仕事を終え 狂おしい飢えとともに たどりついたのは日高屋 おれは自分を引きずってきた 淀んだガソリンのように アネモネの種のように どこか静かな場所で 味噌ラーメンを むさぼり食いたい それだけだ よろよろ歩いて 明るいテーブル席につくと となりで高校生らしき4人組が 恋バナをバキバキに咲かせて さんざめいている おれは落胆した ああ終わった 家でカップラーメンを食べれば良かった ティーンのノイズを浴びに来たんじゃねえんだよ と思ってしまった しかし彼ら 次
朝のメトロは満員 でも静か みなじっと 駄獣のように 息をひそめている クラシックな通勤 クラシックな煩悶 おれはいまだ この螺旋の中に メトロメトロ 夢の匂い とくに光がいびつに見える 健康飲料 海外留学ガイド キャリアパス それらがまどろむ車内 狂おしいインフォメーションが おれを苛む ああパリでソムリエになりてえ ああ深い井戸にもぐりてえ 頑張りたい 煮えたぎりたい そう言って 飲みほした水の ゆるぎない輝き
おれのルーティンの数々。たとえば通勤中にドイツ語の勉強をすること。ランチにクロワッサンを食べること。夕どきに市民公園でテニスに興じること。他にも10個くらいあるが、こうして毎日に散りばめたルーティンをひとつずつ結びあわせていくと、生活の様式がはっきりと浮かび上がってくるものだ。 街ゆく人はみなルーティンを持っている。毎朝オムレツを食べる会社員がいる。公園を散歩するフリーランスがいる。この辺はのどかで良いが、世界にはやっぱり猛者がいて、正午になるとファウストを暗唱するコメディ
あさは最高 目覚めとともに さわやかな 水色の王冠をかぶって 部屋につもった 陽光の結晶を砕き スーツに袖をとおす 街には新しい酸素 高くきらめく緑 市民たちは ライラックの花束を まき散らして 交差点に 星々の点滅を あらわしてみせる おれは いつか彗星の軌道で オフィスへ向かう
うす甘い春の匂いがただよう午後。すべてに倦み疲れたおれは、じめじめした居酒屋の床に突っ伏していた。 とにかく仕事がつらかった。生活が苦しかった。あたりの空気は重たく澱んでおり、窓から注ぐみじめな光は無心にホルモンの油を溶かしていた。 すると突然、まるで大気圏から落ちた稲妻みたいに、一通のLINEメッセージが見舞われる。 メッセージの送り主は尾崎ヒロト。つい先日まで、ここで一緒にホルモンを爆食していた友人。今年43才になるはずの無職男である。 添付されていた一枚の写真ー
ここはカフェ 街のチェーン店 あるいは聖堂 おれはそっと Macbookをひらいて キーボードをぶったたく 灼熱の言葉を 奏でるように 祈るように デッドなハムサンドをほおばり 往来をながめていると やがて 錯乱の酵母がひらく 大切なのはリズム 大切なのは静寂 それらは 炎の筋となって ギャロップで駆けめぐる その中に ひとつの言葉を 見つけたら 勝利の午後だ
うちの近所に大きな公園がある。 かつては立派な噴水やアスレチックやチューリップの花壇が立ちならぶ市民公園であり、のんびり過ごせる憩いの場だった。 いつでも笑い声がさざめき立ち、市民たちがぶどう酒を浴びながら走り回る陽気なプレイグラウンドだったのだが、10年前に自治体が公園の管理業務を放棄してしまう。「予算削減のため」「雑草の伐採が追いつかない」など、最もらしい理由が上げられたが、たぶん単純にダルかったのだろう。広いから。 それでめちゃくちゃ荒れた。今ではそこらじゅうに凶
朝露の ひとつぶに溶けた あまい匂い ああ 今にも 金木犀が咲く 夏の聖堂を さまようおれは 暗がりの 水たまりだった 勝利の鐘のように ひびくのは 金木犀のファンネル ついに咲いたら おれは歩きだす うす橙色の 悩ましい匂いに むせかえりながら
おれはパリに焦がれている。 パリは可憐な花の都。モードの聖地。映画や本でそのイメージを体験した事はあっても、実際はほとんど何も知らない。 子供の頃に、たった一日滞在しただけなのだから。 あれは11歳の夏だった。家族旅行でパリに立ち寄ったおれは、リュクサンブール公園の木陰でまどろんでいた。頭上にはいちめんの青空。もうすぐ秋を迎える公園には花々が咲き乱れ、あたりの空気はぴりっと澄んでいた。 おれは焼きたてのクロワッサンを頰張りながら、あたりの景色をぼーっと眺めていた。生命
世界の全てをうるおしている水がある。シンと透きとおる湿った水。 それはつめたくて鋭角で、シリコンバレーから涙の玉から睡蓮の花まで全ての中を光の3倍の速さでザンザン駆けまわっているのだが、ふつうは何百年もかけて洞窟から滴り落ちるわずかな雫を器にかき集めておろろろろろッとむせび泣きながらすすりこむ希少な水だ。 その水で満たされたコップが、おれの目の前にある。 とぷ。 ちょっとめまいがしてきた。ときおりスミレ色に脈打つ水面を、おれはバカのように放心してうっとりと眺めている。
おれは飛び込み台からプールを覗きこんでいる。 プールに溢れる水は、午後の光をたっぷりと吸い込んで、深い青に色づいていた。ときおりサーッと高速でひびく波紋が水面を駆けまわり、べつの波と衝突するたびに、新しい青がシラシラきらめいて目に飛び込んでくる。 プールはどこまでも澄みわたり、またぞっとするほど巨きく、まるで透明な宇宙がそこにあるようだった。 小学4年生の夏休み。ドイツの日本人学校に通っていたおれは、友人の富生くんと連れ立ってこのプールにやってきた。 〈日本では味わえ
大学の研究室の同期だった小屋守くん。はじめは読みどおりコヤと呼ばれていたのだが、あるとき彼が「ゴヤでお願いします」とやけに強く願い出たので、みんなそう呼ぶようになった。 その名に込められた魔力。ゴからヤに向かってすーっと抜けていく響き。ごつごつした黒い石みたいな感触。発音するたびに胸のあたりに謎の心地よさが広がるので、みんな彼の姿を見つけては「お疲れゴヤ」「ゴヤよろしくな」「ゴヤだよなゴヤ」としきりに呼びかけ、呼ぶほどにさらに深くなる響きに夢中になってしまった。 小屋くん
ことしも 紫陽花を待つ 午後はものうくなる ささえきれぬふるえ 街全体へ流れ入る かれんな紫の水を 熱い反射がひらき しなやかな矢となって 結晶はすでに敗れた 花のリヴァーヴ 白びかり白びかり 紫陽花を 待つ響きで おれは眠りこむ
連休はずっと地元で過ごしていた。フェスとか海外とかでビャンビャンに弾けても良かったのだが、ひどく疲れていたし、安らぎが欲しかったのだ。 実家の窓から注ぐなつかしい光。うす甘い木材の匂い。南向きのリビングに横たわって何も思わず過ごしたいーーー なにか切実なものがおれを地元に駆り立てた。上野から快速急行に乗って一時間半。いくつもの丘を越え、鈍色にさびた人工池を渡り、数年ぶりに帰った地元は何ひとつ変わらぬダルさで大地にまどろんでいた。町にひしめいていたのは煤けた公園、スーパーの
「おや、月の光に水晶が浮かんでいるぞ」 見上げると近所のMUJIのロゴだった。どうも頭がくらくらしている。ここ数日、仕事に追われてほとんど眠れていないのだ。店先に呆然と立ち尽くしていると、紙やプラスチックのうす甘い匂いがふわりと鼻先に流れてきた。 ああMUJIの匂いだ。清潔な生活の匂いだ。おれは一つ深呼吸をして、店内へ足を踏み入れた。 巨大な木の棚がズシーンと荘厳にそびえ立っていた。ハンガーにかかった無数のブロードシャツ。ざらついたコットン生地の鮮やかなペールブルーが、
その庭を見つけたのは、ある春の午後だった。 高校からの帰り道。おれは手足を大きく振りながら、暖かく澄んだ空気のかたまりをシンシンかき分けて歩いていた。 横にはクラスメイトの牧谷くん。ダルそうに身体を揺らしながら、いかにも春らしい儚なげなメロディを口ずさんでいる。 おれは何も話さない。牧谷くんも話さない。だからあたりへ響くのは、牧谷くんのうすい歌声と、春風が草木を柔らかくなでる音だけだった。 「るるる」 「なんだいそれは」 「これはRAMONESのメロディなんだ。好