしまえばよかった。そこも大きめの反省点です。

以上、この企画の独自性の功罪をまとめました。

これらを踏まえて、次の誕生祭はどのような形になるのでしょう。実は企画終了直後に反省会を行い、すでにある程度の骨格は決めてあります。2024年3月11日、それまで私かカンザキイオリかのどちらかがくたばっちまわない限り、やります。

でもさすがに9ヶ月はかけないかな。

活動者個人として 〜4619字〜

作品に込めた思い

さて、お行儀のよろしいアカデミアの真似事はここまでだ。ここからは、企画主催者としてというより私個人の独白、この記事の副題「僕は焼肉定食を布告した」のお話です。興味ない人はブラウザバック! 自覚ないかもやけど、今あなた5000字近く読み続けてるんですよ! ほら無理しない! 休んだ休んだ!!!!!

はい。

今回の企画で、私は2つの制作物を公開させていただきました。

ひとつは、約12000字の二次創作小説を全編ボイスドラマ化した動画作品「アンコールの爆弾」。こちら作中に歌詞が多用されておりますので、ミュージカルのような作りにもなっています。

もうひとつは「ロンリーエネミー」の替え歌アンサーソング「今日そうだな」です。ポエトリーラップ風に、私の想いのような何かを放出しました。off-vocalが無かったので、音源は手持ちのバイオリンで自作しました。

これらの作品で私が行ったのは単なる礼賛でも信仰でもありません。迎合でもないし、最近ちらちら見えんこともなくなってきたアンチへの攻撃でもないし、ましてや「あなたに救われました」でもありません。

それは「とりとめもない自由」の結末で、「協調性のないやつって言われ」るような自我で、「僕らが生きる意味を忘れない」って表明です。

私は、カンザキイオリを煽りました。


まず小説。私の本業。

カンザキイオリは嫉妬を喰って進化する怪物です。さみしいさみしい怪物です。だから彼は常に「若い才能」に嫉妬していたし、彼は常に「一緒に表現をやる仲間」を欲していた。それが花譜というプロジェクトへの参加の根底であり、カンザキイオリという事業の根拠であり、ファンに募らせた消化不可能な情動の根源であるはずです。

みなさん、カンザキイオリの音楽を「どんな気持ちで聴けばいいのか惑う」ことはありませんでしたか。素直に「好きだ」と言っていいのか。素直に「心の支えだ」とか「救いだ」とか「救われた」だとか言ってはいけないのではないか。彼が金銭的に満たされることを望んではいけないのではないか。彼が納得していない芸術などに迎合してはいけないのではないか。

そもそも、私はカンザキイオリに救われたのだろうか。

等々です。

答えは歌詞とライナーノーツとインタビュー記事と小説の中にありました……と少なくとも僕は思ってます。

結論、何も気にしなくていいんじゃないですかね、これ。

何も気にしなくていいはちょっと言い過ぎかも。けれど、なんだかんだ言ってカンザキイオリはみなさんを相変わらず愛しているのだと思います。なにか、まるでみなさんの特定の視聴姿勢を拒絶するような歌詞を歌うのは、実のところ、消化しきれない違和感や嫉妬を必死にぶちまけようとしているから。不器用な男なんです。あんなに器用な奴なのに。

抽象的なことしか書けないのは、小説のネタバレを避けているからです。しかし今、ひとつだけ大きなネタバレをしましょう。「親愛なるあなたへ」の中で、主人公は嫉妬対象の人間に完膚なきまでに敗北します。そうして、嫉妬対象だったはずの人間は主人公の手のとどかないところへ行ってしまいます。

なら、僕がそれになってやるよ。

そんな宣戦布告が今回の僕のコンセプト。僕の今度の小説は、カンザキイオリの「親愛なるあなたへ」に勝利するための実働部隊です。

カンザキイオリの用意した「爆弾」よりももっと「えげつない」爆弾で、美しいものを美しく、美しくないものも美しくして、最高にキモくて、最低にエモくて、カンザキイオリが今すぐ大阪まで来て私のペンをへし折りたくなるような小説を書きたい。実際にできているかどうかなんて知ったこっちゃない。それは各々、閲覧したうえでご判断を。少なくとも読了者様に1名、嘔吐された方がいらっしゃるそうですよ。痛快ですね。


次にアンサーソング。私の初挑戦の塊。

要は「ひとりの活動者としてカンザキイオリに勝利する」の側面が強かったのがこのアンサーソングです。小説が、小説をもって小説に勝利しようとしたのに対し、私個人は、活動者としての私をもってして活動者としてのカンザキイオリに勝利しようとしています。

単純に説明できるところからいきましょう。まず成長性。吸収力とか学習能力とかとも言えるのかな。それがこの作品のテーマに通底するものです。

オケ音源を自分で作ってカラオケ館のスタジオルームを借りて、ポエトリーラップ風の歌詞をつくって自分で歌って収録して、ガレージバンドでひっつけてMVを撮影して……これらは全て今回が初めてでした。

大したクオリティにはならなかったのかもしれない。けど、耐えたと思っています。そして何より、作業工程が、

めっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっちゃ楽しかった。

今回の作品には、かなり僕の活動者としての軌跡のようなものがねじ込まれています。たとえば演劇の世界に飛び込んだことが今の表現に生きているだとか、そもそも不登校から脱却したなかで表現を始めたこととか。

若い才能に嫉妬している? ほう。
若い才能に圧倒される妄想をしている? ほうほう。
若い才能が自分を負かせて、うつくしい舞台へ駆けあがるのを見たい?
ふーん。

よろしい僕がその若い才能だ。

私はカンザキイオリを煽りました。


表現者としての軌跡以上に強く入っている「勝利のためのコンセプト」に、表現者としての僕のカンザキイオリに対するスタンスの表明があります。

僕の創作は常に二次創作と共にありました。創作を始めるきっかけは動画を真似したことだし、小説のきっかけはドラマに感化されたことだし、今でも二次創作しかバズらない。そういうもんなんです。

では僕は一生「何かのファン」でしかないのか?

僕はなにか、特定の作品かアーティストか何かに本当の意味で救われちゃったりなんかしていて、それに創作活動の一挙手一投足の根拠がとれて……一生観客席から「ヲタ芸」をしていて、それだけなのか? もちろんその生き方もとても素敵です。それに、人間の活動は表現だけではない。舞台ではあちらが役者でこちらが観客、シャバではあちらが顧客でこちらが店舗です。人間に優劣などありません。上下などありません。

でも、だからって、僕は嫌なんです。

僕は、僕自身の生き方のひとつとして表現活動をやっている。あたかも「誰かの表現の推し活」の表現者であるかのように思われてしまうのならば、不服極まってはもはや全裸で僕は立ち尽くそうじゃないか。

だってそれは単純な事実誤認だ。

私は改めて宣言したのです。私はひとりの活動者であったし、これからもそうありつづける。私は貴方と対等だ、と。

今回の私のはたらきを、なにか「アーティストとファンのやりとり」の枠組みで見ていたのであれば、それは間違いではないけれども間違い。これは、独立した活動者と独立した活動者との掛け合いです。

近しいのは、ヒップホップのビーフ。

けれども別に私はカンザキイオリを攻撃しているわけではない。単に中央の食材が「煽り」であっただけ。このプレートには憧れも盛り付けてあります。愛着もあります。尊敬もあります。彼に小説で勝ちたくて、彼に活動者として勝ちたくて、手に持つ食材すべてを練りました。栄養バランスなんか知ったこっちゃありませんが、この定食には色とりどりの食材が詰まっています。「煽り」はそれ即ち「敵対」ではない。全てひっくるめて僕はそれを「愛」と呼びました。

宣戦布告でビーフを始めたのかといえば、それは言い過ぎ。私はやったのは焼肉定食の布告に過ぎなかったのです。

貴方は東京、僕は大阪。東海岸と西海岸。刺し合うマイクを握ったままで、斬り合うペン先削ったままで、そうやって、活動者として互いに歩んだ道の上できっと、めちゃくちゃ大きな花火が夜を夜じゃなくしているだろう。

そうに違いないんだ。

将来、あるいは卒業について

思い出してください。この企画は誕生祭です。ここまで、あくまで「僕個人とカンザキイオリとの間の」ことに集中して話をしてきたので「誕生祭どこいってーん!」となるかもですが、当然、誕生日を祝う精神はしっかりあります。

しかし、それについては作品を見ていただくか、レターメッセージをお読みいただきたい。そこまで書いていたら文字数がとんでもないことになってしまいますので……。今だいたい8000字です。

今回の制作物が完成した時、カンザキイオリはまだ卒業を発表していませんでした。一通り気持ちの整理がついたあと、よぎった考えは「僕の作品は卒業発表後に公開される作品として辻褄が合わない部分があったりしないだろうか」というもの。その後の作業の中で、自分の作品を見返す際は特にそれを意識していました。

「あ、ぜんぜん大丈夫やわ。むしろ意図せずめちゃくちゃマッチしてる。マジか」

結論はそんなものでした。

私のこれまでの活動スタイルとカンザキイオリの活動スタイルとの最も大きな違いは、自己マネジメントの有無です。私は作品発表の場を高校の頃から自分で作ってきたし、活動の顧客を自ら営業して手に入れたし、自分の活動方針や作品のテーマは完全に自分で選択してきた。そもそも私の表現活動は「生産的社会のなかで僕が僕らしく生きる営み」の一部でしかありません。人生活動のための創作表現であって、創作表現のための人生活動では決してない。語彙力など踏み台。アートなど手段。僕が僕の意思を全うするためにのみ存在意義のある生産活動。それが僕にとっての表現です。

一方カンザキイオリ曰く、彼は久しく「表現」しかやってこなかったそうじゃないですか。

それが、今回の卒業を経れば、腫れてカンザキイオリは自らの人生を自ら制御しだす。「表現活動者」だった彼が「活動表現者」になる。

カンザキイオリが僕と同じ土俵にきてくれた!!!

カンザキイオリとライバル的関係になる。それが今回のテーマです。たとえ人には圧倒的実力差を透視されても、僕が苦しくなっても、いつか、彼が彼自身のスキャンダルか何かで落ちぶれてしまったりしたとしても、純粋に、負けたくない。勝ちたい。そう思って互いの道を這い上がっていける。そんな関係でありたい。

彼の今回の卒業は都合がいい。僕が以前から思い描いていたことと、見事なまでにマッチしている。

門出ではあるかもしれないけど、僕からすれば「いってらっしゃい」などとんでもない。

「おかえりなさい。おめでとう」

そう言う他ないのです。

僕の彼に対する姿勢は、ベクトルとしてはなんにも変わりません。「親愛なるあなたへ」を読んだあの日から、きっとその形は何も変わらない。単に以前よりやりやすくなるだけです。単に以前より大きくなるだけです。

僕は僕の活動をする。ほんとうに僕の望む活動を。お勉強上等。留学も上等。政治、政局、違法じゃなきゃ上等、思想つよつよで上等。とりとめもなくって自由万歳。ビジネス上等。言うなれば、僕は貴方とPIEDPIPERさんを合わせたような存在かもしれない。僕は僕のたたかいかたをする。ほんとうの意味で世界をちょっとだけ変えてしまうのは、僕の方だ。

僕はあなたに救われたんじゃない。僕は僕の足で僕を救った。あなたを利用して自分で自分を救った。

だから、貴方も僕をきっと利用するだろう。

そんな姿勢で、これからも、私はまあいろいろやっていくってなわけです。

おわりに 〜2026字〜

3月30日の朝。徹夜で以上の文章を書き上げ、僕は所属劇団の稽古の為、京都は東山へ向かった。

徹夜明けの稽古。最初こそ地獄。けれどもだんだん楽しくなってきて、なんとか終えることができた。ハイになっていたからという以外にも理由がある。翌日に2022年度最後の楽しみが残っているのだ。3月31日夜、神椿フェスDAY2【カオスの日】。それを思えば今の苦労などなんだ。僕は稽古場を後にし、京都河原町駅へ足を進める。

いや、ちょっとだけ嘘だ。神椿フェスと同じくらい、その翌日のオフ会も楽しみ。結局僕はまた、自分の欲求の理由づけに他人を使っている。きりがないな。もうこの言い方は封印しようかな。

歩いて、祇園を抜け、鴨川を渡ろうかという横断歩道でとまる。

すると車道の向こう側から、ドラム風の軽快な音楽が聴こえてきた。なんだろう。ぴよぴよと信号の報せに侍って渡り、鴨川の岸にあたる部分につく。ここから先は橋。

そこには、大量のステンレス皿と一つのゴミ箱を地に並べ、バチやら足やらで擦る蹴る叩くをして見事なビートを刻む路上ライバーが居た。なんだか無視して通り過ぎてはいけない気がする。今から頭のおかしいスケジュールで羽田へ飛び、カンザキイオリにお初にお目にかかるというのに、どうして音楽をないものとできようか。

30秒くらい聴いた。1人の人間がよくもまあこんなマルチタスクができるものだ。それで奏でる音楽が見事なんだから文句の付け所も、たぶん条例違反だろうなってこと以外に無い。なんだか何もせずにそのまま帰るのもいけない気がした。時間は有限なので、100円をカンパしてその場を後にした。

四条大橋の南歩道を進む。視界には夜の鴨川。観光客の帰ってきた京都をよく反射していて、綺麗なのか汚いのかよくわからない。風がよく髪を薙ぐ。そのまま欄干を吹き抜け、水面を撫で、下流の空へと滑る音が聞こえる気がした。なんだか、まじって他の音も聞こえる。そろそろ橋も渡り終わる。エモい夜景だけでなく、猥雑な前も見据えて歩けということなんだろうか。

8割くらい進んだところで、また別の路上ライバーに出会した。

もう勘弁してくれ。僕はそのまま鴨川西岸のアスファルトを踏んだ。

なんだろうなあ、なんだろう。あのドラマーにカンパをした時の気持ちは嘘ではないはずなんだ。しかし同等の芸術だった四条大橋の彼を僕は簡単にスルーした。なんで? 早く帰って寝たいから? もやっ、とする。きっとその思考は「結局エゴでしか人は動いていない」という身も蓋もない結末だ、と即座に知識でわかるのに、理性も感性もどこか腑に落ちなかった。

歩いて、イヤホンで音楽を聴き、歩く。歩いて、阪急京都河原町駅周辺に到着。あたり一面、橙色にきらびやか。コロナなどなかったかのような典型的京都。コロンビア人が左をかすめ、ドイツ人が右でバスを待つ最中、西へ西へと足を落とす。ようやく目的地だ。高瀬川に隣接した、地下鉄駅への出入り口。この信号を渡れば、僕はもう家に帰れる……

おまえ桜だったのか。6ヶ月前、僕はここで撮った写真をサムネに「9月1日、19歳の回転」を投稿した。

お初にお目にかかった。門出の花のアーチ。ひらひら、一部は早くも散っていて、高瀬川は唐白桃に色をくくる。

野生の桜というのは、日本人が思い描くほど潔い植物ではない。根から毒を撒き、さくらんぼは異臭を放ち、ライバル植物を死滅せしめる。クローンとして生まれ、ここで観光客をもてなして死んでいく彼だって、きっと根っこルーツにはそんな因子を忍ばせている。カオスがあれば何度でも芽吹くんだろう。まるで中学生の僕が自室のベッドから這い出たあの日のように。

それは独りよがりということではない。ライバルを死滅させる山桜の存在は里山の共生関係に籍を置き、生態系と協調している。各々、生存のために別々のことをやっていて、牙を剥き出し歯が立ちまくり、しかし結局、それが互いのためになる。何度でもヤマアラシのジレンマを繰り返して、時に棲み分け、時に進化し、時には先祖返りなんかしちゃったりして、その山の土は肥えていく。川は海へと広がる。流れ込んだ土壌の栄養を、うごめく魚が喰らい生きる。

それぞれがエゴで動き出し、結果「良き方向」へと世界は回る。
僕とカンザキイオリの表現活動みたいだ。

そういうもんか。そういうもんだよな、きっと。

ここまでを、阪急京都線の中で書いた。今、十三駅で降りる。

僕はとまらない。僕は必ず僕のやりたいことをやりたいようにやって、結果として、カンザキイオリに追いつき、追い越す。

もうすぐ僕は伊丹から豊洲へ飛ぶ。待っていろ。今日は3月31日、現在推敲作業中。今、伊丹空港10番搭乗口でANA30便を待っている。

あっ、搭乗口が11番に変更になった。移動しなきゃ。いったん推敲を打ち切ります。

この企画は、今のところ、僕の人生でいちばん骨を折った「おめでとう」でした。

僕が、貴方が、生きていてよかったぜ。

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