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エターナルガーデン

その庭を見つけたのは、ある春の午後だった。

高校からの帰り道。おれは手足を大きく振りながら、暖かく澄んだ空気のかたまりをシンシンかき分けて歩いていた。

横にはクラスメイトの牧谷くん。ダルそうに身体を揺らしながら、いかにも春らしい儚なげなメロディを口ずさんでいる。

おれは何も話さない。牧谷くんも話さない。だからあたりへ響くのは、牧谷くんのうすい歌声と、春風が草木を柔らかくなでる音だけだった。

「るるる」

「なんだいそれは」

「これはRAMONESのメロディなんだ。好きなんだよね。あたりの塵が炎になる気がして」

「へえ」

ふたたび沈黙ーーー頭上の空はすこし霞みがかって、うすい桃色の雲が楽しげに揺れていた。

商店街を歩いていると、パーソナルジムとうどん屋の間に小さな空き地を見つけた。空き地はちょうど畳三畳ほどのサイズだったが、奥が崖のような急斜面になっていて、その先に潜んでいる空間の広がりを感じさせた。

空き地を埋めていたのは雑草の山。しおれた黒っぽい緑と焦げた葉。ひどくみすぼらしい空き地にも関わらず、それは春の陽光のもとでむしろ誘惑的に、シラシラと妖しくきらめいていた。

へええ空き地なんてあるんだあ、まあどうでもいいかあ、と思い、先へ進もうとすると、牧谷くんが目を細めてひどく眩しそうに空き地を見ている。

「行こうぜ牧谷くん」

「なあ、ちょっと自分に正直になってみてもいいかな?」

おどすような調子で言うので、なにか重大な告白でもするのかと思い、一瞬たじろいだ。

空き地の雑草がわずかに風に揺れて不穏な音を立てる。おれはひと呼吸おいて、ゆっくりと頷いた。すると牧谷くんは真っすぐ伸ばした両手を頭上で合わせて、その場でグッと深く屈み込み「きゃほほい」と叫びながら空き地めがけて飛び込んだのである。

前方に向かって勢いよく飛び上がった牧谷くんは、身体をぴんと伸ばし両足をひらひらさせて、あっという間に崖まで到達した。そして右回りに回転し、白目をむいて、最後にホバリングのように浮遊したあと、崖の向こうへ一気に突っ込んで行った。

「アアア!」

牧谷くんはついに視界から消えてしまった。

崖の向こうから無数の草木がこすれる音。激しく舞い上がるするどい木の葉。雑草にきらめく陽光の乱反射ーーーやがて、むせかえるほど濃い花の匂いがおれの周りに流れ込んで来た。

牧谷くんが何か叫んでいる。意味不明の叫び声に混じって、こいよー、と言っているのが聞こえた。

そこら中で鈍い草があやしく光ってるし、茎はさらさら鳴ってるし、どう見てもやばい。でも期末テストで赤点を取ったおれは「もうどうでもいいかな」という捨て鉢な気分だったから、飛び込むことにした。ゆっくり後ろへ下がって、たっぷり距離をとり、叫びながら全力疾走。コンクリートと空き地の境目を踏みつけて大きく飛び上がった。

生ぬるい空気の粒が肌を激しくかすめていった。脈打つ光。ゴウゴウ轟く音。さっきまでの景色が、さまざまな線や色彩と流れとなっておれの身体を取り巻き、ものすごいスピードで回転していた。

おれは崖の向こうへ落ちていく。

やがてモモモという鈍い音とともに着地。身体が何か柔らかいものに沈み込むのを感じた。それは青々とした若葉の山だった。さっきまでの煤けた空き地のみすぼらしさのかわりに、みずみずしい若葉の心地よい冷ややかさが、全身へ染み透るようだった。

横を見ると牧谷くんが大の字になって空を見上げていた。

「いいもんだね」

「ああ、まさかこんな庭があったとはな」

目の前に広がる景色。若葉の山のまわりに無数の花が咲き乱れていた。ゼラニウム。白木蓮。アネモネ。石楠花。ノースポール。アマリリス。ありったけの春の花々が圧倒的な色彩を閃かせて、おれ達を囲んでいた。それらは若葉の衝撃によって、細やかなリズムを刻んで顫えていた。

牧谷くんは目を閉じて、胸いっぱいに匂やかな空気を吸い込んでいた。

「るるる」

「それなんだっけ」

「RAMONES」

「ふふ。いいメロディだな。花まで燃えるようだ」


あれから何年経っただろう。牧谷くんは元気だろうか。おれは今日もうす暗い部屋で、カップ麺をすすり込んでいる。明日の仕事に怯えながら、あの時の庭のまぶしさに憧れているーーー

今年もあの庭には、見事な花が咲き乱れている事だろう。

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